加古川刑務所
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処遇指標
最大収容定員
- 1,281人(一般区961人、交通区120人、女区200人)[2]
沿革
不祥事
2022年5月、26歳の男性刑務官による暴行事件が発生した。当該刑務官は工場の副担任にあたり、男性受刑者に対し口を開くよう指示し、消毒用アルコールを口内に噴射させる暴行を行なったとされる。2023年12月25日には被害を受けた元男性受刑者が会見を開き「死ね」などの暴言や裁縫道具を用いた身体への傷害被害を受けたことを証言した。2023年12月8日、この男性刑務官は特別公務員暴行陵虐容疑で神戸地検姫路支部に書類送検された[6][7]。
組織
令和7年度以降は、所長の下に3部1課を持つ3部制施設となっている。(令和6年度までは総務部、処遇部、医務課の2部制施設だった。[3])
- 総務部(庶務課、会計課、用度課)
- 企画調整部(警備、面会、訟務等)
- 矯正処遇部(矯正処遇(第一担当、第二担当)、作業、教育、調査支援)
- 医務課
外観・設備
一般区
犯罪傾向の進んでいない男子で、刑期10年未満の者を収容している[2]。一般区の3工場〜15工場(欠番あり)では、それぞれに割り当てられた製品加工や生産作業をしている[3]。また、上記の生産工場のほかにも、営繕、図書、統計、洗濯、訓練、内掃、炊場(外部委託で廃止)などの経理工場もある。 受刑者は、病棟と1寮〜5寮までの6つの寮に収容されて生活をしている。病棟と1寮と2寮と3寮は2階建てで、2階を上・1階を下と呼称。4寮と5寮は3階建てで、それぞれの階数を上・中・下と呼称。
病棟・1寮、2寮、4寮、5寮上が単独室(1寮と2寮下は調査・懲罰房)、病棟・3寮・5寮下・5寮中が共同室。※収容人数減少の為、共同室の3寮は廃止。※その他にも保護室や交通区や女区がある。
交通区
一般受刑者とは分離して、交通事犯の受刑者を収容する区画「交通区」が設けられている[2][8]。このため、千葉県の市原刑務所に対比して、西の「交通刑務所」としても知られる[1]。
- 配役
- 管理
- 作業・教育
- 工場は1工場と2工場を使用する。
- 配役した順に当番制度があり「工場週番」「寮週番」を行う[3]。
- 受刑者に対して、交通安全指導が行われる[3]。
- 敷地内の東端に100m×50mほどの大きさで、自動車教習所と同様の教習コースがあり、受刑中に仮運転免許を取得できる[3]。ただし出所後に仕事で必要、家族の同意を得ている、被害者の理解を得ていることが教習を受ける条件である[3]。
- 受刑者の中からしっかりした人物を選び、「衛生班」という受刑者の指導や、信任寮・交通区内の清掃、草刈、雑用、食堂の配食係を担当する係がいる[3]。衛生班の他に、「委員」という役割も設け、少しでも受刑者の更生になるように徹底させている[3]。委員は一つにつき各二名割り当てられ、役割は以下の通り。
- 厚生委員:更衣室・浴室の忘れ物の管理、理髪室での髭剃りを借りに来る人の徹底指導、入浴時の受刑者への声掛け、指導。
- 体育委員:朝、工場での体操の号令や、運動時の号令を掛ける。
- 文化委員:交通区限定で、自主・自立を目標として「月間目標」「週間目標」「月間努力目標」が定められていて(考えるのは衛生班と各委員)、決定した目標をPCで編集して信任寮や食堂に掲示したり、同じく交通区限定誌である「復帰台」の編集をする。
- 図書委員:集会室にある官本の貸し出しと返却の担当。
女子収容区(女区)
女子受刑者の増加に伴い、全国的に女子刑務所が定員超過となったことから、敷地内の南西側に女子収容区(女区)を新設し、2012年3月から受刑者の本格的な収容を開始した。男子の収容区画とは、壁で完全に隔離されている。また、女区の職員はほとんど女性である[9]。
著名な受刑者
- 廣田雅晴(元京都府警察巡査部長) - 1978年(昭和53年)7月、当時配属されていた西陣警察署の拳銃保管庫から同僚の拳銃(実包5発入り)を盗み、バイクで通りかかった男性に発砲したり、郵便局に強盗目的で押し入ったりなどの事件を起こした[10](逮捕後の同月24日付で懲戒免職処分)[11]。強盗傷人などの罪に問われ[10]、1981年(昭和56年)2月19日に大阪高裁で懲役7年の実刑判決を言い渡され[12]、加古川刑務所に服役した。しかし、服役中も京都府警に対する逆恨みの念を周囲に漏らしており[13]、仮出所してから5日後の1984年(昭和59年)9月4日に京都・大阪連続強盗殺人事件(警察庁広域重要指定115号事件)を起こし[14]、1998年(平成10年)に死刑判決が確定している[15]。
- 旅田卓宗(元和歌山市長) - 和歌山市の旅館を買い取る際に所有者である建設会社社長から現金300万円を受け取った収賄容疑で2003年(平成15年)1月に逮捕・起訴され、後に同市の料亭を迎賓館として借りる契約を結んだ際に若女将らに賃料などの名目で計約4900万円を支払い市に損害を与えたとして背任容疑で再逮捕・起訴された。2005年11月に和歌山地裁から懲役4年、追徴金300万円の実刑判決が言い渡され、大阪高裁への控訴を経て2010年2月22日に最高裁の上告棄却により実刑判決が確定した[16]。同年3月30日に収監され、5月28日に加古川刑務所に移送された。2013年2月23日に出所後は和歌山市内でカラオケ喫茶店を経営している[17]。