本北方
From Wikipedia, the free encyclopedia
地価
歴史
沿革
- 1869年(明治2年) - 葛飾県葛飾郡北方(ぼっけ)村となる。
- 1871年(明治4年) - 廃藩置県、県の統合により印旛県葛飾郡北方村となる。
- 1873年(明治6年) - 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡北方村となる。
- 1889年(明治22年) - 東葛飾郡中山村、鬼越村、若宮村、高石神村と合併し、東葛飾郡中山村大字北方となる。
- 1924年(大正13年)8月10日 - 中山村が町制施行。東葛飾郡中山町大字北方となる。
- 1934年(昭和9年)11月3日 - 市川町、八幡町、国分村と合併、市制施行。市川市大字北方となる。
- 1951年(昭和26年)12月1日 - 市内の大字を町に変更。それに伴い、市川市北方町(ぼっけまち)一丁目 - 四丁目となる。
- 1969年(昭和44年)9月1日 - 住居表示施行。市川市本北方(もときたかた)一丁目 - 二丁目となる。
- 1970年(昭和45年)9月25日 - 北方町四丁目の一部を本北方二丁目に編入。また、本北方二丁目の一部を北方町四丁目に編入。
- 1971年(昭和46年)6月25日 - 本北方二丁目の一部と北方町四丁目の一部より本北方三丁目を設置。
地名の由来
旧来の「ぼっけ」ではなく「きたかた」としたのは、「ぼっけ」が難読地名であることに配慮しこれを読みやすくしたものである。また、「北方」(きたかた)の前身である北方(ぼっけ)は
- 崖の意味である「ぼっけ」より。
- 当地に住んだ閑院家の呼び名が北家(ほっけ)であったから。
- 中山領主の北の方が住んでいたことから北方と呼ばれていたから。
という説がある。