1980年の全日本F3選手権
From Wikipedia, the free encyclopedia
2年目を迎えた「日本F3チャレンジカップ」は前年同様、主催がJAFではなく「日本F3協会による独自開催」とされていたため、厳密には開催時全日本選手権は掛けられていなかったが、翌年からJAFにより正式認定され全日本格式として記録された。前年チャンピオンとなった鈴木利男はスカラシップを得てイギリスF3選手権への参戦を開始したため[2]、新たな才能の出現が期待されての開幕を迎えた。
マシンでは最も熟成が進んでいたマーチ・793が安定して速く、前年にも1勝を挙げランキング5位を獲得していた佐々木秀六が8戦中5勝を挙げて1980年チャンピオンを獲得した。
童夢との協力でハヤシレーシングが製作したF3マシン「803」も速く、中子修が常に上位争いに加わり、マーチ、ラルトと互角に戦える競争力を示した[3]。
若手ではTSレース(市販車改造クラス)で活躍を見せていた萩原光がF3に参戦開始し、第6戦富士でポールポジション[4]、優勝はまだできなかったが表彰台を度々獲得するなどランキング4位を獲得し頭角を現した。
前年にもスポット参戦していたカート出身の鈴木亜久里は、開幕戦で4位に入賞したが、まだカート選手権へも並行して参戦しており、中盤戦以後は活動資金の都合もありF3出場が無かった。この時期の鈴木亜久里は父親が250万円で購入したラルト・RT1の中古シャシーを自宅ガレージで整備して参戦する完全なプライベート参戦であった[5]。
エントリーリスト
スケジュールおよび勝者
| 決勝日 | 開催サーキット | 勝者 | ポールポジション | ファステストラップ | *出典 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 第1戦 | 3月9日 | 鈴鹿サーキット | 佐々木秀六 | 佐々木秀六 | 佐々木秀六 | [6] |
| 第2戦 | 3月30日 | 筑波サーキット | 岩田英嗣 | 佐々木秀六 | 岩田英嗣 | [7] |
| 第3戦 | 5月3日 | 富士スピードウェイ | 佐々木秀六 | 佐々木秀六 | 佐々木秀六 | [8] |
| 第4戦 | 6月1日 | 西日本サーキット | 佐々木秀六 | 佐々木秀六 | 佐々木秀六 | [9] |
| 第5戦 | 7月13日 | 筑波サーキット | 佐々木秀六 | 佐々木秀六 | 佐々木秀六 | [10] |
| 第6戦 | 9月7日 | 富士スピードウェイ | 佐々木秀六 | 萩原光 | 佐々木秀六 | [11] |
| 第7戦 | 9月28日 | 鈴鹿サーキット | 中子修 | 岩田英嗣 | 中子修 | [12] |
| 第8戦 | 11月3日 | 鈴鹿サーキット | 岩田英嗣 | 佐々木秀六 | 岩田英嗣 | [13] |
シリーズポイントランキング
- ポイントシステム
| 順位 | 1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 | 8位 | 9位 | 10位 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ポイント | 20 | 15 | 12 | 10 | 8 | 6 | 4 | 3 | 2 | 1 |
|
|