エリオ・カストロネベス
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| エリオ・カストロネベス Hélio Castroneves | |
|---|---|
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2022年 Borg-Warner Trophyイベントにて | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1975年5月10日(50歳) |
| 出身地 | サンパウロ州サンパウロ |
| インディカー・シリーズでの経歴 | |
| デビュー | 2001 |
| 車番 | 06 |
| 過去所属 |
チーム・ペンスキー メイヤー・シャンク・レーシング |
| 出走回数 | 140 |
| 優勝回数 | 20 |
| ポールポジション | 32 |
| シリーズ最高順位 | 2位 (2002 & 2008 & 2013 & 2014) |
| 過去参加シリーズ | |
| 1995 1996-1997 1998-2001 2001-継続中 2017-2023 |
イギリスF3選手権 インディ・ライツ CART インディカー・シリーズ IMSAスポーツカー選手権 |
| 選手権タイトル | |
| 2020 | IMSAスポーツカー選手権 DPiクラス |
| 受賞 | |
| 2001 2002 2009 2021 2022 2023 |
インディ500 優勝 インディ500 ルーキーオブザイヤー インディ500 優勝 インディ500 優勝 デイトナ24時間 DPiクラス優勝 インディ500 優勝 デイトナ24時間 DPiクラス優勝 デイトナ24時間 GTPクラス優勝 |
エリオ・アルベス・デ・カストロ・ネベス(Hélio Castroneves 本名:Hélio Alves de Castro Neves、1975年5月10日 - )は、ブラジル出身のレーシングドライバー。米国のインディカー・シリーズに長きに渡って参戦。特に、最高峰である「インディ500」において4度の優勝実績を持つ。
ブラジル南部の大都市、サンパウロで生まれる。10歳でレーシングカートを開始した。その後ジュニア・フォーミュラにステップアップし、ブラジル・フォーミュラ・シボレー、南米F3選手権とキャリアを積んだ。
キャリアアップのためにイギリスへ渡り、1995年のイギリスF3選手権にポール・スチュワート・レーシングから参戦。チームメイトはラルフ・ファーマンだった。年間ランキングでファーマンが2位、カストロネベスが3位となった。
1996年よりアメリカに渡り、タスマン・レーシングからインディライツ選手権に参戦、チームメイトはトニー・カナーンだった。参戦初年度で1勝を挙げランキング7位を獲得。翌1997年も同体制で参戦、カナーンとクリスチアーノ・ダ・マッタの3名でチャンピオン争いとなった。カストロネベスはシーズン中盤までに3勝を挙げたが、第10戦・第11戦とポイントを取りこぼし、チャンピオンはカナーンが獲得。4ポイント及ばずランキング2位となった。
1998年よりアメリカのトップカテゴリーであるCARTにベッテンハウゼン・モータースポーツからデビュー。翌1999年にはJ.J.レートの後任としてホーガン・レーシングに移籍するが、このチームはボディーに大きくチーム名がプリントされるだけの資金難のチームで、チームの戦闘力が劣ることもあり時折光る走りを見せるも中段の成績しか残せなかった。シーズン終盤にチームがこのシーズン限りでの撤退を発表、最終戦もメルセデス(イルモア)エンジンが派手なエンジンブローを起こしリタイヤ、カストロネベスはこれでシートを失うことになると思われていた。
しかし、その最終戦で翌年からのチーム・ペンスキー移籍が決まっていたグレッグ・ムーアが決勝レース中の事故で死去。カストロネベスはムーアの代わりとして翌年からチーム・ペンスキーに移籍する。
トップチームのチーム・ペンスキーに所属してからは速さを見せ、CART、2002年より移籍したインディカー・シリーズでもトップドライバーとして活躍した。2001年と2002年には2年連続でインディ500で優勝し、2009年には3度目の優勝を果たした。また2002年のインディカー・シリーズへのフル参戦以来、フル参戦を勇退する2017年まで(2011年を除く)全ての年でランキング6位以内に入り安定した成績を残しているが、シーズンタイトルとは縁がなかった。
2018年以降はスポーツカーレースにフル参戦し、インディカーはスポット参戦に移行。2020年、ウェザーテック・スポーツカー選手権(ユナイテッド・スポーツカー選手権)年間初制覇を置き土産に長年在籍したチーム・ペンスキーを離れた[1]。インディカーのシーズン終盤には、クラッシュの影響で欠場したオリバー・アスキューの代役としてアロー・マクラーレン・SPから参戦した。
2021年はメイヤー・シャンク・レーシングに移籍し、インディ500など一部レースのみの契約で参戦。ウェザーテック・スポーツカー選手権へも参戦を継続し、同年のデイトナ24時間レースで初優勝[2]を飾り、さらにインディ500で歴代最多に並ぶ4勝目を挙げた[3]。これらの好成績の結果として翌シーズンから同チームとフル参戦契約を結び、5年ぶりにインディカーへ完全復帰を果たした[4]。
2023年、LMDh規定車両のデビューレースとなったデイトナ24時間レースにおいて自身3度目の総合優勝に輝いた。これにより2021年と2022年に続いて、最高峰クラスにおいて3連覇を達成した。
2024年はメイヤー・シャンク・レーシングからインディカーフル参戦ではなく、インディ500のみに参戦すると発表された。48歳となりインディカーでは最年長ドライバーであり、去就についての質問も受けるようになっていたが、「私は引退寸前なんかじゃないよ。まだ止まりたくないし、長年やってきた経験値を考慮すれば、続けないともったいないと思っているんだ。本当はフル参戦したかったがそれは崩れてしまった。IMSAのGTカテゴリー(ウェサーテック・スポーツカー選手権)にもまだまだ出るつもりで機会を積極的に探しているんだ。」と述べて、近い将来の引退を強く否定した[5]。
人物
スパイダーマン
2000年のCARTチャンピオンシップシリーズ第7戦デトロイトで初優勝を飾った際に、コースと観客席を隔てる金網によじ登るパフォーマンスを見せたところ、これが観客や関係者に大うけしたことから[7]、それ以後レースで優勝すると必ず「金網登り」を見せるのが恒例となっている(最近ではチームスタッフも一緒になって金網に登っている)。そのため「スパイダーマン」の異名を持ち、観客からは彼が優勝すると「Come On!」と書いたプラカードを掲げて、金網登りを扇動する光景が見られる。
2021年インディ500制覇の際、勝利者のセレモニー行程に組み込まれていないスパイダーマンのパフォーマンスを行い、全ての行程が後ろ倒しとなったが、史上4人目の4勝ドライバーとなったこともあり特例として急遽公式プログラムとして扱われた。
脱税容疑事件
2008年10月2日、米検察当局は国内で555万ドルの所得を隠した脱税容疑でカストロネベスを起訴した。ALMS最終戦にポルシェ・RSスパイダーで参戦予定だったカストロネベスはマイアミの連邦裁判所に出廷し自らの無罪を主張したが、有罪の場合は最大で懲役35年の可能性があった。カストロネベスは1000万ドルの保釈金を支払ったが、アメリカ国外への渡航が認められなくなるためオーストラリアのサーファーズ・パラダイスで行われるIRLオールスター戦への出場が困難となった。その後逃亡の可能性は低いと判断されたため出場は認められた。裁判の結果次第では2009年のインディカー参戦も危ぶまれたが、第2戦のロングビーチ市街地コースの初日のプラクティス開始の数時間前に無罪判決が出たため、このレースからインディカーに復帰した。
