千葉刑務所

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千葉刑務所本館
地図

千葉刑務所(ちばけいむしょ)は、東京矯正管区所管の刑事施設である。管下施設として木更津拘置支所八日市場拘置支所があるほか、2013年5月15日までは松戸拘置支所(現在は東京拘置所所管)も当所の所管であった。

交通アクセス

収容分類級

収容分類級はLA級およびA級で、刑期10年以上の初犯者(重罪初犯者)を収容する男子刑務所[3]。1974年(昭和49年)11月時点で約700人の収容者がおり、そのうち半分が無期懲役刑の受刑者だった[4]

また千葉地方裁判所へ起訴された刑事事件被告人は所内の拘置区に拘置(勾留)される[5]

収容定員

  • 1,150名

組織

所長以下、4部1室を擁する5部制施設である。

  • 総務部(庶務課、用度課、会計課)
  • 処遇部(処遇部門、作業部門)
  • 教育部
  • 医務部(保健課、医療課)
  • 分類審議室

外観・設備

千葉刑務所 正門

正門及び本館は、司法省建築技師の山下啓次郎の設計で1907年に竣工。現存する。

著名な受刑者

特記事項

  • 刑務作業として高級桐箪笥神輿工芸品・高級紳士靴など高い作業技術を要求される製品を生産している[24]
  • 初犯を扱うことなどから[24]、著名な受刑者や有名な事件の受刑者も多い。
  • 2010年(平成22年)7月には心神喪失状態で起訴後15年以上拘置されていた松戸ガソリンスタンド店長殺害事件(1992年発生)の被告人が両目に木製の箸を突き刺して自殺したほか[17]2015年(平成27年)2月にも独居房の受刑者が同様の方法で自殺している[25]
  • かつて収監されていたスーパーフリーの代表者は出所後の手記で「いじめのようなものは全くなかった」と述べた[8]
  • 1970年代には刑務所前で、100名以上の暴力団関係者が出所する幹部を出迎える「出所式」が行われることがあった[26]

脱獄

  • 1946年(昭和21年)9月3日 - 木更津刑務支所に面会に来た内妻が、看守に麻薬入りまんじゅうを食わせて逃走を手助けする事件が発生[27]
  • 1947年(昭和22年)1月1日 - 木更津刑務支所の受刑者12人が職員を舎房に閉じ込めた上で逃走。逮捕できず[28]
  • 1976年(昭和51年)4月28日 - 食堂で後片付けをしていた受刑者が脱走する事件が発生[29]

殺人

  • 1974年(昭和49年)7月3日 - 殺人罪などで無期懲役刑が確定[注 1]して千葉刑務所内に服役していた受刑者の男が、囚人仲間の男性受刑者(当時36歳、懲役11年で服役中)を隠し持っていた手製小刀(刃渡り8.5 cm)で刺殺する事件を起こした[32]。この男は1975年(昭和50年)6月3日に千葉地裁刑事第1部(鍬田日出夫裁判長)で求刑通り無期懲役の判決を言い渡され[32]、同月18日に同判決が確定、同年8月19日に千葉刑務所から岐阜刑務所へ移送されたが[33]、1980年(昭和55年)7月1日に岐阜刑務所から脱獄[34]、同月3日に静岡県島田市内で逮捕されるまで約40時間にわたって逃走する事件を起こした[35]
  • 2025年(令和7年)8月24日 - 受刑者が同室の受刑者を水筒で撲殺、逮捕された。水筒は熱中症対策として所持していたものであった[36]

脚注

参考文献

外部リンク

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