ブライアン・スニッカー
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| アトランタ・ブレーブス シニアアドバイザー | |
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2024年3月29日 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 出身地 | イリノイ州ディケーター |
| 生年月日 | 1955年10月17日(70歳) |
| 身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 190 lb =約86.2 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 捕手・一塁手 |
| プロ入り | 1976年 MLBドラフト25巡目 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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ブライアン・ジェラルド・スニッカー(Brian Gerald Snitker , 1955年10月17日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州ディケーター出身のプロ野球監督、コーチ。愛称はスニット[1]。2026年からはMLBのアトランタ・ブレーブスでシニアアドバイザーを務める。2025年までは同球団で監督を務めていた。
長らくコーチやマイナーリーグ監督を経験し、正式にアトランタ・ブレーブスで監督を務めるようになったのは60歳を過ぎてからであるが、2018年から2023年までチームをナショナルリーグ東地区6連覇に導き、2021年にはワールドシリーズ制覇を達成するなど、ブレーブス監督としては1990年代~2000年代に在籍したボビー・コックスに次ぐ実績を残した。
息子のトロイ・スニッカーはヒューストン・アストロズの打撃コーチ[2]。
ニューオーリンズ大学卒業後、1976年のMLBドラフト25巡目でシカゴ・カブスより指名され契約。翌年からアトランタ・ブレーブスに移り、1978年にはAAAまで上がるが、メジャー昇格はかなわなかった。
1980年に引退し、1982年からブレーブスのマイナーチームの監督に就任。
1985年、1988年から1990年にはブレーブスのブルペンコーチを務め、2007年から2013年はブレーブスの3塁コーチを務める。それ以外の期間はブレーブスの下部組織全てのチームの監督を歴任[3]。
2016年に再びブレーブスの3塁コーチに就任。シーズン途中の5月17日に成績低迷で解雇されたフレディ・ゴンザレスに代わり、代行監督を務め、2017年から正式に監督に就任することとなった。
2018年は球団として5年ぶりのポストシーズンを果たした。ナショナルリーグディビジョンシリーズ(NLDS)で敗れたものの、直後に2020年まで2年間(2021年は球団側オプション)の契約延長を勝ち取った[4]。
2021年はチームがワールドシリーズに進出し、ヒューストン・アストロズと対決。11月2日の試合に勝利し、26年ぶり4度目のワールドシリーズ優勝を果たし、自身初めてワールドシリーズ優勝を経験した[5]。
2022年オフの11月15日に全米野球記者協会(BBWAA)から1位票が7、2位票が5、3位票が5の計55ポイントで最優秀監督賞3位となった[6]。
2025年は、新加入のジュリクソン・プロファーが薬物規定違反の為に開幕から80試合の出場停止処分が下され、更に故障者続出の中でシーズンが進み、戦力が整わずにプレーオフ戦線から早々に脱落。結局76勝86敗で地区3位に終わり、シーズン終了後に監督退任を表明。シニアアドバイザーに転身することが発表された[7]。