アニバル・サンチェス

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生年月日 (1984-02-27) 1984年2月27日(41歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
180 lb =約81.6 kg
アニバル・サンチェス
Anibal Sanchez
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 アラグア州マラカイ
生年月日 (1984-02-27) 1984年2月27日(41歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 アマチュアFA
初出場 2006年6月25日
最終出場 2022年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ベネズエラの旗 ベネズエラ
WBC 2013年

アニバル・アレハンドロ・サンチェスAnibal Alejandro Sanchez, 1984年2月27日 - )は、ベネズエラアラグア州マラカイ出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。愛称サンチー[1]

プロ入りとレッドソックス傘下時代

2001年1月3日にボストン・レッドソックスと契約してプロ入り。

2004年、傘下のA-級ローウェル・スピナーズ英語版でプロデビュー。15試合に先発登板して4勝4敗、防御率1.77、101奪三振を記録した。オフの11月20日にレッドソックスとメジャー契約を結び、40人枠入りした。

2005年3月3日にレッドソックスと1年契約に合意し、14日にA級ウィルミントン・ブルーロックスへ配属された。A+級ウィルミントンでは14試合に先発登板して6勝1敗、防御率2.40、95奪三振と好投した。7月にAA級ポートランド・シードッグスへ昇格した。11試合に先発登板して3勝5敗、防御率3.45、63奪三振を記録した。

マーリンズ時代

マイアミ・マーリンズ時代
(2012年4月21日)

2005年11月24日にジョシュ・ベケットマイク・ローウェルギレルモ・モタとのトレードで、ヘスス・デルガド英語版ハービー・ガルシア英語版と共にフロリダ・マーリンズへ移籍した[2]

2006年3月16日に傘下のAA級カロライナ・マドキャッツへ配属された。6月25日にメジャーへ昇格し、同日のニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビュー。9月6日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦ではノーヒットノーランを達成(スコアは2-0)した。新人としてはバド・スミス英語版以来5年ぶり。この活躍から9月第1週のプレイヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞した[3]。この年は18試合(先発17試合)に登板して10勝3敗、防御率2.83、72奪三振を記録した。

2007年は先発ローテーション入りを果たしたものの、5月4日にAAA級アルバカーキ・アイソトープスへ降格した。結局肩を手術し、僅か6登板でシーズンを終了した。

2008年3月2日にマーリンズと1年契約に合意。3月24日に前年の手術の影響で15日間の故障者リスト入りした。開幕後の5月23日に60日間の故障者リストへ異動した。7月31日に復帰。この年は10試合に登板して2勝5敗・防御率5.57だった。

2009年は故障の影響で16試合の先発に終わり、フルシーズンを過ごすことができなかった。

2010年は先発ローテーション入りを果たし、大きな故障も無く、ルーキーイヤーの2006年以来となる二桁勝利(13勝)を挙げた。

2011年4月22日のコロラド・ロッキーズ戦では8回まで無安打(1失点)に抑え、自身二度目のノーヒッターを目前にしたが、9回表に先頭のデクスター・ファウラーに安打を浴び、1安打1失点の完投に終わった。勝ち運に恵まれず8勝止まりだったが、初の200奪三振をクリアするなど投球内容的には充実したシーズンだった[4]

2012年2月6日にマーリンズと1年契約に合意。19試合に先発登板して5勝7敗、防御率3.97、110奪三振を記録した。

タイガース時代

デトロイト・タイガース時代
(2017年8月6日)

2012年7月23日にジェイコブ・ターナーら3選手とのトレードで、オマー・インファンテと共にデトロイト・タイガースへ移籍した[5]。移籍後は12試合に先発登板して4勝6敗、防御率3.74、57奪三振を記録した。オフの10月29日にFAとなった。12月17日に5年契約総額8000万ドルの(2018年の球団オプション付き)[6]でタイガースと再契約した[7]

2013年はシーズン開幕前の3月に第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ベネズエラ代表に選出された[8]

シーズンでは開幕ロースター入りしたが、6月9日に右肩を故障。6月17日に15日間の故障者リスト入りした後、7月5日に復帰。この年は29試合に登板し、自己最多の14勝(8敗)を挙げ、防御率はリーグトップの2.57を記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得した。

2014年は開幕ロースター入りしたが、開幕後5試合目の登板となった4月26日のミネソタ・ツインズ戦で、投球中に右手中指を負傷。試合終了後に15日間の故障者リスト入りした[9]。5月18日に復帰[10]。この年は故障の影響もあって22試合の登板(うち21試合で先発登板)に終わった。また7月以降、調子を落とし[11]、最終的には防御率3.43・8勝5敗という成績だった。

2015年は25試合に先発登板し、1完封を含む2年ぶりの二桁勝利を挙げたが、ア・リーグワーストの29被本塁打を浴び、防御率も4.99と不調だった。

2016年はリリーフで登板する機会が増え、先発26試合とリリーフ9試合で投げた。前年にも増して調子を落とし、自己ワーストの防御率5.87・7勝13敗・WHIP1.46という成績に終わった。また、失点が100・被本塁打が30のラインを上回ったのも、いずれも自身初と散々なシーズンだった。

2017年は先発17試合・リリーフ11試合と前年以上に先発の機会が減少し、3勝7敗、防御率6.41、WHIP1.60と成績も更に低下した。オフの11月2日にFAとなった[12]

ブレーブス時代

アトランタ・ブレーブス時代
(2018年9月18日)

2018年2月20日にツインズと1年250万ドル(ロースター入りできなければ50万ドルのみ、出来高は最大250万ドル)で契約を結んだ[13]。3月11日にランス・リンの加入に伴い、FAとなった[14]。3月16日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ[15]。4月2日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[16]。6月9日のロサンゼルス・ドジャース戦で登板中に、滞在しているホテルに強盗が入り、約10万ドルの宝石類が盗まれた[17]。この年は25試合登板(先発24試合)で7勝6敗、防御率2.83、WHIP1.08と一定の復活劇を見せた。オフの10月29日にFAとなった。

ナショナルズ時代

2018年12月27日にワシントン・ナショナルズと2年1900万ドルで契約を結んだ[18]

2019年は5月10日まで0勝5敗、防御率5.27で、次回先発の同16日のニューヨーク・メッツ戦では負傷により2回途中でマウンドを降り、そのまま故障者リスト入りした[19]。復帰戦となった29日のアトランタ・ブレーブス戦では6回無失点で初勝利をあげた。最終成績は30先発で11勝8敗、防御率3.85だった。ポストシーズンではナショナルリーグチャンピオンシップシリーズ(NLCS)第1戦に先発して8.2回までノーヒットノーランの好投を見せた[20]。チームはワールドシリーズへ進出。ヒューストン・アストロズとのワールドシリーズでは第3戦に先発登板したが敗戦投手となった。しかし、チームは球団初のワールドシリーズ優勝を果たし、サンチェス自身も初となるワールドシリーズ優勝を経験した。

2020年オフの10月28日に球団が延長オプションの放棄を発表したため、FAとなった[21]

ナショナルズ退団後

2021年は、東京オリンピック野球ベネズエラ代表として出場を目指すため、MLBからの契約を断っていたが[22]、ベネズエラは最終予選で敗退して本戦出場は果たせず、自身も最終予選のメンバーに選出されなかった[23]

ナショナルズ復帰

2022年3月15日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[24]。4月6日にメジャー契約を結び40人枠入りした[24]。2年ぶりにMLBの試合に出場した。オフの11月6日にFAとなった[25]

2023年5月16日、自身のSNS上にて現役引退を発表した[26][27]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2006 FLA
MIA
181721010300.769469114.19094614724139362.831.19
2007 660002100.66715130.04331912143017164.802.07
2008 10100002500.28624151.25472726501035325.571.57
2009 16160004800.33338386.084104651710139373.871.51
2010 3232110131200.520841195.01921070571577089773.551.34
2011 32323208900.471830196.11872064852024585803.671.28
2012 19190005700.417504121.01191233221104159533.941.26
DET 12121104600.40031674.28181513573036313.741.29
'12計 313111091300.409820195.22002048351677195843.861.27
2013 292911014800.636746182.0156954122027056522.571.15
2014 22210008500.625514126.0108430131025055483.431.10
2015 2525111101000.500660157.01522949111385389874.991.28
2016 352600071300.350668153.1171305315135721081005.871.46
2017 28170003700.300482105.11392629141045181756.411.60
2018 ATL 25240007600.538553136.21061542041354048432.831.08
2019 WSH 303000011800.579712166.015322581041341377713.851.27
2020 11110004500.44424553.070111823430240396.621.66
2022 14140004600.40029269.155133324482034334.281.27
MLB:16年 36434197111611900.49486072017.219602386864460177462199879104.061.31
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • FLA(フロリダ・マーリンズ)は、2012年にMIA(マイアミ・マーリンズ)に球団名を変更

年度別守備成績



投手(P)












2006 FLA
MIA
18151312.966
2007 62820.833
2008 102540.636
2009 1661022.889
2010 32142552.886
2011 32182611.978
2012 19101313.958
DET 1261311.950
'12計 31162624.955
2013 29171910.973
2014 221118021.000
2015 252115001.000
2016 35131321.929
2017 284630.769
2018 ATL 25122320.946
2019 WSH 30171840.897
2020 115511.909
2022 144420.800
MLB 3641772343215.928
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • FLA(フロリダ・マーリンズ)は、2012年にMIA(マイアミ・マーリンズ)に球団名を変更

タイトル

表彰

背番号

  • 36(2006年 - 2008年)
  • 19(2009年 - 2020年)
  • 27(2022年)

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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