山浅龍之介
日本のプロ野球選手
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経歴
プロ入り前
由利本荘市立小友小学校2年時に「小友ジグザグ野球スポーツ少年団」で軟式野球を始めたことがきっかけで、将来のプロ(NPB)入りを志していた。
「小友ジグザグ」はかつて「学童野球の東北大会における常連」と呼ばれるほどの強豪チームであったが、由利本荘市の界隈で少子化が進んでいる影響で、山浅が入団した時点では6年生が対象の大会に3年生を出さざるを得ないほどにまで団員が減っていた。山浅の同期生がチームに1人しかいなかったこともあって、本人は3年時から、東北楽天ゴールデンイーグルス(楽天野球団)が秋田市内で運営している「楽天イーグルスアカデミー ベースボールスクール」の秋田校にも通学。両親の勧めで通学を始めた[3]が、6年時には、「東北楽天ジュニアチーム」の選抜メンバーとしてNPB12球団ジュニアトーナメントに出場した[2][4]。
中学校への進学に際しては、「全国の(野球の)レベルを知りながら(選手としての)実力を付けなければプロになれないので、どうせなら東北地方でもレベルの高いチームに入りたい」との想いから、楽天野球団傘下の「東北楽天リトルシニア」でプレーを続けることを熱望していた。両親も「東北楽天リトルシニア」への参加を勧めていたが、チームの練習拠点が実家から自動車でも片道で3時間の移動を要する宮城県仙台市に所在することから、実際には実父(自営業者)を除く家族(本人と実母と実妹)が仙台市の近隣地域(富谷市内)に転居することで対応[3][5]。転居後は、富谷市立東向陽台中学校に通いながら、「東北楽天リトルシニア」で元プロ野球選手(ゴールデンイーグルスOBの専属コーチ)から指導を受けていた[3]。
中学校からの卒業後に福島県の聖光学院高等学校へ進学したが、本人曰く「東北楽天リトルシニアで捕手としてのプレーを基本から教わっていたおかげで、(在学中は)守備面での技術指導を一切受けなかった」という[3]。1年秋の福島県大会からベンチ入りを果たすと、2年時(2021年)の春に正捕手として第94回選抜高等学校野球大会に出場。3年時(2022年)には、チームを第104回全国高等学校野球選手権大会での準決勝進出と、第77回国民体育大会・野球競技での準優勝に導いた[2]。
2022年10月20日に開催されたNPBドラフト会議で、中日ドラゴンズから4巡目で指名され、11月9日に契約金3500万円、年俸600万円(金額は推定)という条件[6]で、「東北楽天リトルシニア」の出身者から初めてのプロ野球選手になった[3]。背番号は57[7]。
中日時代
2023年の春季キャンプでは、高卒新人では高橋周平以来となる一軍メンバー入りを果たし[8][9]、オープン戦の途中まで一軍に帯同していた。レギュラーシーズンの開幕は二軍で迎えた[10]が、5月10日の広島東洋カープ戦で、8回表の守備からプロ初出場。石橋康太以来、球団史上3人目となる高卒新人捕手の一軍出場であった[11]。その後5試合に出場するも、安打は出ないまま5月27日に出場選手登録を抹消された[12]。抹消後の7月18日には、ブライト健太の故障による出場辞退を受けてフレッシュオールスターゲームに出場している[13][14]。
2024年は、一軍では3試合に出場するも打席に立つことはなく、二軍でも打率.167(72打数12安打)と低迷するなど苦しいシーズンとなった[15]。11月9日に現状維持の推定年俸610万円で契約を更改した[15]。11月18日の練習中にフェンスに激突、脾臓損傷と診断され同日中にカテーテル手術を受け、12月2日に退院した[16]。
2025年は一軍での出場がなく、二軍では15試合に出場して打率.067の成績だった[17]。10月27日、球団より戦力外通告を受け、育成選手での再契約を打診された[17]。11月18日に育成選手としての契約に合意し、年俸400万円で契約を更改した[18]。背番号は206に変更された[19]。