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平鹿町樽見内

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日本 > 秋田県 > 横手市 > 平鹿町樽見内
平鹿町樽見内
大字
北緯39度16分10秒 東経140度27分30秒 / 北緯39.26931度 東経140.45825度 / 39.26931; 140.45825座標: 北緯39度16分10秒 東経140度27分30秒 / 北緯39.26931度 東経140.45825度 / 39.26931; 140.45825
国 日本の旗 日本
都道府県 秋田県の旗 秋田県
市町村 横手市
地域 平鹿地域
人口情報(2020年10月1日現在[1])
 人口 706 人
 世帯数 224 世帯
設置日 1957年6月20日[2]
郵便番号 013-0104[3]
市外局番 182[4]
ナンバープレート 秋田
ポータルアイコン ポータル 日本の町・字
ポータルアイコン ポータル 秋田県
プロジェクト 日本の町・字
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平鹿町樽見内(ひらかまちたるみない)は、秋田県横手市の大字。郵便番号は013-0104[3]。人口は706人、世帯数は224世帯(2020年10月1日現在)[1]。住居表示は全域で未実施[5]。旧平鹿郡平鹿町樽見内、旧平鹿郡雄物川町大字樽見内、旧平鹿郡里見村大字樽見内、旧平鹿郡樽見内村に概ね相当する。

地名の由来

横手市の南西部[6]、平鹿地域の南西部に位置しており、水田中心の農村地帯である[2]。中央部を国道107号が東西に横断しており、その沿線の樽見内集落を中心に、小規模な集落が点在している[2]。

全域が都市計画区域に含まれるが、区域区分非設定区域となっている[7]。都市計画法上の用途地域には指定されていない[8]。

アイヌ語でオタは砂、ルは路を意味し、これを組み合わせたものが北海道の小樽の地名となったとされる[9]。同様に、オを除いた「タル」に「ミンナイ」を付したものが「樽見内」であり、砂の多い川端を意味する地名と推定されている[9]。また、菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』によれば、砂地を流れる沢を意味する「オタルナイ」に由来するとある[6]。

小字

2024年(令和6年)10月5日時点での「横手市(秋田地方法務局大曲支局)登記所備付地図データ」[10]、デジタル庁公表の「アドレス・ベース・レジストリ」の「秋田県 横手市 町字マスター(フルセット) データセット」[11]、横手市公表のオープンデータ[12]によれば、平鹿町樽見内の小字は以下の通りである。

町・字 出典
大字 小字 登記[10] 町字マスター[11] 行政区一覧[12]
平鹿町樽見内 字相川野 ○ ○ ○
字小豆田 ○ ○ ○
字新処 ○ ○ ○
字新屋 ○ ○ ○
字上野 ○ ○ ×
字扇田 ○ ○ ○
字大釜 ○ ○ ○
字大槻 ○ ○ ×
字小勝田 ○ ○ ×
字海道添 ○ ○ ○
字上荒屋 ○ ○ ×
字柄内 ○ ○ ○
字北沢 ○ ○ ○
字腰廻 ○ ○ ×
字下小豆田 ○ ○ ×
字下荒屋 ○ ○ ×
字宿尻 ○ ○ ○
字新関添 ○ ○ ○
字砂子田 ○ ○ ○
字高畑 ○ ○ ○
字土田 ○ ○ ○
字中在家 ○ ○ ○
字西柄内 ○ ○ ○
字西ノ要害 ○ ○ ○
字八幡後 ○ ○ ×
字平清水 ○ ○ ○
字広田面 ○ ○ ×
字笛吹田 ○ ○ ○
字福田 ○ ○ ○
字婦気 ○ ○ ○
字古館 ○ ○ ○
字堀田 ○ ○ ○
字松木橋 ○ ○ ×
字水尻 ○ ○ ×
字道下 ○ ○ ○
字道添 ○ ○ ×
字三ッ屋 ○ ○ ○
字明神 ○ ○ ○
字薬師前 ○ ○ ○

歴史

樽見内では、鎌倉時代の堀田Ⅰ・Ⅱ遺跡などが発掘調査されている。このうち、堀田Ⅰ遺跡からは集落跡の遺構が確認され、中国製の陶磁器(青磁)や、土坑墓から烏帽子が出土した[13][14]。年代測定の結果、烏帽子は1163年から1221年のもので、奥州藤原氏3代藤原秀衡から鎌倉幕府3代源実朝の時期に相当するとされる[13]。この埋葬者は当地を治めた領主階層に属していたと推定されている。烏帽子の出土例は全国でも30数件と少なく、秋田県内では初の例である[13]。秋田県では鎌倉時代の文献資料が乏しいため、この烏帽子の出土によって、平鹿町一帯に社会的に高位の人物が存在したことを示すものとされている[13]。

字古館には樽見内古館と称される中世の城館跡があり、周辺には堀田や宿尻、西ノ要害といった関連する地名が点在する[15]。

江戸時代には出羽国平鹿郡のうちであり、親郷浅舞郷の寄郷であった[6]。石高は『正保国絵図』および『元禄7郡絵図』では776石とあるが、これは東里・砂子田も含まれているという[6]。『享保黒印高帳』では村高1,240石余、当高1,103石余、『寛政村附帳』では831石余とある[6]。戸数は『享保郡邑記』で81軒、『秋田風土記』で80軒とある[6]。『六郡郡邑記』では枝郷に、中ノ在村、水里境村、柄内村、荒屋村、小豆田村、平清水村、古館村が見える[16]。菅江真澄の『雪の出羽路 平鹿郡』では、水里境村は薬師村へ改称し、荒屋村が廃村に、高畑村の新出が見える[16]。

町村制の施行により、1889年に樽見内村は里見村の一部となり、 1955年には雄物川町の一部となった。雄物川町への合併後、樽見内においては平鹿町への分町運動が勃発し[17]、1957年に平鹿町へと分町した[6]。

沿革

世帯数と人口

2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。

大字小字世帯数人口
平鹿町樽見内 字砂子田 37世帯 118人
字古館 72世帯 241人
字堀田 49世帯 135人
字相川野 32世帯 109人
字高畑 34世帯 103人
計 224世帯 706人

人口・世帯数の推移

以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。

平鹿町樽見内の人口推移
年 人口
1995年(平成7年)[26]
1,051
2000年(平成12年)[27]
1,008
2005年(平成17年)[28]
925
2010年(平成22年)[29]
847
2015年(平成27年)[30]
790
2020年(令和2年)[1]
706

以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の世帯数の推移。

平鹿町樽見内の世帯数推移
年 世帯数
1995年(平成7年)[26]
225
2000年(平成12年)[27]
247
2005年(平成17年)[28]
247
2010年(平成22年)[29]
235
2015年(平成27年)[30]
232
2020年(令和2年)[1]
224

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[31]。

小字小学校中学校
全域横手市立浅舞小学校横手市立平鹿中学校

交通

鉄道

域内に駅はない。最寄り駅は■奥羽本線の醍醐駅。

1971年まで、横荘線が通っていたが、駅はなかった。

道路

バス

羽後交通[32]
  • 相川野(横手・本荘線)
  • 樽見内(横手・本荘線)
  • 樽見内地蔵尊前(横手・本荘線)
  • 古館(横手・本荘線)
横手市コミュニティバス[32]
  • 砂子田(蛭野石成線)
  • 小豆田(蛭野石成線)

施設

  • 圓能寺(字扇田49番地)
    山号:金峰山、宗派:曹洞宗、本尊:釈迦牟尼仏[33]
    明治27年(1896年)に罹災しており、寺に関する記録はあまり残っていない[33]。五代雲祥の記録によれば、本堂の再建は三世祖教真禅によるもので、天保3年(1832年)に遷化していることから、天保年間の再建と推定されている[33]。その後の本堂は仮設であったが、1983年(昭和58年)10月に新築された[33]。
  • 樽見内保育園(字扇田65番地)[34]
  • 横手市浅舞地区交流センター樽見内分館(字扇田83番地2)[35]
  • 樽見内農村公園(字扇田139番地)[36]

脚注

外部リンク

参考文献

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