八幡 (市川市)
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| 八幡 | |
|---|---|
| 町丁 | |
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葛飾八幡宮 | |
北緯35度43分24.99秒 東経139度55分40.26秒 / 北緯35.7236083度 東経139.9278500度座標: 北緯35度43分24.99秒 東経139度55分40.26秒 / 北緯35.7236083度 東経139.9278500度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市町村 |
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| 人口情報(2025年(平成29年)3月31日現在[1]) | |
| 人口 | 13,767 人 |
| 世帯数 | 7,420 世帯 |
| 面積 | |
| 1.011 km² | |
| 人口密度 | 13617.21 人/km² |
| 設置日 | 1967年(昭和42年)2月1日 |
| 郵便番号 | 272-0021[2] |
| 市外局番 | 047[3] |
| ナンバープレート | 市川 |
八幡(やわた)は、千葉県市川市にある町丁であり、旧葛飾郡のち東葛飾郡八幡町、旧東葛飾郡八幡町大字八幡町、旧市川市大字八幡、旧市川市八幡町に概ね相当する。現行行政地名は八幡一丁目から八幡六丁目。郵便番号は272-0021[2]。
地価

市川市北部から中央部に位置する高級住宅地。JR総武線・都営地下鉄新宿線本八幡駅と京成本線京成八幡駅を中心に商業地となっているほか、市川市の行政上の中心地となっている。地域内には市川市役所、市川市消防局本部・東消防署、市川市民会館、中央公民館、不二女子高等学校が置かれる。また、「入ったら出られない藪や迷路」の慣用句で知られる「八幡の藪知らず」が当地にあるほか、下総国総鎮守の葛飾八幡宮が立地する。
地域の南部にJR総武線、国道14号(千葉街道)、京成本線、都営新宿線が通り、市川市の中心駅である本八幡駅、京成八幡駅が所在する。江戸時代には佐倉街道(成田街道)の八幡宿が存在していた。
また、小説家の永井荷風や、シナリオの作家水木洋子が晩年まで居住した地であり、永井荷風の作品「断腸亭日乗」「葛飾土産」や、伊藤左千夫の「八幡の森」などに当地が描かれている。永井荷風は、京成八幡駅近くの自宅で終焉を迎え、同駅付近には「荷風の散歩道」(八幡小学校前通り)と名付けられた通りなどが残っている。それは当地と隣接した菅野に住んでいた幸田露伴の娘、幸田文などが買物したり、駅への行き帰りに利用した道でもあり、葛飾八幡宮近くには、昭和20年代に活躍した人気歌手岡晴夫が住んでいた。同八幡宮には顕彰碑が建てられている。
東は鬼越・北方・本北方、西は菅野・平田、南は南八幡、北は東菅野と接している。
2026年の公示地価によれば、住宅地が八幡4-12-9の地点で45万円/m2、商業地が八幡2-16-6の地点で278万円/m2となっている[4]。
沿革
- 1869年(明治2年) - 葛飾県葛飾郡八幡町となる。
- 1871年(明治4年) - 廃藩置県、県の統合により印旛県葛飾郡八幡町となる。
- 1873年(明治6年) - 県の統合により千葉県葛飾郡八幡町となる。
- 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法により下総国葛飾郡の千葉県部分が東葛飾郡と改称され、東葛飾郡八幡町となる。
- 1889年(明治22年) - 東葛飾郡菅野村、宮久保村と合併し、東葛飾郡八幡町大字八幡となる。
- 1934年(昭和9年)11月3日 - 市川町、中山町、国分村と合併、市制施行。市川市大字八幡となる。
- 1951年(昭和26年)12月1日 - 市内の大字を町に変更。それに伴い、市川市八幡町となる。
- 1967年(昭和42年)2月1日 - 住居表示実施。市川市八幡一丁目 - 八幡六丁目となる。
地名の由来
当地にある「葛飾八幡宮」から。
経済
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
| 丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|---|
| 八幡一丁目 | 8~24番 | 市川市立冨貴島小学校 | 市川市立第六中学校 |
| 1~7番 | 市川市立第三中学校 | ||
| 八幡二丁目 | 全域 | 市川市立八幡小学校 | |
| 八幡三丁目 | 全域 | ||
| 八幡四丁目 | 全域 | ||
| 八幡五丁目 | 全域 | 市川市立冨貴島小学校 | |
| 八幡六丁目 | 2~24番 27~30番 | ||
| 1番 | 市川市立八幡小学校 | ||
| 25~26番 31~35番 | 市川市立北方小学校 | 市川市立下貝塚中学校 |

