風呂敷 (落語)

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風呂敷』(ふろしき)は古典落語の演目。別題は『風呂敷間男』(ふろしきまおとこ)、『風呂敷の間男』(ふろしきのまおとこ)、『褄重ね』(つまがさね)[1]上方落語でも『風呂敷間男』の演題で演じられる[2][3]

夫の外出中にその知り合いが訪れ、そこに夫が帰宅したため、妻が知り合いを隠したところ、隠し場所の前にそれを知らない夫が陣取って起きる騒動を描く。

東大落語会編『落語事典 増補』は「古い江戸ばなし」とする[1]武藤禎夫は、間男を隠す江戸小咄は多数あるとし、風呂敷を使う趣向のものとして、1855年安政2年)に刊行された笑話集『落噺笑種蒔』の一編「みそかを」を紹介している[4]明治時代の落語速記雑誌『百花園』第7巻74号には初代三遊亭圓遊台湾の話を翻案したとある[5]。武藤は類話として、李氏朝鮮初期の笑話集『醒睡稗説』掲載の話(夫の出張中に間男を呼び込んだ妻が、朝起きてきた小姑を後ろから目隠ししている間に間男を逃がす内容)や、中平泰作[注釈 1]の頓智話(泰作が家の主の頭に桶をかぶせて叩きながら怒鳴り、主が戸惑っている間に隠れていた男が逃げるという内容で、桂井和雄『笑話と奇談』に収録)を挙げている[4]

日中戦争中に艶笑噺(バレ噺)の多くが「禁演落語五十三種」に指定された中、本演目は対象外となり、その点について武藤禎夫は「噺のヤマは押入れの男の脱出法にあるのだから、お色気のくだりは抑えたほうが無難」という作風が幸いしたという見解を示している[4]

演者に5代目古今亭志ん生がおり、1955年昭和30年)5月4日NHKで放送された『放送演芸会』において同演目を演じた映像がDVDで市販されている[7]

※以下は5代目古今亭志ん生の演じ方に準じる。

お崎が夫・熊五郎の帰りを待つ長屋に、幼なじみの半七が遊びに来る。ふたりで語り合っていると、「おい、今帰(けえ)った」と戸を叩く熊五郎の声がする。熊五郎は飲み込みが悪く、嫉妬深く、粗暴であったため、お崎は「不倫と勘違いされて殺されかねない」と恐れるあまり、とっさに半七を押入れ(あるいは戸棚)に隠す。お崎は、熊五郎が眠った隙に半七を逃がそうと考えたが、酒に酔っている熊五郎は、「なぜ予定より早く帰って来たの」と問うお崎に対し、「貞女は屏風にまみえず(=貞女は両夫にまみえず)」「女は三階に家なし(=女は三界に家なし)」などと、覚え間違いの訓戒を垂れるうえ、押し入れをふさぐような形で横になり、寝込んでしまう。

困ったお崎のもとに、鳶頭(かしら)の政五郎がやって来る。ことの次第を聞いた政五郎は、隣の家から1枚の風呂敷を借り、お崎を外出させ、熊五郎をゆさぶり起こす。

「ああ、かしら。お崎はどうしました」「買い物に行ったよ。ところで、面白い話があるんだ。今日、友達の家(うち)に行ったらな、おかしな話があったんだよ。そこのカミさんが留守番をしていると、そこへ、幼なじみが遊びに来た。乱暴者の亭主の手前、追い返そうとしたカミさんだが、結局男を家に入れた」「悪いアマ(=女)だ! 俺が亭主だったら、張り倒してやりますよ」「そうか。まあ、その幼なじみと一献まじえていると、亭主が不意に帰ってきたと思え。で、そのカカアがあわ食って(=あわてて)、押し入れに男を隠しちまった。すると、亭主が酔っぱらって、その前に寝ちまった」「そりゃ、困ったろうな」「そこで、俺がカミさんに頼まれて、そいつを逃がしてやったんだ」「どうやったんです」「寝ころんでたやつを、首に手をかけて起こして、よそ見をされちゃいけないから、脇から風呂敷を持ってきて亭主の顔へ……」政五郎は、熊五郎の顔に「こう巻き付けて……」と言いながら風呂敷を巻く。

「そこでな、俺は戸を、こういう塩梅(あんばい=具合)に、ガラリ、と開けた」戸が開け放たれ、半七が転がり出る。「おい、拝んでねえで早く逃げろ、……と目で合図をして。下駄なんかを忘れるな! ……と声をかける」「へえ」「そいつが影も形もなくなったら、戸を閉めて、それから亭主にかぶせた風呂敷を、こうやって……」政五郎が熊五郎の顔から風呂敷を取ると、熊五郎は膝をたたき、

「なるほど、そいつはいい工夫だ」

バリエーション

脚注

参考文献

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