飯田琉斗
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プロ入り前
小学2年生の時に野球を始める。中学校時代は横浜都筑ボーイズに所属していた[2]。
向上高等学校では1年夏からベンチ入りし、2年秋からエースとなるが[2]、最速は140km/hにとどまっていた。3年夏の大会は5回戦で東海大相模高等学校相手に延長11回の末1-2で敗れ、甲子園出場とはならなかった[3]。
横浜商科大学ではトレーニングに着手。1年秋には150km/hに到達し、2年春には自己最速の154km/hを記録して、注目を集めた。3年春には好調を維持していたが、新型コロナウイルスの拡大の影響で春のリーグ戦が中止になり、調子を落とす[3]。それでも主将に指名されると[3]、4年秋にはスカウトの前でアピールを続け[4]、最終的にリーグ戦通算12勝を記録したが、同年のドラフト会議では指名漏れする[2]。
その後は社会人野球に進み、ENEOSに入団。しかし入団から2年間は結果を残せず、チームの戦力になれなかった[5]。それでも選手兼任コーチを務めていた田澤純一より「マウンドに上がったら勝負するだけ」「しっかり準備しなさい」といったアドバイスを受け、着実に成長していった[6]。3年目には最速155km/hを記録し、4年目には東京ヤクルトスワローズから調査書が届くようになった[5]。
2025年のドラフト会議で、唯一調査書を送っていた[7]東京ヤクルトスワローズからドラフト7位で指名を受けた。なお、このドラフトで支配下で指名された73人中最後の73番目の指名であった[8]。11月10日に入団交渉に臨み、契約金2500万円プラス出来高1500万円、年俸800万円で入団に合意した(金額は推定)[1]。背番号は61[1]。担当スカウトは余田雄飛[9]。
選手としての特徴
人物
詳細情報
背番号
- 61(2026年[1] - )