普門寺 (藤沢市)
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位置
北緯35度20分14.8秒 東経139度28分22秒 / 北緯35.337444度 東経139.47278度座標: 北緯35度20分14.8秒 東経139度28分22秒 / 北緯35.337444度 東経139.47278度
山号
密厳山[1]
院号
遍照院[1]
| 普門寺 | |
|---|---|
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| 所在地 | 神奈川県藤沢市本鵠沼五丁目4番12号 |
| 位置 | 北緯35度20分14.8秒 東経139度28分22秒 / 北緯35.337444度 東経139.47278度座標: 北緯35度20分14.8秒 東経139度28分22秒 / 北緯35.337444度 東経139.47278度 |
| 山号 | 密厳山[1] |
| 院号 | 遍照院[1] |
| 宗旨 | 古義真言宗[1] |
| 宗派 | 高野山真言宗 |
| 寺格 | もと三島山感應院三十二か寺 |
| 本尊 | 不動明王[1] |
| 創建年 | 大永8年/享禄元年(1528年) |
| 開基 | 権少都長良元 |
| 中興年 | 延宝4年(1676年)以前 |
| 中興 | 善龍[1]、生田浄耕 |
| 正式名 |
密厳山 遍照院 普門寺 密嚴山 遍照院 普門寺 |
| 札所等 | 相模国準四国八十八箇所霊場 |
| 法人番号 | 7021005000258 |
普門寺(ふもんじ)は、神奈川県藤沢市本鵠沼にある高野山真言宗の寺。相模国準四国八十八箇所のうち第四十七番札所と第八十八番結願の札所がある。1872年(明治5年)から1913年(大正2年)まで、藤沢市立鵠沼小学校の前身である鵠沼学舎、尋常高等鵠沼小学校が置かれていた[2]。
伽藍
- 本堂
- 木造瓦葺きの現本堂が中興・生田浄耕により建立されたのは1878年(明治11年)5月11日のことであった。13日、遷仏式が挙行された。その後1982年(昭和57年)5月4日に本堂を改修し、客殿・庫裏を新築した。
- 鐘楼
- 准四国八十八箇所供養塔
- 大師堂
- 祇園天王堂 – 牛頭天王
- 江戸時代、疫病が流行したときに造立された。7月14日、祇園天王祭が催される。
- 山門 – 木造瓦葺き
境外施設
歴代住持墓所
山門を出て藤沢市立鵠沼小学校正門前の道路を行った左側台上(本鵠沼5-2)にある。
- 法印権大僧都受元 – 三十五世、元禄15年(1702年)8月8日、入寂。巨大な五輪塔。
- その右側にも同様、巨大な五輪塔が立っている。
- 宥資上人墓碑 – 元和3年(1617年)6月12日入寂。笠塔婆型。
- 生田浄耕の墓 – 普門寺中興の祖。1898年(明治31年)7月17日64歳で入寂。四段の礎石の上に塔婆型の墓石。
大東観音堂
鵠沼小学校前交差点を東に入った藤沢市本鵠沼2-4-36にあった。現在は大東町内会館が建ち、その一室にかつての普門寺本尊だった十一面観音像が祀られている。
- 十一面観音像 – 高さ110cm、寄木造で厨子内に安置されている。
- 相模国準四国八十八箇所七十九番札所 – 町内会館の東側にある。赤く塗られたトタン葺き方形屋根の大師堂に石造弘法大師坐像が安置されている。
相模国準四国八十八箇所

浅場太郎右衛門(鵠沼村最南部の堀川在住)は下総国利根川下流部に四国八十八箇所札所の砂を埋めた新四国八十八箇所相馬霊場があるのを知り、相模にも同趣旨の巡礼場を開設しようと普門寺の僧善応密師に相談、その候補地の選定と交渉を行った。文化14年(1817年)、善応の弟子で、当時大東の観音堂の庵主をしていた浄心に依頼して、四国八十八箇所の霊場の砂と宝印を集めさせた。それを現在の鎌倉市、横浜市泉区、藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町にまたがる設定の場所に埋め、標示石を立てるとともに、大師像と御堂を建てた。しかし、太郎右衛門は霊場造営中途の文政10年(1827年)8月30日に没し、その遺業は、同名を襲名した子(弘化4年(1847年)9月12日没)に引き継がれた。太郎右衛門親子二代の墓石の側面には、父の方に「願主の墓」、子の方に「土砂加持起願之墓」と刻してある。普門寺には四十七番札所と結願の八十八番札所がある。
