ジョーダン・193

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ジョーダン・193 (Jordan 193) は、ジョーダン・グランプリ1993年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。設計者はゲイリー・アンダーソンとジョーダン・デザインチーム。1993年の開幕戦から最終戦まで実戦投入された。

前年型192を正常進化させたマシン。ゲイリー・アンダーソンは「193のモノコックはまるまる100%、192のモノコックと同じものを流用した」と証言している。その理由は、「資金の節約と、開発時間を短縮するためにクラッシュテストを通さずに193を作ろうとしていた。モノコックを新しくすると、また新たにテストを受けないといけないからね。」と述べている[2]。その一方でウィング取りつけ方法などは191をベースにした192とは打って変わり、アンヘドラル・ウィングから吊り下げ式のフロントウィングに変更された。193の場合はハイノーズの下に3枚のステーを3角形に並べて、フロントウィングを懸架するというオリジナルの方法だったが、造形的にはアンダーソンが「なんの面白みも無く、美しくない取り付け方法で不本意だった。」点が理由で、あまり好きではないマシンだとしている[2]

また、チームの規模に見合う範囲でハイテク装置を開発し、6速横置きセミオートマチックトランスミッション(セミAT)とセミアクティブサスペンション(車高調整システム)を採用した。

エンジンは信頼性不足で不発に終わったヤマハに替えて、ハートのV型10気筒エンジンを搭載した。プライベートメーカーであるハートは、1986年以来7年振りのF1復帰となった。

1993年シーズン

ドライバーは1992年の国際F3000選手権ランキング3位のルーベンス・バリチェロフェラーリから移籍してきたイヴァン・カペリを起用した。新人バリチェロがポジションを確立する一方、もう一方のシートは落ち着きなく5人が入れ替わった。

カペリが第2戦ブラジルGPで予選落ちを喫すると、資金的な理由で解雇となり、第3戦からの後任には、スポンサーのブラウン&ウィリアムソンバークレイ英語版)が希望したことから、リジェのシートを失い浪人中だったティエリー・ブーツェンが加入した(バークレイが1985-86シーズンタイトルスポンサーを務めたアロウズでブーツェンとパイプがあった)。しかし長身のブーツェンは193のモノコックサイズが合わず、地元レースの第12戦ベルギーGPでF1からの引退を表明。第13戦イタリアGPマルコ・アピチェラ、第14戦ポルトガルGPエマニュエル・ナスペッティ、第15戦日本GPと最終戦オーストラリアGPエディ・アーバインがドライブした。アーバインには6月のル・マン24時間レースで現地を訪れていたエディ・ジョーダンがシーズン後半戦からのレギュラー参戦を持ちかけたが、アーバインは全日本F3000選手権タイトル獲得を優先したため、終盤2戦のみの参戦となった。

ハートエンジンは軽量コンパクトで、昨年までの大型で重かったヤマハV型12気筒エンジンと比べてポテンシャルを秘めていたが、信頼性は不足気味でリタイヤも多かった。それでも、バリチェロが第3戦ヨーロッパGPで雨の中一時2位を走行するなど速さを見せ、日本GPでバリチェロが5位、アーバインが6位とダブル入賞を果たし、コンストラクターズも前年より1つ上の10位を記録した。

スペック

記録

参照

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