西川将人

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生年月日 (1968-11-07) 1968年11月7日(57歳)
西川 将人
にしかわ まさひと
内閣府地方創生推進室より公表された肖像
生年月日 (1968-11-07) 1968年11月7日(57歳)
出生地 日本の旗 日本 北海道旭川市
出身校 北海道大学工学部
前職 日本航空操縦士
所属政党自由党→)
民主党→)
無所属→)
立憲民主党→)
中道改革連合
称号 工学士
選挙区 比例北海道ブロック北海道第6区
当選回数 1回
在任期間 2024年11月1日 - 2026年1月23日
旭川市旗 第9代 北海道旭川市長
当選回数 4回
在任期間 2006年11月17日[1] - 2021年8月31日
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西川 将人(にしかわ まさひと、1968年11月7日 - )は、日本政治家

衆議院議員(1期)、第9代北海道旭川市長(4期)などを歴任。小沢一郎政治塾第6期生で、同塾出身者で首長に就任したのは西川が初めてである。

政界入り・自由党時代

北海道旭川市生まれ。旭川市立永山小学校旭川市立永山中学校北海道旭川東高等学校北海道大学工学部卒業。大学卒業後、日本航空に入社。アメリカカリフォルニア州ナパでの2年間の航空訓練を経て、主に欧州路線に乗務。1999年自由党の候補者公募に合格し、日本航空を退社。

2000年第42回衆議院議員総選挙に自由党公認で北海道第6区から立候補したが、落選。2001年第19回参議院議員通常選挙にも自由党公認で北海道選挙区から立候補したが、再び落選。2003年民由合併により自由党は民主党に合流したが、西川は自由党を離れ、民主党にも加わらなかった。北海道6区には民主党現職の佐々木秀典がおり、現職が優先され、西川は2003年第43回衆議院議員総選挙で公認を得られず、無所属で立候補したが、自由民主党今津寛、民主党の佐々木に次ぐ3位で落選(今津が当選、佐々木も比例復活)。この時、党執行部から北海道第11区第12区へ鞍替えを提案されたが、固辞。民主党には総選挙後に入党した。

民主党時代

2004年第20回参議院議員通常選挙では、民主党は北海道選挙区で2議席独占を目指し、現職の峰崎直樹、西川の2人を擁立。西川には連合をはじめ、労働組合組織票もなく、出馬表明も遅れたが、選挙戦で峰崎や自民党の中川義雄を猛追。2位当選の峰崎へ6万6千票差まで迫るも、落選。翌2005年第44回衆議院議員総選挙では佐々木秀典が引退を表明し、後継に西川の名前が挙がるも、士別市選出の北海道議会議員・佐々木隆博が北海道6区に公認。西川は比例北海道ブロック単独で立候補となった。佐々木の応援に回るも、落選。

旭川市長時代

2006年、民主党を離党し、無所属旭川市長選挙への立候補を表明。労組の勢力が強い旭川では、自由党出身の西川の「小沢アレルギー」も懸念されたが、内閣官房長官建設大臣、旭川市長を歴任した五十嵐広三の尽力で、民主党支持層を固め、新人5人が立候補した混戦を制し、初当選。旭川市長選挙での非自民系候補の当選は28年ぶり。就任年齢は38歳と北海道の首長の中で最も若く、中核市の中でも当時は最年少だった。

2010年、会社社長の佐々木通彦(自民党推薦)、前旭川市議の安住太伸(みんなの党推薦)の2氏を破り、再選。

2014年、元道議の東国幹(自民党・公明党推薦)を破り、3選[2]

2015年6月、旭川空港を運営する旭川空港ビル株式会社の社長に就任。西川の前任市長の菅原功一が、旭川市の定める退職者の第三セクター在籍年限を超過して社長にいたが、西川の社長就任で、菅原は退任となった。代表時には、西川の念願であった国際線ターミナルビル建設を着手[3]

2018年今津寛介(自民党・新党大地推薦、今津寛の次男)を破り、4選。

2020年、旭川空港ビル株式会社が北海道エアポートの完全子会社化となり、同社社長を退任。

2020年4月27日新型コロナウイルス対策の一環で、自身の6月期末手当を10%削減し、副市長2人も8%削減とした[4]2021年3月旭川市議会第一回定例会で、自身が公約に掲げた旭川大学の市立化が賛成多数で可決し、公立大学法人旭川市立大学となった。

旭川市長辞任・国政選挙出馬

2021年7月、翌月に旭川市長を辞職し、第49回衆議院議員総選挙立憲民主党公認で北海道6区から出馬を表明した[5]8月10日、同月31日付で辞職届を提出した[6]。これに対し、2021年4月より社会的に問題視された旭川女子中学生いじめ凍死事件を取材する小川泰平は、事件発生時の行政トップの西川が解決が進まぬまま衆院選へ出馬することを「責任放棄」「西川氏が市長を辞職して国政に出るという会見では、この地元で起きた事件については全く触れていなかったことに憤りを感じている」と強く非難した[7]

同年9月26日、自身の辞職に伴う旭川市長選挙では、前道議・元旭川市議会議長の笠木薫(立憲民主党・国民民主党・社民党推薦)を後継候補として支持したが、今津寛介(自民党・公明党・新党大地推薦)に2万9000票差の大差で敗れ落選[8][9]

自身が出馬した同年10月31日衆議院議員選挙では、自民党の新人・東国幹に得票率で15%以上の差をつけられ、比例復活もならず落選[10]。報道では前述のいじめ問題への対応が逆風となったと指摘された[11]。また、投票日直前にネット上に殺害予告を書き込まれ、活動の中止を余儀なくされた[12]。その後、2022年11月に東京都に住む30代男性が公職選挙法違反の罪で罰金20万円の略式命令を受けた[13]

2024年10月27日衆議院議員選挙では、選挙区で落選するも比例復活[14]。衆議院での委員会所属は農林水産委員会、沖縄及び北方問題に関する特別委員会。立憲民主党内では、小沢グループ(一清会)に所属。

2026年1月19日、立憲民主党を離党し、立憲民主党と公明党の衆議院議員で結成した中道改革連合に入党[15]。1月22日、第51回衆議院議員総選挙において、中道改革連合から北海道6区で出馬することが発表された[16]。2月8日の投開票の結果、自民党の圧勝と中道の不振もあり、選挙区で敗れ比例復活もならず落選した[17]

所属議員連盟

  • 立憲民主党・LPガス議員連盟
  • えん罪被害者のための再審法改正を早期実現する議員連盟
  • 立憲民主党・建設技能者の育成を支援する議員連盟
  • 自転車活用推進議員連盟
  • 立憲民主党・国内酒業振興議員連盟
  • 立憲民主党・税理士制度推進議員連盟
  • 日本プログレッシブ議員連盟
  • たばこ産業政策議員連盟
  • 立憲民主党 自衛隊員応援議員連盟
  • 自然体験活動推進議員連盟

選挙歴

出典・脚注

外部リンク

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