大豆谷八幡宮
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 大豆谷八幡宮 | |
|---|---|
|
| |
| 所在地 | 富山県南砺市利賀村大豆谷158 |
| 位置 | 北緯36度28分20.22秒 東経137度01分53.15秒 / 北緯36.4722833度 東経137.0314306度座標: 北緯36度28分20.22秒 東経137度01分53.15秒 / 北緯36.4722833度 東経137.0314306度 |
| 主祭神 | 誉田別命 |
| 地図 | |
大豆谷地域には大豆谷遺跡・大豆谷比丘尼屋敷跡・「経塚」などが存在し、五箇山内でも歴史ある集落である[3]。県の文化財でもある僧形八幡神像には「永和4年(1378年)」の銘があり、南北朝期には既に集落が存在したこと、また北朝の勢力圏であったこと(永和は北朝の年号)がわかる[4]。
地元の伝承によると、大豆谷では元々「おもての権現」「うらの権現」「こおやの権現」「きどの権現」など、それそれの屋号を冠した神をそれぞれの家で祀っていたという[5]。これらの神体はいつからから大豆谷八新宮に合祀されたが、永和4年(1378年)や明徳4年(1393年)等の銘があり、中世から神々への信仰があったことが分かる[5]。
大豆谷の神社については、既に正徳2年(1712年)の調査から記録があり、元文4年(1739年)の調査では「八尾山伏明寺持分」であったと記されている[6]。
僧形八幡神像
ヒノキ材の端麗な一木造りで、高さは39㎝、幅29㎝、奥行き26㎝で、背面に「永和4年(1378年)戌午4月24日」の銘がある[4]。年代の分かる富山県内の木造神像銘としては最も古いものであり、昭和47年10月5日に県の文化財に指定されている[7][1]。
地元の伝承によると元は尼寺の本尊であったとされ、実際に「大豆谷の比丘尼屋敷跡」と伝えられる場所には15世紀ごろのものと推定される2基の五輪塔が残っている[8]。南北朝時代は五箇山の集落が形成され始めた時期であり、「村殿」と呼ばれる集落の有力者が、自身の地位を正当化させようと作成したものではないかと推定される[9]。
岩座に腰をかけて左足を垂れ、右足は曲げて左膝頭にのせた、いわゆる半跏倚像が原型で、下部の蓮華座は後世に補われたものである[10]。一般的には右手に錫杖、左手に念珠である所を、右手に金剛杖、左手に宝珠を持たせており、外部から持ち込まれたものでなく地元で作成されたものであることが窺える[9]。