平鹿町樽見内
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 平鹿町樽見内 | |
|---|---|
| 大字 | |
北緯39度16分10秒 東経140度27分30秒 / 北緯39.26931度 東経140.45825度座標: 北緯39度16分10秒 東経140度27分30秒 / 北緯39.26931度 東経140.45825度 | |
| 国 |
|
| 都道府県 |
|
| 市町村 |
|
| 地域 | 平鹿地域 |
| 人口情報(2020年10月1日現在[1]) | |
| 人口 | 706 人 |
| 世帯数 | 224 世帯 |
| 設置日 | 1957年6月20日[2] |
| 郵便番号 | 013-0104[3] |
| 市外局番 | 182[4] |
| ナンバープレート | 秋田 |
平鹿町樽見内(ひらかまちたるみない)は、秋田県横手市の大字。郵便番号は013-0104[3]。人口は706人、世帯数は224世帯(2020年10月1日現在)[1]。住居表示は全域で未実施[5]。旧平鹿郡平鹿町樽見内、旧平鹿郡雄物川町大字樽見内、旧平鹿郡里見村大字樽見内、旧平鹿郡樽見内村に概ね相当する。
地名の由来
横手市の南西部[6]、平鹿地域の南西部に位置しており、水田中心の農村地帯である[2]。中央部を国道107号が東西に横断しており、その沿線の樽見内集落を中心に、小規模な集落が点在している[2]。
全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている[7]。都市計画法上の用途地域には指定されていない[8]。
アイヌ語でオタは砂、ルは路を意味し、これを組み合わせたものが北海道の小樽の地名となったとされる[9]。同様に、オを除いた「タル」に「ミンナイ」を付したものが「樽見内」であり、砂の多い川端を意味する地名と推定されている[9]。また、菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』によれば、砂地を流れる沢を意味する「オタルナイ」に由来するとある[6]。
小字
2024年(令和6年)10月5日時点での「横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ」[10]、デジタル庁公表の「アドレス・ベース・レジストリ」の「秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット」[11]、横手市公表のオープンデータ[12]によれば、平鹿町樽見内の小字は以下の通りである。
| 町・字 | 出典 | |||
|---|---|---|---|---|
| 大字 | 小字 | 登記[10] | 町字マスター[11] | 行政区一覧[12] |
| 平鹿町樽見内 | 字相川野 | ○ | ○ | ○ |
| 字小豆田 | ○ | ○ | ○ | |
| 字新処 | ○ | ○ | ○ | |
| 字新屋 | ○ | ○ | ○ | |
| 字上野 | ○ | ○ | × | |
| 字扇田 | ○ | ○ | ○ | |
| 字大釜 | ○ | ○ | ○ | |
| 字大槻 | ○ | ○ | × | |
| 字小勝田 | ○ | ○ | × | |
| 字海道添 | ○ | ○ | ○ | |
| 字上荒屋 | ○ | ○ | × | |
| 字柄内 | ○ | ○ | ○ | |
| 字北沢 | ○ | ○ | ○ | |
| 字腰廻 | ○ | ○ | × | |
| 字下小豆田 | ○ | ○ | × | |
| 字下荒屋 | ○ | ○ | × | |
| 字宿尻 | ○ | ○ | ○ | |
| 字新関添 | ○ | ○ | ○ | |
| 字砂子田 | ○ | ○ | ○ | |
| 字高畑 | ○ | ○ | ○ | |
| 字土田 | ○ | ○ | ○ | |
| 字中在家 | ○ | ○ | ○ | |
| 字西柄内 | ○ | ○ | ○ | |
| 字西ノ要害 | ○ | ○ | ○ | |
| 字八幡後 | ○ | ○ | × | |
| 字平清水 | ○ | ○ | ○ | |
| 字広田面 | ○ | ○ | × | |
| 字笛吹田 | ○ | ○ | ○ | |
| 字福田 | ○ | ○ | ○ | |
| 字婦気 | ○ | ○ | ○ | |
| 字古館 | ○ | ○ | ○ | |
| 字堀田 | ○ | ○ | ○ | |
| 字松木橋 | ○ | ○ | × | |
| 字水尻 | ○ | ○ | × | |
| 字道下 | ○ | ○ | ○ | |
| 字道添 | ○ | ○ | × | |
| 字三ッ屋 | ○ | ○ | ○ | |
| 字明神 | ○ | ○ | ○ | |
| 字薬師前 | ○ | ○ | ○ | |
歴史
樽見内では、鎌倉時代の堀田Ⅰ・Ⅱ遺跡などが発掘調査されている。このうち、堀田Ⅰ遺跡からは集落跡の遺構が確認され、中国製の陶磁器(青磁)や、土坑墓から烏帽子が出土した[13][14]。年代測定の結果、烏帽子は1163年から1221年のもので、奥州藤原氏3代藤原秀衡から鎌倉幕府3代源実朝の時期に相当するとされる[13]。この埋葬者は当地を治めた領主階層に属していたと推定されている。烏帽子の出土例は全国でも30数件と少なく、秋田県内では初の例である[13]。秋田県では鎌倉時代の文献資料が乏しいため、この烏帽子の出土によって、平鹿町一帯に社会的に高位の人物が存在したことを示すものとされている[13]。
字古館には樽見内古館と称される中世の城館跡があり、周辺には堀田や宿尻、西ノ要害といった関連する地名が点在する[15]。
江戸時代には出羽国平鹿郡のうちであり、親郷浅舞郷の寄郷であった[6]。石高は『正保国絵図』および『元禄7郡絵図』では776石とあるが、これは東里・砂子田も含まれているという[6]。『享保黒印高帳』では村高1,240石余、当高1,103石余、『寛政村附帳』では831石余とある[6]。戸数は『享保郡邑記』で81軒、『秋田風土記』で80軒とある[6]。『六郡郡邑記』では枝郷に、中ノ在村、水里境村、柄内村、荒屋村、小豆田村、平清水村、古館村が見える[16]。菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』では、水里境村は薬師村へ改称し、荒屋村が廃村に、高畑村の新出が見える[16]。
町村制の施行により、1889年に樽見内村は里見村の一部となり、 1955年には雄物川町の一部となった。雄物川町への合併後、樽見内においては平鹿町への分町運動が勃発し[17]、1957年に平鹿町へと分町した[6]。
沿革
- 1872年(明治5年)2月 - 秋田県第14大区第6小区に属する[18]。
- 1873年(明治6年)7月 - 秋田県第6大区第5小区に属する[19]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、東里村・樽見内村・砂子田村・造山村が合併し、里見村となる[20]。樽見内村は里見村大字樽見内となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 沼館町・里見村・福地村・明治村の一部が合併し、雄物川町となる[21]。雄物川町大字樽見内となる。
- 1957年(昭和32年)6月20日 - 雄物川町大字樽見内の全域、大字砂子田・大字造山の各一部[2]が平鹿町に編入[21][22][23]。平鹿町大字樽見内となる。
- 1979年(昭和54年) - 浅舞公民館樽見内分館が開館[24]。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 〈旧〉横手市と平鹿町を含む平鹿郡5町2村が合併し、横手市となる[25]。横手市平鹿町樽見内となる。
世帯数と人口
2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 大字 | 小字 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|---|
| 平鹿町樽見内 | 字砂子田 | 37世帯 | 118人 |
| 字古館 | 72世帯 | 241人 | |
| 字堀田 | 49世帯 | 135人 | |
| 字相川野 | 32世帯 | 109人 | |
| 字高畑 | 34世帯 | 103人 | |
| 計 | 224世帯 | 706人 | |
人口・世帯数の推移
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。
| 年 | 人口 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[26] | 1,051 |
| 2000年(平成12年)[27] | 1,008 |
| 2005年(平成17年)[28] | 925 |
| 2010年(平成22年)[29] | 847 |
| 2015年(平成27年)[30] | 790 |
| 2020年(令和2年)[1] | 706 |
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。
| 年 | 世帯数 |
|---|---|
| 1995年(平成7年)[26] | 225 |
| 2000年(平成12年)[27] | 247 |
| 2005年(平成17年)[28] | 247 |
| 2010年(平成22年)[29] | 235 |
| 2015年(平成27年)[30] | 232 |
| 2020年(令和2年)[1] | 224 |
