罰せられた息子
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1777年、グルーズは本作に先立ってサロン・ド・パリで『父親の呪い』 (ルーヴル美術館) を展示し、ドゥニ・ディドロらの批評家たち全員に称賛された[2]。1761年のディドロの解説によれば、『父親の呪い』には、軍隊に入るために家族のもとを去ることを告げている息子の劇的な場面が表されている。彼の父は息子が軍隊に行くことに反対し、去ろうとしている彼を罵っている。残りの家族たち、すなわち息子の母親と4人の兄弟姉妹は、劇的な身振りと行動で息子に家を出ないように説得しようとしている[2][3]。
『父親の呪い』の好評に勇気づけられたグルーズは、翌年の1778年にその対作品として本作『罰せられた息子』を発表し、同じように評判を呼んだ。『父親の呪い』の続きにあたる本作に描かれているのは、家に戻った息子に天罰が下る場面である。画面右端の息子は、瀕死の床にいる父親の姿を前にして身を屈めている。子供たちは嘆き悲しんでおり、母親の態度は素朴であるが、息子を責めているように見える[2]。
『父親の呪い』と『罰せられた息子』の両作品によって、グルーズは「歴史画家」にふさわしいという評価を得た。彼は、以前に王立絵画彫刻アカデミーでは「風俗画家」としか認められていなかったのである[2]。しかし、フランス革命が起こってからは世間から忘れ去られ、貧困のうちに世を去った[4]。