飯田琉斗

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1999-06-24) 1999年6月24日(26歳)
身長
体重
187 cm
100 kg
飯田 琉斗
東京ヤクルトスワローズ #61
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市
生年月日 (1999-06-24) 1999年6月24日(26歳)
身長
体重
187 cm
100 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2025年 ドラフト7位
年俸 800万円(2026年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

飯田 琉斗(いいだ りゅうと、1999年6月24日 - )は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。

プロ入り前

小学2年生の時に野球を始める。中学校時代は横浜都筑ボーイズに所属していた[2]

向上高等学校では1年夏からベンチ入りし、2年秋からエースとなるが[2]、最速は140km/hにとどまっていた。3年夏の大会は5回戦で東海大相模高等学校相手に延長11回の末1-2で敗れ、甲子園出場とはならなかった[3]

横浜商科大学ではトレーニングに着手。1年秋には150km/hに到達し、2年春には自己最速の154km/hを記録して、注目を集めた。3年春には好調を維持していたが、新型コロナウイルスの拡大の影響で春のリーグ戦が中止になり、調子を落とす[3]。それでも主将に指名されると[3]、4年秋にはスカウトの前でアピールを続け[4]、最終的にリーグ戦通算12勝を記録したが、同年のドラフト会議では指名漏れする[2]

その後は社会人野球に進み、ENEOSに入団。しかし入団から2年間は結果を残せず、チームの戦力になれなかった[5]。それでも選手兼任コーチを務めていた田澤純一より「マウンドに上がったら勝負するだけ」「しっかり準備しなさい」といったアドバイスを受け、着実に成長していった[6]。3年目には最速155km/hを記録し、4年目には東京ヤクルトスワローズから調査書が届くようになった[5]

2025年のドラフト会議で、唯一調査書を送っていた[7]東京ヤクルトスワローズからドラフト7位で指名を受けた。なお、このドラフトで支配下で指名された73人中最後の73番目の指名であった[8]。11月10日に入団交渉に臨み、契約金2500万円プラス出来高1500万円、年俸800万円で入団に合意した(金額は推定)[1]。背番号は61[1]。担当スカウトは余田雄飛[9]

選手としての特徴

恵まれた体格から繰り出す豪速球が武器の中継ぎ右腕[6]。変化球はカーブカットボールチェンジアップフォークを投球する[3]。また、スタミナには自信があると語っている[10]

人物

憧れの選手は平良海馬[3]

ENEOS時代のチームメイトである度会隆輝からは「ジャンボ」の愛称で親しまれている[10]

ヤクルトでチームメイトとなった荘司宏太とは、社会人のジュニア合宿でキャッチボールをしたことがある[10]

5人兄弟の長男であり、弟4人も野球をしている。また、ドラフト指名時にはすでに第一子が誕生している[5]

詳細情報

背番号

  • 61(2026年[1] - )

脚注

関連項目

外部リンク

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