ジョーダン・194
From Wikipedia, the free encyclopedia
|
| |||||||||||
| カテゴリー | F1 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| コンストラクター | ジョーダン | ||||||||||
| デザイナー |
ゲイリー・アンダーソン アンドリュー・グリーン | ||||||||||
| 先代 | ジョーダン・193 | ||||||||||
| 後継 | ジョーダン・195 | ||||||||||
| 主要諸元[1] | |||||||||||
| シャシー | カーボンファイバー ハニカム コンポジット | ||||||||||
| サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド | ||||||||||
| サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン, プッシュロッド | ||||||||||
| エンジン | ハート・1035, 3,499 cc (213.5 cu in), V10, NA, ミッドエンジン, 縦置き | ||||||||||
| トランスミッション | ジョーダン製 6速 セミAT | ||||||||||
| 燃料 | サソル | ||||||||||
| タイヤ | グッドイヤー | ||||||||||
| 主要成績 | |||||||||||
| チーム | サソル・ジョーダン | ||||||||||
| ドライバー |
14. 15. 15. 15. | ||||||||||
| 出走時期 | 1994年 | ||||||||||
| コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||||
| ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||||
| 初戦 | 1994年ブラジルグランプリ | ||||||||||
| |||||||||||
ジョーダン・194 (Jordan 194) は、ジョーダン・グランプリが1994年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。設計者はゲイリー・アンダーソンとスティーブ・ニコルズ。1994年の開幕戦から最終戦まで実戦投入された。
開発
194の完成は早く、1月11日に公開された。193の後継マシンとして開発され、引き続き6速横置きギアボックスを用いたセミオートマチックトランスミッションとハート製エンジンを搭載する。チームにとって初めて2年連続で同じエンジンを積むことになり、アンダーソンは「毎年エンジンを変えてはマシン後部の設計をやりなおしていたので、開発プログラムを進めるうえで熟成させるという事が可能になり、余裕が持てて助かった。」と述べている[2]。また、「191以降の192と193は、言い方は悪いが191の奇形化で私としては本来作りたいマシンとは違う方向に行かざるを得なかった。これを194では断ち切って、シンプルで美しいマシンへと戻すことが出来た。ノーズを再び低くしたのは、あまり高くしてしまうとドライバーの足が高くなりすぎるというのが私の意見だ。美しさに欠けると思う。重心も低くしたいので、今でも一番優れているパッケージだと確信している191のスタイルに戻した。」と吊り下げ式のフロントウィングから従来のトーショナルウイングに戻した理由について語った[2]。194の大きな特徴は、ジョーダンが191でF1参戦開始以来の特色であったフロントのモノショックを止め、ツインショックを採用していた事であった[3]。この理由は「ノンロール化にこだわってモノショックを続けていたが、ドライバビリティとセッティングの幅を広げることを優先することにした。」ためであった。
1994年シーズン
ドライバーはルーベンス・バリチェロと、前年の日本GPから起用したエディ・アーバインを継続して起用した[4]。アーバインが開幕戦ブラジルGPでの多重クラッシュの原因であると判定され3戦の出場停止処分を受けたため、第2戦パシフィックGPは鈴木亜久里、第3戦サンマリノGPと第4戦モナコGPはアンドレア・デ・チェザリスがアーバインの代役として出走した。
ハートエンジンのスピード不足と信頼性不足の影響で計17回リタイヤを喫し、ダウンフォース不足にも悩まされた。バリチェロは「確かに193よりタイムは出るんだけど、194は乗りにくいし、何かが足りない」と語った。それでも、バリチェロがパシフィックGPでチームのF1初表彰台となる3位を獲得、さらに第11戦ベルギーGPで初のポールポジションをもたらした。アーバインも3度ポイント獲得する速さを見せ、スポット参戦したデ・チェザリスはモナコGPで4位入賞と活躍を演じた。年間を通じて28ポイントを獲得し、コンストラクターズも初参戦だった1991年以来となる5位に返り咲いた[5]。
実戦で194に乗った印象を鈴木亜久里は約30年が経った2025年の取材にて、「事前に一度もテストせず急に乗ることになったけど、癖が無くてすごく乗りやすかった。ゲイリー・アンダーソンはマシンをいちから作れる優秀なデザイナーだと感じたし、アラン・ジェンキンスの作ったダメなクルマとはまるで違いますよ。ちゃんとテストしてから乗っていれば結果を出せた良いマシンだと思います。」[6]と好印象を述べている。