黒い雨 (映画)
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| 黒い雨 | |
|---|---|
| 監督 | 今村昌平 |
| 脚本 |
石堂淑朗 今村昌平 |
| 原作 | 井伏鱒二 |
| 製作 | 飯野久 |
| 出演者 |
田中好子 北村和夫 市原悦子 三木のり平 |
| 音楽 | 武満徹 |
| 撮影 | 川又昻 |
| 編集 | 岡安肇 |
| 製作会社 |
今村プロダクション 林原グループ[1] |
| 配給 | 東映[2]、東映洋画[3][4] |
| 公開 |
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| 上映時間 | 123分 |
| 製作国 |
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| 言語 | 日本語 |
| 配給収入 | 2億円(国内)[5] |
『黒い雨』(くろいあめ)は、1989年5月13日に公開された日本映画[3][6][7]。
1965年に出版された井伏鱒二の小説『黒い雨』の映画化であり、広島市への原子爆弾(原爆)投下によって人生を変えられた人々の悲劇的な運命を、二次被爆の恐ろしさも交えながら静かに描く[8][9][10][11]。第13回日本アカデミー賞では最優秀作品賞を含む数々の部門で賞を得た[12]。主演の田中好子の演技も高く評価され、最優秀主演女優賞を獲得している[13][14][15]。
タイトルは、原爆投下後に降る放射性降下物の一種である黒い雨のことを指している。英語圏では、『Black Rain』(ブラック・レイン)という題名で上映された[注釈 1]。
時は戦時中。広島市在住の閑間重松(しずま・しげまつ)は、市の郊外古市の工場で、工場長として勤務していた。昭和20年8月6日の朝、重松は工場に出勤するため市内、横川駅から列車[注釈 2]に乗り込む。その直後、閃光がひらめき車両は轟音に包まれる。アメリカ軍が投下した原子爆弾が空中で炸裂したのだった。車内は大混乱に陥る。重松も熱線で頬に火傷を負い、他の旅客に揉まれ押し流される。横川駅から何とか脱出してみれば、駅前の市街は一面に倒壊していた。熱線で全身を焼かれた人々が彷徨い、潰れた家屋からうめき声が漏れる。市内中央からは巨大な火柱が上がる。訳が分からぬまま瓦礫を乗り越え、自宅のある千田町に戻ってみれば、自宅は半壊していた。だが、妻・シゲ子は何とか無事だった。一方、重松の姪・高丸矢須子は原爆投下の同時刻、海を隔てた街で茶会に出席していた。瞬間、閃光と轟音に驚き戸外に出てみれば、広島の街には巨大なキノコ雲が立ち昇っている。広島に住む叔父夫婦の身を案じた矢須子は知人の操る船で広島へ向かうが、その船中で「黒い雨」を知らずに浴びてしまう。何とか広島にたどり着き、叔父夫婦と再会した矢須子は3人で広島市内を避難する。市街は火の海、瓦礫の山と化し、3人はあらゆる悲惨な状況を垣間見つつ、徒歩で重松の職場である工場へと避難する。重松は頬に火傷を負うものの、夫妻共々特に大きな怪我はなかった。3人は工場で寝泊まりしながらそのまま終戦を迎える。
5年後の昭和25年5月、矢須子は福山市で閑間夫妻と暮らし始める。重松夫妻はいわゆる原爆症による倦怠感に悩まされ、力仕事をこなすことができない。養生のために散歩や魚釣りをすれば、口さがない隣人らから怠け者扱いされる。重松は魚釣りを「生業」とするため、近隣に住む2次被爆者らに「鯉の養殖」を持ち掛け、鯉の稚魚を購入して近隣のため池に放つ。 すでに結婚適齢期を迎えていた矢須子は、知人から縁談を持ちかけられる。だが、二次被爆[注釈 3]による健康被害を理由に相手側に断られ、閑間夫妻から心配される。後日3度目の縁談が来て相手も乗り気だったが、数回のデートの後、矢須子は原爆投下後に広島市内にいたことを正直に告げる。結局、相手家族から断られてしまう。
矢須子が嫁に行けないことを不憫がるシゲ子は祈祷師を頼るうちにのめり込み、精神的に不安定になってしまう。そんな中、元気だった重松の友人たちが突然原爆症を発症した後、短期間で死去する。それに接した矢須子も発症への不安を抱き始める。重松夫妻や矢須子の近所には、悠一という青年が住んでいた。元特攻隊の彼は家の前の道をバスが通りがかるたび、エンジン音を敵襲の来襲と誤解し、フラッシュバックの発作を起こすのだった。だが、平生の悠一は物静かで優しい青年だった。矢須子は悠一と触れ合うことで、彼の誠実で優しい人柄に気分が癒やされる。後日、悠一の母が重松に、息子と矢須子の仲を認めてほしいと申し出る。
閑間夫妻が2人の交際を認めようとした矢先、矢須子の毛髪がごっそり抜け、偶然それを見たシゲ子は衝撃を受け、1ヶ月後に亡くなってしまう。その後矢須子は重松や悠一の母の手を借りて自宅療養することになり、気分が安定したある日、釣りをする叔父と共に近所の池に訪れる。その時、池の主である大きな鯉が飛び跳ねるのを2人で目撃、矢須子は興奮して半狂乱になってしまう[注釈 4]帰宅直後に体調を崩した矢須子は、悠一に付き添われて救急車で運ばれることになり、重松は姪の病気が治ることを祈りながら見送る。
登場人物
- 高丸矢須子 - 田中好子
- 閑間重松(しずましげまつ) - 北村和夫
- 閑間シゲ子 - 市原悦子
- 矢須子の叔母。被爆時は市内千田町の自宅にいたが、家屋の倒壊もなく無傷で済む。迷信深い性格で、自身に子供ができないことや、矢須子がなかなか結婚できないことに負い目を感じている。また亡くなった義理姉(矢須子の母)を尊敬しながらも、内心「負けたくない」という複雑な思いを持っている。
- 閑間キン - 原ひさ子
重松の実家(福山市)の近所の人たち
- 池本屋のおばはん - 沢たまき
- いつも歯に衣着せぬ物言いをする女性。被爆の後遺症で力仕事ができず、養生のため釣りや散歩をしている庄吉や重松を「怠け者」と決めつけて愚痴をこぼす。文子に縁談を持ってきてくれるよう好太郎に頼む。
- 池本屋文子(ふみこ) - 立石麻由美
- 福山市のキャバレー「ハリウッド」で働いており、休みをもらって帰ってきた。詳細は不明だが、恋人か仕事上の関係者のヤクザとトラブルを起こしたらしく、母親に匿ってもらおうとする。
- 片山 - 小林昭二
- 原爆投下直後の8月7日から2日間、被爆者救助のために広島を訪れたことで二次被爆してしまう。重松の友人。闇屋に関わる仕事をしている。悠一が車を止めようとする発作にタツと共に臨機応変に付き合う。
- 岡崎屋タツ - 山田昌
- 雑貨屋を営む女性。息子の悠一は戦時中、戦車に爆弾を仕掛ける特攻隊員だった。自宅がバス停留所の前にあるため、息子・悠一はバスの発着音に接するたびにエンジン音を敵軍の来襲と誤解して発作(後述)を起こす。そのたびに身を挺して息子に覆いかぶさり、「(作戦)成功!」と叫んでその場を収めるのが日課。息子が矢須子に好意を持っていると気づき、重松に2人の結婚を申し出た。
- 岡崎屋悠一 - 石田圭祐
- 庄吉 - 小沢昭一
- 重松の友人。片山と同じく被爆者救助のために原爆投下後に広島に訪れて二次被爆してしまう。それが原因で原爆病にかかり、医者から「力仕事などすると体に良くない」と言われたため近所の池で釣りをするなどしているが、池本屋のおばはんに「怠け者」と決めつけられて憤慨している。
- カネ - 楠トシエ
- 庄吉の妻。
- 好太郎(こうたろう) - 三木のり平
- 重松の友人。片山と同じく被爆者救助のために原爆投下後に広島に訪れ二次被爆してしまう。矢須子にとって3度目となる縁談話を持ってきたが、数日後相手の家族から断られたことを重松に告げて詫びる。数日後、矢須子に好意を寄せた青乃に頼まれて仲を取り持つ。
- るい - 七尾伶子
- 好太郎の妻。
その他の人たち
- 養殖業者・金丸 - 河原さぶ
- 重松たちの依頼を受けて鯉の稚魚を売りに来る。車で帰ろうとした所、発作を起こした悠一に前方を塞がれたため立腹する。
- 青乃(あおの) - 石丸謙二郎
- 実家が鉄工所を経営しており、朝鮮特需で景気が良くなる。矢須子とは、おばの美容室で何度か会ったことがあり、青乃が好意を持ち交際を申し込む。
- 藤田医師 - 大滝秀治
- 黒い雨を受けた矢須子と被爆した重松の健康診断をし、ヤケドに良いとされるアロエを渡して食用するよう勧める。その後シゲ子を診察するため閑間家に訪れる。妻が原爆症で死亡している。
- 白旗の婆さん - 白川和子
- 祈祷師。なかなか縁談が決まらない矢須子のことを相談するためにシゲ子が呼んだ。義姉の清子が憑依したとして助言した。
- 高丸 - 飯沼慧
- 矢須子の実父。清子の墓参りのため実家に訪れた矢須子に、閑間家から帰ってくるよう告げる。
- 能島 - 深水三章
- 老僧 - 殿山泰司
- 上司の指示で重松が葬儀でお経を唱えることになり、安芸門徒の葬儀のやり方を聞きに来た彼に簡単に説明する。広島が原爆により甚大な被害を受けたことを嘆く。
- ヤケドの四十男/老遍路 - 常田富士男
- 比治山で被爆し竹林まで逃げ込んで休んでいた所、重松たちと出会う。被爆により顔の右側にやけどを負っている。重松たちに自宅で妻と息子が亡くなった時の状況を聞かせる。
- 郵便局長 - 三谷昇
- 以前重松から矢須子の働き口のことで相談されていたが、矢須子の縁談がまとまりそうなため彼から仕事の話を丁寧に断られる。
- 藤井洋八[1]
スタッフ
- 監督:今村昌平
- 脚本:今村昌平、石堂淑朗
- 原作:井伏鱒二
- 音楽:武満徹
- 撮影:川又昂
- 美術:稲垣尚夫
- 照明:岩木保夫
- 録音:紅谷愃一
- 編集:岡安肇
- 助監督:月野木隆、三池崇史
- 音響効果:斉藤昌利
- 特殊メーク:春山勲
- 技斗:高倉英二、中瀬博文
- 火薬効果:大平特殊効果
- 操演:ローカスト
- ハイビジョン技術協力:NHKテクニカルサービス、NHK美術センター
- 録音スタジオ:アバコクリエイティブスタジオ
- ダビングステージ:にっかつスタジオセンター
- 現像:東映化学
- ロケ協力:岡山県、吉永町、牛窓町、八塔寺ふるさと村、福山自動車時計博物館 ほか
- 製作協力:東北新社、IMAGICA
- プロデュース:飯野久
- 製作:今村プロ、林原グループ
制作
企画
今村昌平は当時の岡田茂東映社長に「死ぬまでにどうしてもやりたい企画が三本ある」と『黒い雨』『楢山節考』『村岡伊平治(女衒 ZEGEN)』の3本を挙げたら、岡田から「3本ともうちでやりましょう」と承諾を得たと述べている[16][17]。本作の製作は今村プロダクションと林原グループで、東映は配給のみとされるが、文献により「今村=東映『黒い雨』」[5]「『黒い雨』東映」[18]と書かれたものもあり、配給以外でも東映の協力があったものと見られる[5]。井伏鱒二の早稲田大学の後輩・今村は子どもの頃から井伏の大ファンで敬愛する井伏の本はほとんど読んでいた[3][11]。1966年に新潮社より刊行された原作を読み、『神々の深き欲望』に取り掛かる前あたりに「いずれ映画にしたい、でもやればえらい仕事になるな」と考えていたという[3][6][12]。今村は東京生まれ、東京育ちで、ヒロシマ原爆には個人的な因縁はないが、1945年の8月の終わりに友人と九州に行った途中に、何もない廃墟の広島を超満員の列車で乗客が総立ちで凝視した経験があった[3]。また昭和20年代に広島原爆を主題に本を書くという脚本家に同行して広島をシナハンしたことがあった[3]。井伏は映画化をことごとく断ってきたが、今村は婉曲的な許諾を得、映画化を実現した[8]。
脚本
『女衒 ZEGEN』を撮る前に今村はドイツのジャーナリスト・ギュンター・アンデルスの著書『クロード・イーザリー』(篠原正瑛訳)を読んだ。同書はクロード・イーザリーを扱ったノンフィクション[3]。イーザリーはハリウッド女優を妻にしながら、太平洋戦争時に広島原爆投下と長崎原爆投下作戦で、B-29エノラ・ゲイとボックスカーを導いた偵察先導機に乗った空軍大尉。終戦直後に戦略爆撃調査団の一員として来日したが、長崎の余りの惨状にショックを受け、広島には行かず帰国した。イーザリーは妻とも離婚し、生まれ故郷に引き込み、段々精神を病んだ。今村はこのイーザリーの取材を進めて後妻の間に生まれた娘がいて、父親の辿った運命の軌跡を自分で検証しようと日本を訪ねて、お遍路の風習を聞いて興味を持ち、女遍路の残した日記から『黒い雨』を知るという展開を構想していた[3]。しかし製作費をかさむなどの理由で頓挫した[3]。
1987年の秋、今村は石堂淑朗の脚本を依頼[3]。石堂はドラマを排除した井伏作品は脚色が難しいと感じた[3]。今村との打ち合わせで被爆現場は一切描かないと決め、原作が「淡々と日常的な文体で描写されて」いることを尊重した[11]。凄惨な被爆シーンがないため、観客に対するインパクトはやや薄くなった[3]。このため石田圭祐演じる岡崎屋悠一に代表される戦争後遺症を強調している[3]。
撮影
あえてモノクロフィルムで撮影を行い、重松の被爆シーン、炸裂する原子爆弾、立ち上るキノコ雲、爆心地に転がる黒焦げの焼死体などを特撮を駆使し、再現している。原爆投下後の広島の惨状は、同じく広島原爆をテーマに制作されたアニメ映画『はだしのゲン』での描写を参考にしている。
庄吉役の小沢昭一は、この映画の撮影時に転落事故を起こして左手手首を骨折した。そのため、映画では原作には無い設定(庄吉は原爆投下の際、腕に大怪我を負ってしまい、それを隠すために包帯を巻いている)が加えられた。小沢は最初から最後まで、左手にギプスをはめた状態で演技をしている。
北村和夫、市原悦子、小林昭二、小沢昭一、三木のり平とやれば出来る人たちに「何も演技をしないように」と今村は演出したが[3]、この人たちは演技の端はしにピャッとお芝居が出て大変だったという[3]。田中好子の入浴シーンが前半と最後の方の二度あり、最後の方で乳房を露出する。一部のネット記事で原爆症の表現のため、入浴シーンで体の変化を表現するために敢えてヌードを披露し話題を呼んだと書かれたものがあるが、田中の体の変化は劇中では分からない。
追加撮影
当初の予定を変更して原作通りの追加撮影をすることになったため、製作費が逼迫してしまった影響からメインスタッフの技師らはノーギャラを宣告されてしまう。スタッフらは「餅代くらいは出すから」と言うプロデューサーの言葉をシャレや冗談だと思っていたが、後日、プロデューサーは本当に市販されている真空パックの切り餅を1個ずつ配った。
ロケ地
広島を舞台とした映画だが、撮影は岡山県備前市八塔寺ふるさと村、牛窓町で行われた[3][12][19]。主舞台は広島県の小畠村であるが[3]、1950年当時の小畠村を八塔寺ふるさと村に再現した[3]。1988年6月クランクイン[3]。キャスト・スタッフは合宿に参加し撮影を行った[12]。
未公開シーン
劇場公開版やビデオ版では、トラックで矢須子が病院に運ばれる様子を重松が眺める場面でエンドロールとなるが、DVDのデジタルニューマスター版では、矢須子が生き延びて原爆投下から20年後に四国の霊場をヤケドの四十男と共に巡礼として歩く、原作には無いエピソードが19分のカラー映像として描かれている[3]。これは今村監督が当初付け加える予定で撮影したが、迷いに迷った末に完成した作品から削除したものである[3]。シナリオ段階では最初と最後がお遍路のシーンで[3]、今村の強いこだわりだった[3]。お遍路のシーンだけカラーで映すつもりだったが[3]、編集でモノクロと上手く繋がらないと感じて丸々カットしていた[3]。その未公開カラー部分は、神が人間を見守るような視線で主人公と戦後の日本人を描いている。本シーンはCS『チャンネルNECO』で放送された際に公開されている。
宣伝
興行
作品の評価
興行成績(国内)
興行成績(海外)
1989年5月に開催された第42回カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールに本命視されていたとされるが[7]、受賞を逃す(パルム・ドールは『セックスと嘘とビデオテープ』)[21]。しかし海外売り込みに実績を持つ東映が[21]、フィルムマーケットで積極的に商談を進め、フランス、イギリス、スイス、ベルギー、ルクセンブルク、オランダ、西ドイツ、東ドイツ、オーストリア、イタリア、スペイン、ポルトガル、アイルランド、イスラエル、カナダの計15か国の商談を成立させた[5][21]。その後も1989年秋の始めまでにチュニジア、ブルガリア、モロッコ、メキシコ、オランダなど[5]、更に商談が成立し、成約は計24か国になり[5]、総額は120万米ドルと東映としては1978年の『宇宙からのメッセージ』110万ドルを上回った[5][21]。勿論『楢山節考』で第36回カンヌ国際映画祭でパルムドールを獲り、"世界のイマムラ"になった評価を含んだものであった[5]。カンヌ以降も1989年7月のモスクワ映画祭、同年9月のテルライド映画祭、同月のサンセバスティアン映画祭に招待上映された[5]。同年10月の台湾金馬奨、1990年1月のインド映画祭、同1月の香港映画祭、同1月予定のバンコク国際映画祭にも招待上映されると報道された[5][18]。この年、映連の主導で海外で日本映画の売り込みが盛んに行われ[18]、ほとんどの映画祭で岡田茂映連会長が団長を務めた[18]。さらの各国の国際映画祭から出品要請が相次いだ[5]。
フランスでは当時の二大配給興行チェーンUGCにより、1989年11月1日からパリの8館で拡大公開された[21]。アメリカでは1989年9ー10月に開催されたニューヨーク映画祭に出品され、トップランクの評価を得た[5]。『ニューヨークタイムズ』では権威ある批評家・ヴィンセント・キャンビーが「イマムラは政治的なテーマを小市民の日常生活の中で描き、それだけに恐ろしさが伝わってくる迫力のある映画に仕上げた」と賞賛[5]。また『ニューヨーク・ポストではデイヴィッド・エデルスタインが「SLOW DEATH」と評した[5]。
批評
初号試写に立ち会った岡田茂東映社長は「今村昌平の代表作の一つに数えられるようになるだろう」と述べた[3]。
黒田邦雄は「この映画の大きな特徴は矢須子(田中好子)の扱いで、彼女は贖罪を背負った女神のように描かれている。病院へ運ばれていく矢須子を見送りながら『五彩の虹が出たら矢須子の病気もきっと治る』というラストの重松(北村和夫)の言葉も、それゆえにいっそう痛切だ。人間社会の罪を的確にえぐり出した、実に今日的な原爆映画である」などと評している[20]。
『シティロード』は「原作に惚れ込んだイマヘイが、今回だけは、静かな怒りと祈りという基調低音を順守して淡々と描いた。広島原爆の被爆者、とりわけ二次被爆の人々の戦後の苦悩と不幸が小さな田舎町を主舞台に流れてゆく。ヒロインの田中スーちゃんの諦念に深さが悲痛で、それゆえに美しさも凄絶」などと評した[4]。
受賞歴
- 第13回日本アカデミー賞(1990年)
- 第42回カンヌ国際映画祭(1989年)
- コンペティション部門上映
- フランス映画高等技術委員会賞[22]
- 第14回報知映画賞(1989年)
- 主演女優賞(田中好子)
- 第44回毎日映画コンクール(1990年)
- 日本映画大賞
- 女優主演賞(田中好子)
- 美術賞(稲垣尚夫)
- 第2回日刊スポーツ映画大賞(1989年)
- 作品賞
- 監督賞(今村昌平)
- 高崎映画祭(第4回)
- 最優秀作品賞
- 最優秀監督賞(今村昌平)
- 主演女優賞(田中好子)
- 第9回藤本賞・新人賞(飯野久)[8]