角川下流左岸に位置し、角川のもたらした肥沃な堆積土の湿田地帯。治暦年間に摂津国住吉村(現・大阪府大阪市住吉区住吉)の又次郎なるものが来住し当地を開発、のち氏神として住吉神社を創立したのが村名になったとされている[4]。
藩政期は加積郷、加賀藩に所属。同時期に次第に開拓が進められた。また、天保年間、魚津城下町と接する部分が町場化して住吉村と称し、別に角川沿いに新村が開拓され住吉新村となった。1889年に一部は下新川郡魚津町に編入し住吉町となり、残余は同郡下中島村の大字となり[4]、村役場が設置された[5]。また、住吉新村はのちに大光寺へ合併した[6]。
1952年4月1日以降は魚津市の大字となっている[4]。
1972年8月1日、新住吉町を含めた一部が現行の上口1 - 2丁目となる[7]。