メドウランズの奇跡
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| 開催日 | 1978年11月19日 | ||||||||||||||||||
| スタジアム | ジャイアンツ・スタジアム | ||||||||||||||||||
| 開催地 | ニュージャージー州イーストラザフォード | ||||||||||||||||||
| 審判 | Cal Lepore | ||||||||||||||||||
| 入場者数 | 70,318人 | ||||||||||||||||||
| ネットワーク | CBS | ||||||||||||||||||
| 実況と解説 | Don Criqui、ソニー・ジャーゲンセン | ||||||||||||||||||
メドウランズの奇跡(メドウランズのきせき、英語: The Miracle at the Meadowlands)は1978年11月19日にNFLのニューヨーク・ジャイアンツの本拠地ジャイアンツ・スタジアムで行われたフィラデルフィア・イーグルス戦でのイーグルスのコーナーバック、ハーマン・エドワーズがファンブルリカバータッチダウンをあげたプレイに対する呼び名。イーグルスファンのみでなくスポーツキャスターやNFLフィルムズでも使用されている。試合時間残りわずかでジャイアンツが攻撃権を持っており、イーグルスはタイムアウトを残していなかった。ジャイアンツはもう1プレイ、イート・ザ・ボールで時計を進めることで100%勝利するところであったが、QBのジョー・ピサーシックはフルバックのラリー・ゾンカにボールをハンドオフするプレイを選択、これがファンブルとなりエドワーズが26ヤードのリターンTDをあげイーグルスが逆転勝利した[1]。
ジャイアンツファンはこのプレイをThe Fumble と呼んでいるがニューヨーク以外の土地ではThe Fumbleと呼ばれるプレイは1987年レギュラーシーズンに続くプレーオフ、AFCチャンピオンシップゲームにおけるクリーブランド・ブラウンズとデンバー・ブロンコスのゲームでのアーネスト・バイナーがゴール前でファンブルしたプレイ[2]を指す。
このプレイはアメリカンフットボール史上、コーチのプレイコールの中でも最上級の過ちとして知られている[3]。
この対戦はNFC東地区に所属する両チームにとってシーズン初の対戦であった。イーグルスはダラス・カウボーイズ、ワシントン・レッドスキンズに次ぐ地区3位、ジャイアンツは地区4位であった。このシーズンから16試合となったレギュラーシーズンで両チームともカウボーイズからは大きく離されていたもののワイルドカードでのプレーオフ出場に望みをつないでいた。
ジャイアンツはロードで3連敗して5勝6敗となりプレーオフ出場のチャンスは遠のいており、この試合に勝つことがプレーオフ争いに残る絶対条件であった。ジャイアンツは1963年からプレーオフ出場を逃し続けており勝ち越ししたシーズンもわずか2回しかなかった。リーグで4番目に歴史のあるチームは1976年にニュージャージー州に本拠地を移転してホームスタジアムの座席数は増えたものの古くからのファンの一部はチームから離れていた。またチームにはゴタゴタが続いており、クレイグ・モートン、フラン・ターケントンといった選手もチームを去っていた。
こうした状況にもかかわらず多くのファンがスタジアムに足を運びチームの財政状況は堅実なものであった。
このゲームが行われる1週間前に選手たち(特にオフェンスの選手)の間でアシスタントコーチに対する不満の声がメディアにもたらされていた。選手たちは他のチームと比べてアシスタントコーチたちが若手の育成に熱心ではないと考えていた。シーズン開幕前、チームには経験のない3人のQBがいたがQB専任のアシスタントコーチが雇われることはなかった。選手たちの間ではオフェンスコーディネーターのボブ・ギブソンに対する不満の声が大きかった。彼はサイドラインからではなくスタジアム上階のスポッター席からオフェンスのコールを行った(現在では一般的となっている。)。それに対してQBのピサーシックは過去2シーズンに渡ってギブソンと口論を繰り返していた。前の週にワシントン・レッドスキンズに敗れた試合で第3ダウンロングの状況でパスは3回しか試みられなかった。オーバータイムに入っての第3ダウン7ヤードでもプレーコールはランプレイであった。ギブソンのプレーコールの背景にはピサーシックのパス能力への疑問があった。(ニューヨークのメディアもニューヨーク・ジェッツのジョー・ネイマスをブロードウェイ・ジョーと呼ぶのに対してオフ・ブロードウェイ・ジョーとピサーシックを呼んでいた。)当時のチーム強化方針も守備を向上させることに重点が置かれて攻撃は保守的なプレーをすることとなっていた。そのためオフェンスの選手たちはフラストレーションがたまり、自分たちがやれることを示す機会を欲していた。
イーグルスは6勝5敗でアウェイの試合に乗り込んできた。2連勝している勢いもあり、また1975年の開幕戦で敗れて以降、ジャイアンツに負けなしであった。1960年に3回目の優勝を果たして以降、2シーズンしか勝ち越しできなかったチームに対してファンの眼は冷たいものがあった。この試合以降に強豪のダラス・カウボーイズ、ミネソタ・バイキングスとの対戦を控えプレーオフ争いに残るためには絶対落とせない試合であった。
試合経過
ピサーシックからのタッチダウンパス2本でジャイアンツが先制した[4]。後半にはFGも決まり追加点をあげた。一方イーグルスはタッチダウンを2回あげたもののいずれもエクストラポイントを失敗してしまいFGを決めても追いつけず勝利にはタッチダウンが必要となった。
第4Qにジャイアンツのダグ・コターが自陣深くでファンブルしイーグルスのチャンスとなったがジャイアンツの新人ディフェンスバックのオディス・マッキニーがパスをインターセプトし2ミニッツ・ウォーニングを迎えた。イーグルスはタイムアウトを全て使い果たしていた。スタンドのファンは試合が決まったことを確信し帰り始めた。イーグルスのヘッドコーチ、ディック・ヴァーミールもサイドラインから試合後の記者会見場に向かい歩み始めた。
奇跡
ジャイアンツの自陣26ヤード地点からの攻撃、第3ダウン2ヤードで残り時間31秒となっていた[5]。プレイクロックは30秒しかないので試合終了までは2プレイが必要となっていた。この直前の第2ダウンでのランプレーに対してイーグルスのミドルラインバッカーのビル・バージェイはセンターのジム・クラックをノックアウトしてピサーシックに迫りファンブルを狙った。
これを見たギブソンコーチはQBが怪我をする危険を避けるためにラリー・ゾンカを使った中央へのランプレーでファーストダウンを更新する選択をした[5]。ハドルが組まれるとマイアミ・ドルフィンズのスター選手だったゾンカは自分にボールを渡すプレーを行わないように訴えた。他の選手もプレーを変更するべきだと発言したがピサーシックはそれを拒否した。1週前の試合でギブソンのコールを無断で変更したピサーシックはどなりつけられていて、また指示に背いた場合はクビにするぞと叱り付けられていた。当時はフリーエージェント制度も導入されておらず2年目の先発QBである彼は実績も十分ではなくチームメートの意見に同意する冒険はできない状況にあった。
イーグルスのディフェンス・コーディネーターのマリオン・キャンベルはディフェンスにハドルは組まず11人全員がブリッツするように指示を出した[3]。
ボールがスナップされてピサーシックはゾンカにハンドオフしようとしたがボールはゾンカの臀部に当たりボールをこぼしてしまった。これをイーグルスのハーマン・エドワーズがリカバーし、26ヤードを走りタッチダウンをあげ試合は19-17でイーグルスの勝利に終わった[5]。
ジャイアンツ側のサイドラインは沈黙し、イーグルスのサイドラインは大はしゃぎとなった。エドワーズはこの試合ミスを犯しタッチダウンを許していたので汚名返上であった。しかもこのプレーは彼にとってNFL初タッチダウンとなった。これまでにこうした状況で試合に敗れたチームはなかった。多くのファンは何故こうしたリスクのあるプレーが選択されたのか疑問を投げかけた。翌朝ギブソンコーチはクビになり二度とフットボール界で働く機会は与えられなかった。
ギブソンはフロリダ州の釣り餌店の店長となっており、このプレーに対して口をつぐみ続けている。
プロフットボール殿堂入りを果たした当時ジャイアンツのラインバッカーであったハリー・カーソンによるとディフェンス選手たちのほとんどは勝利を確信しこのプレーを見ていなかったという。試合終了後ロッカールームに戻った選手たちはショックのあまり10分以上声を発するものがいなかったという[6]。
シーズン残り試合
両チームは最終週にベテランズ・スタジアムでの対戦が残っていた。
イーグルスは翌週も勝利し4連勝、ダラス・カウボーイズ、ミネソタ・バイキングスに敗れたものの最終週にジャイアンツに20-3と快勝し、9勝7敗でワイルドカードでプレーオフ出場を決めた[1]。プレーオフではFGとエクストラポイントをそれぞれ失敗しアトランタ・ファルコンズに敗れたが、翌シーズンテキサス農工大学からトニー・フランクリンを獲得、フランクリンはテキサス・スタジアムで行われたダラス・カウボーイズとのマンデーナイトフットボールで、59ヤードのFGを成功、31-21でイーグルスが勝利した。
ジャイアンツは翌週、それまで3勝9敗のバッファロー・ビルズと対戦した。一時は10点差でリードしていたが、第4Qに27点を失い、17-41で敗れた。6勝10敗に終わり3年連続地区最下位に終わった(セントルイス・カージナルスと同率)。