秋草
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激化する日本本土空襲に対する切り札として、ドイツ空軍のメッサーシュミット Me163を元に開発が始められた秋水(J8M、キ200)であったが、ドイツから直接もたらされた資料は機体・エンジン・燃料のいずれも僅かであり、その技術移転は困難を極めた。そこで、Me163の設計を変更した機体の試作が進められる一方で、操縦士養成のためにエンジンを搭載しない滑空機が、実用機の完成を待たずに開発されることとなった。
1944年12月26日、秋水の運用部隊として編成された海軍三一二航空隊の犬塚大尉によって軽滑空機の滑空飛行試験が行なわれた。滑空試験は順調に回を重ね、操舵感覚は良好で機体設計そのものに問題なしとの評価を受けた。1945年1月8日にはエンジンと武装が外された状態の実機と同じ状態の重滑空機が、やはり犬塚大尉の手によって滑空試験を行なった。
試験の結果は良好で、滑空機は実用機の愛称「秋水」にちなんで「秋草」と命名され、直ちに生産、運用が始まった。
