冨安健洋
日本のサッカー選手
From Wikipedia, the free encyclopedia
冨安 健洋(とみやす たけひろ、1998年11月5日 - )は、福岡県福岡市博多区出身のプロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(センターバック、サイドバック)[1]、ミッドフィールダー(守備的ミッドフィールダー)[2]。エールディヴィジ・アヤックス・アムステルダム所属。日本代表。
| |||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
| |||||||||||||||||||||||
| 名前 | |||||||||||||||||||||||
| 愛称 | トミ、トミー、トム、タケ | ||||||||||||||||||||||
| カタカナ | トミヤス タケヒロ | ||||||||||||||||||||||
| ラテン文字 | TOMIYASU "Tomi"Takehiro | ||||||||||||||||||||||
| 基本情報 | |||||||||||||||||||||||
| 国籍 |
| ||||||||||||||||||||||
| 生年月日 | 1998年11月5日(27歳) | ||||||||||||||||||||||
| 出身地 | 福岡県福岡市博多区 | ||||||||||||||||||||||
| 身長 | 188 cm | ||||||||||||||||||||||
| 体重 | 84 kg | ||||||||||||||||||||||
| 選手情報 | |||||||||||||||||||||||
| 在籍チーム |
| ||||||||||||||||||||||
| ポジション |
DF(CB、SB)[1][2] MF(DM)[2] | ||||||||||||||||||||||
| 背番号 | 32 | ||||||||||||||||||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||||||||||||||||||
| ユース | |||||||||||||||||||||||
| 2011-2013 |
| ||||||||||||||||||||||
| 2014-2015 |
| ||||||||||||||||||||||
| クラブ1 | |||||||||||||||||||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | ||||||||||||||||||||
| 2015-2017 |
| 45 | (1) | ||||||||||||||||||||
| 2018-2019 |
| 27 | (1) | ||||||||||||||||||||
| 2019-2021 |
| 61 | (3) | ||||||||||||||||||||
| 2021-2025 |
| 65 | (2) | ||||||||||||||||||||
| 2025-2026 |
| 9 | (0) | ||||||||||||||||||||
| 代表歴2 | |||||||||||||||||||||||
| 2013-2015 |
| 19 | (0) | ||||||||||||||||||||
| 2015-2017 |
| 28 | (1) | ||||||||||||||||||||
| 2018-2021 |
| 10 | (0) | ||||||||||||||||||||
| 2018- |
| 42 | (1) | ||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||
|
1. 国内リーグ戦に限る。2025年12月17日現在。 2. 2024年6月11日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | |||||||||||||||||||||||
略歴
プロ入り前
水泳をしていた2人の姉の影響で自身も水泳を始める予定であったが、祖母の家のランニングマシーンで遊んでいる際に転倒し顎を負傷したため、水泳を始めることを断念。その後、自宅マンションの通路を目を見張るスピードで走る冨安の姿を三筑キッカーズの総監督が偶然目撃、冨安の知り合いの父母に「あの子を何とか(三筑)キッカーズに入れてくれん?」と依頼。父母からチームに勧誘され、結果的にサッカーを始めることになった[3]。
11歳の時、2009年に開校したバルセロナスクール福岡校のコーチに勧められ入会。小学6年生でナショナルトレセンに選出され、地元で広く知られる存在となった[4][5]。同校のコーチは冨安をFCバルセロナに推薦したが、小学生をスペインに連れていくのは難しく、話は立ち消えとなった[4]。後に、18歳でアビスパ福岡の主力選手として活躍できたのはこの経験が生かされているからであると語っている[5]。
中学生からアビスパ福岡の下部組織に入団。ジュニアユース時代は3学年ともキャプテンを務めた。中学3年生時、飛び級でアビスパ福岡のトップチームの練習に参加するようになる[6]。2015年5月19日、高校2年生ながらアビスパ福岡に2種登録され、同年10月の天皇杯3回戦のFC町田ゼルビア戦で公式戦デビューを果たす。
アビスパ福岡
2016年、高校卒業を待たずにアビスパ福岡のトップチームに昇格[7]。J1 2ndステージ第3節のFC東京戦でボランチとしてプロデビューを果たし、その後はディフェンスラインのレギュラーに定着し[8]。2017年3月19日、J2第4節のロアッソ熊本戦でプロ初得点を記録。邦本宜裕と共に高く評価された[9]。
シント=トロイデンVV
2018年1月8日、ベルギー1部のシント=トロイデンVVに移籍することが発表された[10]。J1リーグの強豪クラブも獲得に興味を示していたが、強い海外志向により、福岡に億単位の移籍金を残して海外移籍することになった[11]。5月13日、プレーオフ9節のロイヤル・アントワープFC戦で移籍後初出場[12]。
2018-19年シーズン、7月29日の開幕戦サークル・ブルッヘ戦でフル出場し、リーグ戦初出場を果たした[13]。11月25日、第16節のRSCアンデルレヒト戦で移籍後初得点を決めて勝利に貢献[14]。12月、ドイツ1部のヴェルダー・ブレーメンが移籍金600万ユーロ(約8億円)でオファーを出したが、シント=トロイデン側は少なくとも移籍金1000万ユーロ(約13億円)を求めたこともあり、オファーを断った[15]。リーグ戦終了後、クラブのサポーター団体「Spionkop Geel-Blauw」によるシーズン最優秀選手に選出された[16]。
ボローニャFC
2019年7月9日、セリエA・ボローニャFCへの完全移籍が発表された[17]。移籍金は12億円[18]。背番号は「14」。8月10日、親善試合のビジャレアルCF戦でヘディング弾を決め、ボローニャでの初ゴールを記録[19]。8月18日、コパ・イタリア3回戦のACピサ1909戦で公式戦デビュー[20]。8月25日、セリエA開幕戦のエラス・ヴェローナFC戦で右サイドバックとしてリーグ戦デビューを果たし、プレーに多くの称賛の声が上がった[21][22][23]。
ガゼッタ・デロ・スポルトは新星ベスト5に選出。英『トーク・スポーツ』が発表した「今季のヨーロッパのワンダーキッド トップ20」で、ジェイドン・サンチョやキリアン・エムバペが名を連ねるなか10位に選出された[24]。また、8月のクラブ月間MVPにロベルト・ソリアーノやリッカルド・オルソリーニを抑えて選出された[25]。12月15日、第16節アタランタBC戦にて移籍後初アシストを記録[26]。2020年7月18日、第34節ACミラン戦で左足のミドルシュートを決め、セリエA初得点を記録した[27]。シーズンを通じて右サイドバックやセンターバックとして先発出場を重ね、7月にはコリエレ・デロ・スポルト紙に「冨安は黄金の選手。シニシャ・ミハイロヴィチ監督にとってなくてはならない選手」と評価された[28]。
アーセナルFC
2021年8月31日、プレミアリーグ・アーセナルFCに移籍することが発表された。移籍金は25.5億円[30]。背番号は「18」[31]。同年9月11日、ノリッジ・シティ戦で先発起用され、プレミアリーグデビュー[32]。10月8日、9月のチームの月間最優秀選手に選出された[33]。同年12月26日、ノリッジ・シティ戦前に行われた新型コロナの検査で陽性反応となったことをクラブが発表[34]。2022年1月9日、FA杯ノッティンガム・フォレスト戦を右脹脛の張りで欠場[35]。同年1月20日、全体練習に参加できておらず万全の状態でなかったが、右サイドバックでプレイできるセドリック・ソアレスとカラム・チェンバースが欠場したため、本人の志願もありカラバオ杯リヴァプール戦2ndレグに強行出場[36]。しかし、これにより右脹脛の負傷が再発[37]。同年2月19日、プレミアリーグのブレントフォード戦でベンチ入りするも出場はなかった。試合後に今度は左の脹脛を負傷[38]。同年4月23日、プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッド戦で後半アディショナルタイムから途中出場し約3ヶ月ぶりに実戦復帰[39]。
2023年3月16日、UEFAヨーロッパリーグ・ラウンド16セカンドレグのスポルティングCP戦で先発出場したものの、前半6分で右膝を負傷し交代した。その後、手術を要する重傷であることが判明し、手術は成功したもののシーズン内の復帰が叶わないことが発表された[39]。
9月21日、UEFAチャンピオンズリーグGL第1節のPSVアイントホーフェン戦でCLデビューを果たした[40]。 10月28日、プレミアリーグ第10節シェフィールド・ユナイテッド戦でコーナーキックのこぼれ球を押し込み、出場50試合目でアーセナル移籍後初ゴールを決めた。11月2日、サポーター投票で64%の票を集め、2021年9月以来2度目の受賞となる10月のアーセナル月間最優秀選手に選出[41][42]。12月2日、プレミアリーグ第14節ウルヴァーハンプトン戦で先発出場し、ブカヨ・サカの先制点をアシストするも後半に脹脛を痛めて負傷交代。12月31日のフラム戦で実戦復帰するまで約1ヶ月の離脱となった。
2024年3月20日、アーセナルとの契約延長が発表された[43]。一部報道では、年俸は1年につき10億円超えで、契約期間は2026年夏までとされた[44][45]。5月20日、リーグ逆転優勝の可能性を残す中、プレミアリーグ最終節エヴァートンFC戦で先制点となるゴールを決める。チームは2-1で勝利したが、同時刻にマンチェスター・シティがウェストハムに勝利したため、アーセナルの優勝は叶わなかった。
2024年7月21日、膝の負傷を鑑みアメリカ開催のプレシーズンツアーのメンバーに入らず、治療のためアーセナルのトレーニングセンターに残ることが発表された[46]。同年10月5日、プレミアリーグ第7節サウサンプトンFC戦で復帰するまで約2ヶ月半の離脱となった[47]。しかし、同試合後に再び離脱[48]。長引くことはないだろうとミケル・アルテタ監督は説明していたが、復帰することはなく詳しい説明がなされないまま、コンディションについて不透明な状況が続いた。2月の恒例のドバイキャンプには、負傷中のブカヨ・サカが帯同するなか冨安のみ不参加。2025年2月19日、冨安の右膝の負傷が再発し8月の手術に続いて2度目の手術を行ったこと、2025年末を復帰目標としたリハビリを開始したことをクラブが発表した[49]。これにより、2024-25シーズンは公式戦わずか6分のみの出場に終わった。
2025年7月4日、双方合意のもとアーセナルと契約解除したことが公式発表された[50]。
アヤックス・アムステルダム
2025年12月16日、オランダのアヤックス・アムステルダムに所属することが発表された。2026年6月30日までの短期契約となる[51]。同クラブには日本代表DFの板倉滉が所属しており、クラブ史上2人目の日本人選手となる。
日本代表
2016年7月1日、リオ五輪のトレーニングパートナーに選出された[53]。同年10月に開催されたAFC U-19選手権のメンバーにも選出。17日のグループリーグ第2戦・イラン戦ではセンターバックとして無失点に抑えて、中山雄太とともに安定したディフェンスを披露した[54]。30日の決勝のサウジアラビア戦でも日本のピンチを抑えて初優勝に貢献した。
2018年8月30日、キリンチャレンジカップに挑む日本代表に初招集され[55]、10月12日のパナマ戦で先発して日本代表初出場を果たした[56]。10代での日本代表デビューは2012年の宮市亮以来で、センターバックの選手としては史上初となった[57]。
2019年1月、AFCアジアカップ2019のメンバーに選出。1月9日、初戦のトルクメニスタン戦でスタメン出場し大会最年少での出場を飾った[58]。 1月21日のサウジアラビア戦ではコーナーキックを頭で合わせ、同大会トルクメニスタン戦の堂安律(20歳207日)の記録をさらに上回り、アジアカップの日本人最年少ゴールを2週間足らずで更新した(20歳77日)[59]。準決勝のイラン戦では、CBでコンビを組む吉田麻也と共にイランのエースのサルダル・アズムンを完全に抑え、長友佑都から絶賛された[60]。この大会、最年少ながらレギュラーとして移籍金が急騰するような活躍を見せたが[61]、決勝でカタールに敗れて準優勝となった。
2019年6月、東京五輪世代中心で臨んだコパ・アメリカのメンバーに選出。全試合に先発出場したが、チームは2分1敗でグループリーグ敗退となった。
2019年9月、2022年カタールW杯アジア2次予選のメンバーに選出。9月10日、アウェイのミャンマー戦でスタメン出場し日本代表のセンターバックとしては越田剛史以来39年ぶりの20歳でのW杯予選デビューとなった[62]。劣悪なピッチコンディションの中でチームトップとなる95本(成功率は90.5)のパスを成功させ、こぼれ球奪取数3回、シュートブロック2回、クリア数3回を記録するなど守備面での貢献度は絶大であった。また、ミドルサードでのプレー数もチーム1位となる126回を記録しており、幅広いエリアを的確にカバーしていた[63]。
2021年の東京五輪にメンバーとして選出された。A代表の中心選手であることもあり大きな期待がされたが、怪我の影響で出遅れ、期待された程の活躍はすることが出来なかった。チームも準決勝及び3位決定戦で敗れ、目標としていたメダル獲得には届かなかった。
2022年カタールW杯アジア最終予選において4試合出場する。
2022年11月1日、2022 FIFAワールドカップに臨む代表メンバーに招集された[64][65]。大会直前にハムストリングを負傷していたためコンディションが万全ではなく同大会のグループステージでは出場時間は抑えめであった。それでも1戦目のドイツ戦で後半から途中出場し大金星となる逆転勝利に貢献、3戦目のスペイン戦では終盤に途中出場しジョルディ・アルバやアンス・ファティらを押さえるなど強豪ドイツ、スペインと同組の厳しいグループを1位で突破するのに貢献した。日本代表初のベスト8進出を懸けた前回準優勝クロアチア戦では大会初スタメンを果たし延長戦120分フル出場したがチームはPK戦の末、敗退した[66]。
2023年9月10日に行われたドイツ戦に先発出場し、約9ヶ月ぶりに代表に復帰した。そのドイツ戦において、好調だった相手FWレロイ・サネの決定機を阻止し、勝利に貢献した。
2024年1月1日、AFCアジアカップ2023に向けた代表メンバーに招集された[67]。
2026年3月24日、イングランドとスコットランド代表との強化試合に挑む日本代表メンバーにおよそ1年9ヶ月ぶりに選出されるも怪我によるコンディション不良を理由に無念の不参加となることが発表された。
自身のインスタグラムには「急がば回れ」と投稿している。
5月15日、2026 FIFAワールドカップに臨むサッカー日本代表のメンバーに選出された[68]。自身2度目のワールドカップメンバー選出となった。
エピソード
- 「太平洋のように広い心を持った人間に育ってほしい」という願いを込めて「健洋」と命名された[4]。
- 小学生の頃に所属した三筑キッカーズの総監督が「ドリブルさせたら、恐らく福岡県で彼に追いつける足を持っている子はいなかった。恐ろしいくらい速かった」と語るほど足が速い。練習のない時は近所の公園で練習を重ね、練習量が半端なものではないと感じていた。また、練習にはいつも一番早く来て準備を手伝い、帰っていくのも片付けを見届けてから、いつも最後だったという[3]。
- 目標とする選手は現役時代、駆け引きが上手く、ボランチもこなしていたハビエル・マスチェラーノ[69]。
- バルセロナスクール福岡校に在籍時、スペイン遠征をした頃から世界を意識するようになった[69]。
- 小学生の卒業文集に「プロサッカー選手になって、お母さんとお父さんにおうちを建ててあげたい」と夢を記した[3]。
- 17歳(高校3年生)でプロ契約を結び、アビスパ福岡史上初の高校生Jリーガーとなった。
- 2017年のJ1昇格プレーオフ決勝の名古屋グランパス戦では、左足首を疲労骨折しているなか出場した[70]。
- AFCアジアカップ2019のサッカー日本代表のキャプテンであった吉田麻也は、冨安から抜群の吸収力、試合に勝つために吉田自身に対してどんどん質問していく前のめりさを感じたと語った[71]。
所属クラブ
- 三筑キッカーズ(福岡市立三筑小学校[72])
- アビスパ福岡U-15(福岡市立三筑中学校[73])
- アビスパ福岡U-18(九州産業大学付属九州高等学校)
- 2015年 アビスパ福岡(2種登録選手)
- 2016年 - 2017年
アビスパ福岡 - 2018年 - 2019年
シント=トロイデンVV - 2019年 - 2021年
ボローニャFC - 2021年 - 2025年
アーセナルFC - 2025年12月 -
アヤックス・アムステルダム
個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2015 | 福岡 | 32 | J2 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |
| 2016 | 21 | J1 | 10 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 16 | 0 | |
| 2017 | 14 | J2 | 35 | 1 | - | 2 | 0 | 37 | 1 | ||
| ベルギー | リーグ戦 | リーグ杯 | ベルギー杯 | 期間通算 | |||||||
| 2017-18 | シント・トロイデン | 3 | ジュピラー | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| 2018-19 | 27 | 1 | - | 3 | 0 | 30 | 1 | ||||
| イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2019-20 | ボローニャ | 14 | セリエA | 29 | 1 | 1 | 0 | - | 30 | 1 | |
| 2020-21 | 31 | 2 | 2 | 0 | - | 33 | 2 | ||||
| 2021-22 | 1 | 0 | 0 | 0 | - | 1 | 0 | ||||
| イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
| 2021-22 | アーセナル | 18 | プレミア | 21 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 22 | 0 |
| 2022-23 | 21 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 23 | 0 | |||
| 2023-24 | 22 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 24 | 2 | |||
| 2024-25 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |||
| オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
| 2025-26 | アヤックス | 32 | エールディヴィジ | 7 | 0 | - | 0 | 0 | 7 | 0 | |
| 通算 | 日本 | J1 | 10 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 16 | 0 | |
| 日本 | J2 | 35 | 1 | - | 3 | 0 | 38 | 1 | |||
| ベルギー | ジュピラー | 27 | 1 | - | 3 | 0 | 30 | 1 | |||
| イタリア | セリエA | 61 | 3 | 3 | 0 | - | 64 | 3 | |||
| イングランド | プレミア | 65 | 2 | 3 | 0 | 2 | 0 | 70 | 2 | ||
| オランダ | エールディヴィジ | 7 | 0 | - | 0 | 0 | 7 | 0 | |||
| 総通算 | 205 | 7 | 11 | 0 | 9 | 0 | 225 | 7 | |||
その他の試合
- 2017年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
- 2018年
- ベルギーリーグ プレーオフ2 1試合0得点
- 2019年
- ベルギーリーグ プレーオフ2A 10試合0得点
- 公式戦初出場 - 2015年10月14日 天皇杯3回戦 vs.FC町田ゼルビア(ベスト電器スタジアム)
- Jリーグ初出場 - 2016年7月13日 J1・2ndステージ第3節 vs.FC東京(ベスト電器スタジアム)
- Jリーグ初得点 - 2017年3月19日 J2第4節 vs.ロアッソ熊本(ベスト電器スタジアム)
- ジュピラー・プロリーグ初出場 - 2018年7月28日 第1節 vs.サークル・ブルッヘ(スタイエン)
- ジュピラー・プロリーグ初得点 - 2018年11月25日 第16節 vs.RSCアンデルレヒト(スタイエン)
- セリエA初出場 - 2019年8月25日 第1節 vs.エラス・ヴェローナFC(スタディオ・マルカントニオ・ベンテゴディ)
- セリエA初得点 - 2020年7月18日 第34節 vs.ACミラン(スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ)
- プレミアリーグ初出場 - 2021年9月11日 第4節 vs.ノリッジ・シティFC(エミレーツ・スタジアム)
- プレミアリーグ初得点 - 2023年10月28日 第10節 vs.シェフィールド・ユナイテッドFC(エミレーツ・スタジアム)
- エールディヴィジ初出場 - 2026年2月1日 第21節 vs.エクセルシオール・ロッテルダム(スタディオン・ウーデステイン)
タイトル
- アーセナルFC
- FAコミュニティ・シールド:1回 (2023)

代表
- U-19日本代表
- AFC U-19選手権(2016年)
個人
- JPFAアワード(JPFA)・ベストイレブン:3回(2022年-2024年)
代表歴
出場大会
- U-15日本代表
- ミャンマー遠征(2013年)
- U-16日本代表
- AFC U-16選手権(2014年)
- U-17日本代表
- 第22回バツラフ・イェジェク国際ユーストーナメント(2015年)
- 第11回国際ユーストーナメント(U-17)in ミンスク(2015年)
- U-18日本代表
- AFC U-19選手権 予選(2015年)
- 長安フィードカップ(2015年)
- Panda Cup(2015年)
- U-19日本代表
- バーレーンU-19カップ(2016年)
- Panda Cup(2016年)
- AFC U-19選手権(2016年)
- U-20日本代表
- ドイツ遠征(2017年)
- FIFA U-20ワールドカップ(2017年)
- U-21日本代表
- トゥーロン国際大会(2018年)
- U-24日本代表
- 東京オリンピック(2021年)
- 日本代表
- キリンチャレンジカップ(2018年)
- AFCアジアカップ2019(2019年)
- コパ・アメリカ2019(2019年)
- キリンカップサッカー2022 (2022年)
- 2022 FIFAワールドカップ (2022年)
- AFCアジアカップ2023(2024年)
- 2026 FIFAワールドカップ(2026年)
試合数
- 国際Aマッチ 42試合 1得点(2018年 - )
出場
ゴール
| No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦国 | 結果 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2019年1月21日 | シャールジャ・スタジアム | ○1-0 | AFCアジアカップ2019 |