小牧太

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国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1967-09-07) 1967年9月7日(58歳)
身長 160cm
小牧太
睦月特別表彰式(2025年1月14日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県曽於郡有明町
(現・志布志市
生年月日 (1967-09-07) 1967年9月7日(58歳)
身長 160cm
体重 52kg
血液型 O型
騎手情報
所属団体 兵庫県競馬組合
勝負服 緑胴、赤山形一本輪、袖赤(兵庫)
初免許年 1985年(兵庫)・2004年 (JRA)
免許区分 平地[1]
重賞勝利 111勝(中央34勝、地方77勝[2]
G1級勝利 桜花賞(2008年)
朝日杯フューチュリティステークス(2009年)
通算勝利 11741戦911勝(中央)
15384戦3440勝(地方)
経歴
所属 曾和直榮(西脇園田)(1986.10.1 - 2004.2.29)
→フリー(JRA・栗東)(2004.3.1 - 2024.7.31)
→中塚猛(園田)(2024.8.1 - 2026.3.17)
→兵庫県騎手会(2026.3.18 - )
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小牧 太(こまき ふとし、1967年9月7日 - )は、兵庫県競馬組合(兵庫県騎手会)の騎手1985年に兵庫県競馬組合よりデビューして、2004年に日本中央競馬会(JRA)へ移籍し、2024年8月より兵庫県競馬組合に復帰。弟は兵庫県競馬組合所属調教師小牧毅。子息の小牧加矢太は2020年の全日本障害飛越選手権を制した馬術競技の元選手で現JRA騎手[3]

第一次兵庫所属時代

出生は神奈川県横浜市[4]。横浜から移り住んだ鹿児島で競馬とは無縁の環境で育ち、進学先の高校も決まっていたが、乗り役を捜していた近所の牧場が小牧に声を掛けたことから話は進展し、1985年兵庫県競馬組合の曾和直榮厩舎の所属騎手としてデビューとなる[5]

初騎乗は1985年10月30日の姫路競馬第1競走(タカラヒリユウ)で、初勝利は同年11月3日の姫路競馬第8競走(ビンゴトモエ)[5]。厩舎の主戦に田中道夫がいたことや、厩舎の西脇から園田への移転で伸び悩む時期もあった[5]が、1989年摂津盃シルバーブリツトに騎乗し重賞初制覇したのを機に盛り返しを見せ、これ以降曾和厩舎の主戦騎手として、楠賞全日本アラブ優駿3勝など数々の重賞を制覇した。1992年には181勝をあげ、田中道夫をおさえ初めて兵庫リーディングジョッキーとなる[5][6]。兵庫県でのリーディング獲得は9年連続を含む10回を数え、1994年1996年には地方競馬の全国リーディングを獲得している。

アラブ時代は縁がなかった三冠制覇はサラブレッド導入2年目にロードバクシンで達成している。

中央競馬での活躍、移籍

中央競馬での初騎乗は1993年3月6日、中山競馬第6競走でナトルーンフラワーに騎乗し8着。初勝利は同年のワールドスーパージョッキーズシリーズ参戦となった12月4日、阪神競馬第8競走 でダイゴストロングに騎乗し1着。その後、兵庫県競馬にもサラブレッドが導入されたことから指定交流競走を通じて中央競馬での騎乗も増え、移籍前の2001年3月11日のフィリーズレビューローズバドで優勝して、JRA重賞初制覇すると8月にもロサード小倉記念を制するなどJRA重賞を2勝している。この2つの重賞優勝馬はともに橋口弘次郎厩舎の所属馬であったことから同厩舎の管理馬に騎乗する機会が増えた。

2001年10月、園田金盃ワシュウジョージで制して、地方重賞通算50勝を達成。

2002年9月12日、地方競馬通算3000勝を達成。

2001年2002年に中央競馬で20勝以上を挙げ、JRAの騎手試験の一次試験の筆記試験(国語・数学・競馬法規)が免除され二次試験(技能試験と面接)から受験できる資格を得た。2003年の同試験に合格し、2004年にJRAへ移籍。兵庫県競馬組合所属としての最後の勝利は、特別に「フェアウェルステージ」と改称されたレースで同じくJRAへ移籍する赤木高太郎をマッチレースの末、クビ差抑えてのものだった。中央移籍までの地方競馬通算勝利は3376勝。

JRA移籍後

移籍後の初騎乗は2004年3月6日、初勝利は翌3月7日。初年度はダイタクバートラム北九州記念を制したが、その後のレースで同じようなミスを犯すと、ミルコ・デムーロに乗り代わった途端に圧勝されるなど与えられたチャンスを生かせなかった。また騎乗機会の多かった橋口厩舎の馬でも上村洋行ペールギュントなど)や藤岡佑介ローゼンクロイツなど)に委ねられるケースが増えた時期もあった。ただ、2009年にはローズキングダムでの朝日杯フューチュリティステークス勝利をはじめ橋口厩舎所属馬で重賞を4勝するなど、重要な場面での起用は増えた。

2004年7月31日、小倉競馬第5競走をプリンセスゴールドに騎乗し1着となり、現役90人目となるJRA通算100勝を達成[7]

その後は移籍4年間で重賞を9勝(地方競馬含む)、2006年2月26日の阪神競馬第2競走でテイエムヒビキに騎乗し1着となり、JRA通算200勝を達成[8]2007年10月7日に京都7Rでニホンピロファイブに騎乗し1着となり、現役39人目となるJRA通算300勝を達成している[9]。2007年2月34日には小倉大賞典シルクロードステークスと2日間で重賞2勝するという偉業を達成している。なお、JRA所属となってからも兵庫への参戦は活発で、2004年に条件レベルの交流戦を中心に地方全体で10勝を挙げ、兵庫での重賞成績は4戦2勝2着2回。三冠の園田ダービー菊水賞では兵庫所属のホクセツガーデンに騎乗している。

園田時代の勝負服
園田時代の勝負服
緑色ベースの貸し勝負服を着用中の小牧
緑色ベースの貸し勝負服を着用中の小牧

2008年4月13日桜花賞レジネッタで制し、JRA移籍5年目にして初のGI勝利を達成した。同年のスプリングステークススマイルジャックで制するなど同年のクラシック世代で活躍していることから、桜花賞実況の馬場鉄志関西テレビアナウンサー)をして「今年は小牧の年か!」と評するなどとこの年は注目されていた。なお、桜花賞以後もレジネッタを優駿牝馬単勝5番人気3着、東京優駿ではスマイルジャックを12番人気で2着に好走させ、それぞれのレースで3連単44万馬券、20万馬券となるのに一役買うなど、2008年の3歳春クラシックを盛り上げたジョッキーのひとりである。また、夏にはカノヤザクラアイビスサマーダッシュセントウルステークスを制してサマージョッキーズシリーズに優勝、JRA移籍後初となるワールドスーパージョッキーズシリーズへも参戦した。また翌年もアイビスサマーダッシュをカノヤザクラで制し、人馬ともに史上初となるアイビスサマーダッシュ連覇を記録した。

2020年10月17日京都競馬第5競走でニホンピロマリブに騎乗し1着となり、JRA史上48人目・現役25人目となるJRA通算900勝を1万1360戦目で達成した[10]

2024年3月28日、園田競馬第2競走で実弟の小牧毅が管理するメイショウマサカリに騎乗して勝利、2022年10月2日の中京競馬第7競走以来約1年半ぶりの勝利を飾った[11][12]。園田競馬場での勝利は2019年6月27日のJRA交流競走「淀川特別」以来、エキストラ騎乗では2005年3月23日第11競走以来19年ぶりとなった[11]。さらに同日新設された重賞、第1回ネクストスター西日本にてリケアサブルに騎乗し1着となり、兵庫では2004年の姫山菊花賞(カネトシパッション)以来20年ぶりの重賞制覇を達成[12]。この騎乗は騎手養成所時代の同期である田中守調教師に自ら電話をして志願し、周囲のサポートもあって騎乗が決定。「同期の田中守調教師の馬で勝つことが実現して良かったです。強い馬で、またがっていただけでした。力を信じて乗りました」と喜びに浸った[12]

2024年4月11日、園田競馬で8鞍に騎乗した後、記者陣の取材に応じて、同年に行われる地方競馬全国協会(NAR)の第1回騎手免許試験を受験し、兵庫県競馬組合所属の騎手に復帰する意向を示した。既に願書を提出しており、5月の1次試験(筆記試験)、7月の面接及び実技試験の免許試験に合格すれば同年8月1日より兵庫県競馬組合の騎手に復帰する事ができる。兵庫県競馬組合では他場からの移籍に関しては「3か月間の研修期間」が申し合わせで決まっている(詳細)が、兵庫への復帰となる小牧に関してこの規定が適用されるかどうかは「免許再取得後に正式な対応を示す方針」としたが、兵庫県調教師会と兵庫県騎手会は小牧の復帰には肯定的な反応を示したとされた[13][14]

同年7月19日、地方競馬全国協会より令和6年度第1回調教師・騎手免許試験新規合格者が発表され、NAR騎手免許に合格したことが明らかになった。これにより同年7月31日付で中央競馬の騎手免許は取消(返上)となり、8月1日より兵庫県競馬組合・中塚猛厩舎所属の騎手として復帰することとなった。地方競馬出身の中央競馬所属騎手が再び地方競馬に復帰する史上初の事例となった[15][16]。7月20・21日の小倉競馬がJRA所属騎手として最終騎乗週となり、土日で5鞍に騎乗したが、JRA所属として最終騎乗となった21日の第12競走・3歳以上1勝クラス(ダート1700m)では単勝12番人気のモズアカボスで制し、2022年10月2日・中京競馬第7競走以来の勝利でJRA通算911勝目の掉尾を飾った[17]。最終競走終了後のウィナーズサークルで地方移籍セレモニーが行われ、当日は弟の小牧毅調教師、福島競馬の第1競走で勝利した後に空路で駆け付けた長男の小牧加矢太などからねぎらいを受けた[18]

兵庫県競馬復帰後

兵庫競馬復帰となる8月1日は園田競馬場で記者会見の後、ファンへの紹介式も行われた[19]。勝負服色は移籍前と同様に「緑胴、赤山形一本輪、袖赤」となる[20]。兵庫所属としての実戦騎乗開始は同月14日の園田競馬第2競走でエイシンジェットに騎乗して1着となり、復帰後、初騎乗初勝利を収めている[21]。10月18日には全国交流レース第8回兵庫ゴールドカップでエコロクラージュに騎乗し1着となり、兵庫復帰後初の重賞制覇[22]。12月26日、園田4Rでカンナリリーに騎乗し1着となり、地方通算3500勝(JRA所属時での地方64勝を含む)を達成。

2025年6月6日、園田競馬第12競走をトウシンハナで勝利し、地方競馬通算3600勝(JRA所属時での地方64勝を含む)を達成した[23]。同年6月26日、園田競馬第10競走でウインディーパレスに騎乗して1着となり、2003年以来22年ぶりとなる年間100勝に到達した[24]。11月20日に園田競馬10Rでワンダーブリングに騎乗し1着となり、地方通算3700勝(JRA所属時での地方64勝を含む)を達成。12月2日、園田競馬第7競走でコヒロに騎乗し1着となり、年間100勝と同じく2003年以来22年ぶりとなる年間200勝を達成[25]。最終的には229勝として、22年ぶりとなる11回目の兵庫県競馬リーディングジョッキーを獲得した[26]

2026年3月17日、兵庫復帰後から所属厩舎となっていた調教師の中塚猛が死去した[27]ことに伴い、翌18日付で兵庫県騎手会所属騎手(所属厩舎なしのフリーランス)となった[28]。同年4月22日、園田競馬第9競走をアイファーキャップに騎乗して1着となり、1万6893戦目で地方通算3800勝(JRA所属時での地方64勝を含む)を達成した[29]

エピソード

泣き虫ジョッキー

感激屋で、涙もろいことで知られている。JRA初勝利となったワールドスーパージョッキーズシリーズで表彰台に上がった際に涙を見せ、JRA移籍直前の園田競馬場の壮行会でも涙で挨拶にならなかった(最初に一言しゃべりかけたものの涙で詰まり、そのまま1分以上泣きじゃくり、「JRAに行っても応援してください!」と言うのがやっとであった)。念願の初GI制覇となった桜花賞の勝利ジョッキーインタビューでは、「ファンの皆さんにやっとGIを勝てました、お待たせしましたと言いたい」とコメントし、ここでも涙を見せた。弟の毅が重賞初制覇した際に、本人の分も泣いたほどである。

家族

息子の加矢太も騎手を志していたが、JRAの競馬学校騎手課程試験に不合格となった。身長が高く、骨の成長度の検査で将来的に176cmくらいになると診断結果が出たため落ちたという[30]。その後滋賀県光泉カトリック高等学校に進学し、東京五輪を目指し馬術競技に転向。2013年に全日本ジュニア障害馬術大会で優勝、2014年には長崎がんばらんば国体少年の部で標準障害飛越と二段階障害飛越の2種目で優勝するなど馬術競技で活躍している。2022年のJRA騎手免許試験に合格し、障害専門の騎手となった[3]

長女は自身のバレットを務めている(父の他に坂井瑠星荻野極も担当している)[31][32]。2015年にJRA通算800勝を達成した際には娘が記念のプラカードを持った[33]

ファンと騎手との集い

2018年のファン騎手では『「お疲れさまでした」「お」と「した」さえ合っていれば間は何でもいける説』の検証企画でターゲットになった際、唯一怪しさに気づいた。

主な騎乗馬

兵庫競馬再移籍後

騎乗成績

  • 中央競馬
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1993年3月6日2回中山3日6R4歳新馬ナトルーンフラワー14頭28着
初勝利1993年12月4日5回阪神1日8R4歳上500万下ダイゴストロング9頭11着
重賞初騎乗1999年9月5日2回小倉8日11R小倉3歳ステークスブイイオン13頭89着
重賞初勝利2001年3月11日1回阪神6日11Rフィリーズレビューローズバド14頭61着
GI初騎乗2001年4月29日3回京都4日11R天皇賞(春)イブキガバメント12頭127着
GI初勝利2008年4月13日2回阪神6日11R桜花賞レジネッタ17頭121着
最終騎乗2024年7月21日3回小倉8日12R3歳上1勝クラスモズアカボス15頭121着
年度1着2着3着騎乗数勝率連対率複勝率
2002年212625333.063.141.216
2003年231618275.084.142.207
2004年444555616.071.144.234
2005年766462781.097.179.259
2006年637167795.079.169.253
2007年566070752.074.154.247
2008年686865748.091.182.269
2009年756868815.092.175.259
2010年585247666.087.165.236
2011年695852702.098.181.255
2012年605355627.096.180.268
2013年454145628.072.137.209
2014年626356681.091.184.266
2015年544839598.090.171.236
2016年373640559.066.131.202
2017年363325457.079.151.206
2018年82517363.022.091.138
2019年81112355.023.054.087
2020年10919233.043.082.163
2021年 6 7 9 143 .042 .091 .154
2022年 2 1 5 92 .022 .033 .087
2023年 0 0 2 60 .000 .000 .033
2024年 1 0 1 36 .028 .028 .056
通算91189688811741.078.154.230

2011年、フェアプレー賞(関西)

(2024年7月21日現在)

テレビ出演

著書

参考文献

関連項目

脚注

外部リンク

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