倉橋由美子

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死没 (2005-06-10) 2005年6月10日(69歳没)
日本の旗東京都
職業 小説家
言語 日本語
倉橋 由美子
(くらはし ゆみこ)
1965年7月9日、湯島天満宮の近くで撮影
誕生 1935年10月10日
日本の旗 高知県香美郡土佐山田町
(現・香美市
死没 (2005-06-10) 2005年6月10日(69歳没)
日本の旗東京都
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 明治大学大学院文学研究科中退
活動期間 1960年 - 2005年
ジャンル 小説
代表作パルタイ』(1960年)
『聖少女』(1965年)
『スミヤキストQの冒険』(1969年)
『夢の浮橋』(1971年)
『アマノン国往還記』(1987年)
主な受賞歴 女流文学者賞(1961年)
田村俊子賞(1963年)
泉鏡花文学賞(1987年)
デビュー作 『パルタイ』(1960年)
配偶者 あり
子供 あり
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倉橋 由美子(くらはし ゆみこ、1935年(昭和10年)10月10日 - 2005年(平成17年)6月10日)は、日本小説家。本名・熊谷(くまがい)由美子、旧姓・倉橋。明治大学在学中に『パルタイ』を発表して脚光を浴び、その後も『聖少女』『スミヤキストQの冒険』『アマノン国往還記』などを発表。カフカカミュの影響を受け、日本の女流作家としては稀な抽象的、寓話的作風を示して注目された。

高知県香美郡土佐山田町(現香美市)に歯科医の長女として生まれる。私立土佐高等学校を経て、精神科医を志し公立医学部を受験するが失敗。母が浪人に反対したため京都女子大学国文学学科に籍を置き、医学部を再度受験するが失敗。これ以上の浪人は許されず、日本女子衛生短期大学別科歯科衛生コースに入学する[1]

上京して大学構内の寮に入る。6畳に4人の生活であった。大学を卒業し歯科衛生士国家試験に合格する。その後、歯科衛生士としてアルバイトしながら東京に留まり、明治大学文学部文学科仏文学専攻に入学[2]して斎藤正直の指導を受け、中村光夫に学んだ。在学中に明治大学学長賞を狙い『パルタイ』を応募。卒業論文ではサルトルの『存在と無』を取り上げた[3]帰省中に大学からの電報で『パルタイ』が明治大学学長賞に決定したこと知り上京。在学中の1960年、『明治大学新聞』に小説「パルタイ」が発表され、明治大学教授の平野謙が『毎日新聞』文芸時評欄で取り上げて注目される。「パルタイ」は『文學界』に転載され、昭和35年度上半期芥川賞の候補となった。

明治大学大学院文学研究科に進学[2]と同時に作家活動を開始する。『文學界』や『新潮』などに短編作品を次々と発表する。続いて『夏の終り』で芥川賞候補となったが受賞はしなかった。同年、短編集『パルタイ』を上梓し、翌年、女流文学者賞を受賞。1963年、田村俊子賞賞受賞。「第三の新人」以後の新世代作家として石原慎太郎開高健大江健三郎らと並び称せられ、特に作風や学生時代にデビューしたという共通点のある大江とは比較されることが多かった。

1961年、初の長編小説『暗い旅』を東都書房より刊行するが、ミシェル・ビュトールの『心変わり』の模倣に過ぎないのではないかと江藤淳に指摘され、「外国文学模倣論争」に発展した。本人は『倉橋由美子全作品集』の作品ノートにおいて、これは元々ビュトールの『心変わり』にインスパイアされていることを読者が前提として読んでいることを想定しており、また主人公があなたと二人称で呼ばれていることよりも、ビュトールからはその意識の流れの手法を導入したことが作品の意図であったとしている。

1962年、父を心臓発作で失い、大学院を中退して土佐山田の実家に帰るものの、父の喪失のショックからか小説を書くことに拒絶反応が強くなり、編集者を避けるためにしばしば旅に出る。

1964年、熊谷富裕と結婚し、土佐に新居を構える。かねてより体調不良で小説を書くことも辛かったという。伊藤整の推薦でフルブライトのアメリカ留学への試験を受け、準備をする為に上京するも、血圧や消化器系統に問題があり昏倒することもあった。精密検査を繰り返すが、結局アメリカ出発は体調がすぐれず辞退した。

父と娘の近親姦を扱った長編小説『聖少女』を書き下ろし、1965年に新潮社より刊行。フルブライト委員より留学の意志を問われ、静養先の西伊豆より上京。1966年よりアメリカアイオワ州立大学に留学し、夫の富裕も同大学のフィルムワークショップに入学。同地で健康を回復し、翌1967年に帰国する。

1968年、長女まどかを出産。またアメリカでの経験や、留学先で知り合った友人ヴァージニア・ハルツバーグを描いた小説「ヴァージニア」を『群像』に発表。同時に、ギリシャ悲劇川端康成の文体に影響を受けた「長い夢路」を『新潮』に発表。翌1969年、カフカエスクな『スミヤキストQの冒険』を刊行、空想的な長編小説として話題となる。

1971年、次女さやかを出産。また同年『夢の浮橋』を刊行して新境地を開くが、世間的評価は低かった。これ以降は『夢の浮橋』の登場人物からなる連作を長期にわたって創作する。詩人・英文学者の西脇順三郎の作品や、源氏物語ギリシア神話がその創作のモチーフであるといい、人間関係を軸にブルジョワジーのライフスタイルをリアルに描き、作風の幅を広げた。このシリーズは作者の晩年まで続くこととなるが、この時期以降の作品では以前のようにコンセプト重視の姿勢を前面に打ち出すことは稀で、幻想的なものが多い。「衒学的」と評する人もいるが、「衒学的」とは「教養の高いことを見せびらかす様子」を表す言葉であり、倉橋由美子はもともと教養があまりに高いため、教養の低い読者がそのような偏見を持っているだけである[要検証]

1980年代以降、日本の作家の中ではかなり早期にワープロを用いた執筆を開始していた。1984年の『大人のための残酷童話』はロングセラーとなった。1987年、『アマノン国往還記』で泉鏡花文学賞受賞。

晩年は体調を崩したこともあり、長編小説の執筆は行わなかった。歴史的仮名遣で書く作家で、シェル・シルヴァスタイン『ぼくを探しに』、サン=テグジュペリ星の王子さま』など児童文学翻訳も多く手がけた。

2005年6月10日、拡張型心筋症により69歳で没した。翻訳『新訳 星の王子さま』が遺作となった。没後の2006年、母校の明治大学より特別功労賞が授与され、同大学において回顧展が開催された。

受賞歴

桂子さんシリーズ

1971年の『夢の浮橋』に始まる、山田桂子さんという女性(またはその親族)を主人公とした一連の作品群の通称。作品同士の直接的な関連は薄く、単独でも鑑賞に支障はない。同じ人物が様々な時代、環境で活躍する。なお『夢の浮橋』『城の中の城』『シュンポシオン』『交歓』を「桂子さんの物語」と呼ぶこともある。

桂子さんの物語
桂子さんシリーズ

作品リスト

脚注

関連項目

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