洗濯する女 (グルーズ)

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製作年1761年
寸法40.6 cm × 33 cm (16.0 in × 13 in)
『洗濯する女』
フランス語: La Blanchisseuse
英語: The Laundress
作者ジャン=バティスト・グルーズ
製作年1761年
素材キャンバス上に油彩
寸法40.6 cm × 33 cm (16.0 in × 13 in)
所蔵J・ポール・ゲティ美術館ロサンゼルス

洗濯する女』(せんたくするおんな、: La Blanchisseuse: The Laundress)は、18世紀フランスの画家ジャン=バティスト・グルーズが1761年にキャンバス上に油彩で制作した風俗画で、2点のヴァージョンがある。「洗濯する女」の主題は、とりわけフランスにおいて人気のあるものであった[1]

『洗濯する女』の2点のうち優れたヴァージョンは、1761年のサロン・ド・パリで展示されたグルーズの14点の絵画のうちの1点で、グルーズの庇護者アンジュ=ロラン・ラリーヴ・ド・ジュリー英語版のコレクションにあった。その後、作品は約2世紀の間知られていなかったが、それは1770年に作品を購入したスウェーデングスタフ・アドルフ・スパレ英語版および、その継承者のコレクションにあったからである。作品は、1983年にロサンゼルスJ・ポール・ゲティ美術館に購入された[2][3]

もう1点のヴァージョンは現在、フォッグ美術館 (ハーバード大学マサチューセッツ州) に所蔵されている。縦39センチ、横31センチで、J・ポール・ゲティ美術館のヴァージョンよりも少し小さいが、やはり1761年ごろに描かれた。おそらく、同主題の版画を作るために制作されたものである[4]

グルーズは18世紀後半の風俗画家で、17世紀のオランダフランドルの画家たちに影響を受けた[5]。彼は、最初1755年に『子供たちに聖書を読む父親 (Un Père de famille qui lit la Bible à ses enfàns)』で大きな注目を浴びた[6]。この数年前に哲学者・美術批評家のドゥニ・ディドロが最初の近代的芸術批評を出版し始めていたが、1759年にグルーズに出会ってからは彼の賞賛者の1人となっている。グルーズは、1761年のサロンで『村の花嫁』 (ルーヴル美術館パリ) により一層の成功を収めた[5]。そして、当時の最も偉大な画家の1人と見なされるようになったが、 1780年代に彼の人気は下降し始めた。フランス革命後、彼はすべてを失い、一文無しのまま死去している。その後、グルーズは事実上、芸術の世界で忘れ去られたが、20世紀後半におけるアンシャン・レジームの芸術の再評価とともにふたたび評価されるようになった。

影響

グルーズはおそらく、『村の花嫁』とほぼ同じ時期の1761年7月に本作に取りかかり始めた。オランダとフランドルのキャビネット絵画 (美術収集家の邸宅の美術品展示室) に依拠して、グルーズはレンブラントの様式やジャン・シメオン・シャルダンの『台所の召使 (Kitchen Maid)』 (1738年、アルテ・ピナコテークミュンヘン) 、ヘラルト・ドウの『玉ねぎを刻む少女』 (1646年、ロイヤル・コレクション) 、ハブリエル・メツーの『洗濯する女』 (1650年、ワルシャワ国立美術館) 、ヤン・ステーンの『牡蠣を食べる少女』 (1658-1660年、マウリッツハイス美術館デン・ハーグ) などに触発されたのかもしれない[3][7]。本作はオランダのキャビネット絵画に加えて、「ジャンル・ポワサールフランス語版」として知られる言語 (パリの市場の、主に魚売りの言葉遣い) を真似た演劇や詩によって人気あるものとなった「洗濯する女」のイメージにも影響を受けている[3]

ギャラリー

作品

フォッグ美術館の複製

若い召使が鑑賞者を誘惑するような戯れの視線で見つめながら、屈みつつ両手でリネンの水気を絞っている。身なりにかまっていないような召使は、身体を覆う服を纏い、足に赤いミュールを履いている。しかし、脚は見えており、性的抑制が欠如していることを暗示している[5]

本作が1761年のサロンで展示された際、批評家のドゥニ・ディドロは、「この若い洗濯女は魅力的である。しかし、彼女は、全く信用ならない女狐である」と述べた。実際、グルーズは、洗濯する女性の伝統的な主題と関連づけられた重労働の徳というものを取り去り、代わりに典型的なロココ絵画の刺激的官能性で置き換えている[2]。なお、グルーズは、モティーフの質感と表面を描くためにたっぷりと絵具を含んだ筆致を用いている。召使の衣服の襞、濡れた布の重さ、ピューターの水差しの鈍い輝き、木目などがその例である[2]

来歴

上述のように『洗濯する女』の第1ヴァージョンの最初の所有者は、グルーズの庇護者アンジュ=ロラン・ド・ラ・リーヴ・ド・ジュリーであった。彼が1770年に売却した後、作品はグスタフ・アドルフ・スパレなど数人のスウェーデン人の所有を経た。1983には、当時の所有者であったヴァハトマイスター (Wachtmeister) 家が作品をJ・ポール・ゲティ美術館に売却した[2][3]

脚注

参考文献

外部リンク

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