1982年の全日本F3選手権
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前年チャンピオン争いを演じた中子修[2]と萩原光は、JAFが振興に力を入れていたフォーミュラ・パシフィックへとステップアップ[3]。この年はすでにF3でのキャリアを積んでいた中本憲吾が悪天の開幕戦で優勝、第2戦筑波では茂木和男が優勝し、まずはこの2人がシリーズをけん引した。ここにFJ1300でハヤシカーズのマシンで活きのいい走りを見せていたF3ルーキー・高橋徹が第2戦筑波で初表彰台、高橋のホームコースでの開催となった第3戦西日本大会では早くもF3初優勝を挙げファステストラップも記録するなど、中本と茂木のポイント争いに加わった[4]。高橋と同じくハヤシより参戦する鈴木亜久里も優勝こそなかったが表彰台圏内でのフィニッシュを続けてポイント争いで接近し、チャンピオン争いは終盤戦までもつれた[3]。
この中で前半戦に5連続ポールポジション獲得の中本は、第5戦までは速いがリタイヤ3回とノーポイントが多かったが、第6戦西日本以降の4戦で3勝・2位1回と決勝レースでの強さを発揮して高橋・茂木を引き離し、シリーズチャンピオンに輝いた[3]。ルーキーの高橋はハヤシ製シャシーでラルトに乗る中本に次ぐ速さを見せていたが、第7戦鈴鹿でのノーポイントが響きランキング3位となった。ハヤシ製マシンでは高橋の他にも鈴木亜久里がランキング4位、小河等も開幕戦鈴鹿でのクラッシュによる負傷によって数戦欠場がありながらランキング6位を獲得するなど、ラルトやマーチに匹敵する性能を披露したシーズンだった[2]。
同年の課題として、F3でもグラウンド・エフェクト・カー(ウイングカー)の導入が進行し、参戦者が各コンストラクターによる新車を購入する必要が高まったこともあり参戦費用が上昇し、日本でのF3シリーズ開催4年目にして初の参加台数が減少に転じる問題に直面した[5]。参戦コスト上昇による台数減少は翌1983年に一層強まることとなる[3]。
エントリーリスト
スケジュールおよび勝者
| 決勝日 | 開催サーキット | 勝者 | ポールポジション | ファステストラップ | Ref | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 第1戦 | 3月14日 | 鈴鹿サーキット | 中本憲吾 | 茂木和男 | 中本憲吾 | [6] |
| 第2戦 | 4月11日 | 富士スピードウェイ | 茂木和男 | 中本憲吾 | 茂木和男 | [7] |
| 第3戦 | 5月16日 | 西日本サーキット | 高橋徹 | 中本憲吾 | 高橋徹 | [8] |
| 第4戦 | 5月30日 | 鈴鹿サーキット | 中本憲吾 | 中本憲吾 | 中本憲吾 | [9] |
| 第5戦 | 6月27日 | SUGOインターナショナルレーシングコース | 茂木和男 | 中本憲吾 | 茂木和男 | [10] |
| 第6戦 | 9月5日 | 西日本サーキット | 中本憲吾 | 中本憲吾 | 中本憲吾 | [11] |
| 第7戦 | 9月26日 | 鈴鹿サーキット | 中本憲吾 | 高橋徹 | 中本憲吾 | [12] |
| 第8戦 | 10月10日 | 筑波サーキット | 高橋徹 | 高橋徹 | 高橋徹 | [13] |
| 第9戦 | 11月7日 | 鈴鹿サーキット | 中本憲吾 | 中本憲吾 | 中本憲吾 | [14] |
シリーズポイントランキング
| 順位 | 1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 | 8位 | 9位 | 10位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ポイント | 20 | 15 | 12 | 10 | 8 | 6 | 4 | 3 | 2 | 1 |
※予選参戦台数が10台以下の場合、ポイント獲得は6位まで(第3戦.第6戦西日本大会で適用・1位から15-12-10-8-6-4ポイント)。
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※第1戦に発生した失格者は黄旗無視によるもの。