プロ野球再編問題 (2004年)

2004年、大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブが、合併協議入りを発表したことに端を発する日本プロ野球業界の再編問題 From Wikipedia, the free encyclopedia

プロ野球再編問題(プロやきゅうさいへんもんだい)は、2004年(平成16年)に起きた日本プロ野球球団のオリックス・ブルーウェーブ大阪近鉄バファローズが、合併を前提に協議すると発表したことを発端に議論された、プロ野球の業界再編問題である。

経過

1989年(昭和64/平成元年)
1993年(平成5年)
2004年(平成16年)
2005年(平成17年)
2007年(平成19年)

概要

2004年(平成16年)6月13日大阪近鉄バファローズの親会社である近鉄グループの経営難によってオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併構想(近鉄の球団保有権をオリックスへ売却した上で統合)が、日本経済新聞の報道によって表面化した。この報道を受けて日本プロ野球選手会労働組合)と一部のファンが両球団のオーナーおよび経営陣に対して、あまりの唐突さに猛反発を見せた。この両球団の合併構想が持ち上がった背景として、観客動員や放映権の収入が伸び悩む中でFA制度導入後の選手の年俸が高騰しており、各球団の経営を大きく圧迫していた[1]パシフィック・リーグの各球団は収入が伸びない中でFA宣言による選手の流出を阻止するために年俸を引き上げなければならない状況に陥っていた[2]。一方で、放映権の収入が大きな割合を占める読売ジャイアンツ戦の視聴率も年々低下し、同年当時は15%前後で推移していた[1]朝日新聞の調査では、2003年当時は親会社の支援が無くても黒字経営だったのは巨人を除くと阪神タイガース広島東洋カープだった[注釈 1]が、パ・リーグに至っては最も観客動員のある福岡ダイエーホークスでさえも全国放送が少なく、放映権の収入が限られることから赤字だった[1]。赤字の球団経営を「宣伝費」として許容して親会社が補填するという日本型の経営は、この時点で最早限界を迎えつつあった[1]。こうした惨状が両球団の合併問題で一気に噴出し、読売ジャイアンツのオーナーである渡邉恒雄をはじめとした一部の球団オーナーによって、球団数を大幅に削減した「8~10球団での1リーグ制」への流れが急速に進んでいった。

拙速な動きは球界の独占的支配を図っているとの反発が強まる中、日本プロ野球選手会の会長である古田敦也ヤクルトスワローズ捕手)は経営陣との対話を求める。しかし7月8日に渡邊が報道陣の取材に応じた際に、日刊スポーツ記者の沢畠功二から「明日に選手会と(球団)代表レベルの意見交換会がありますが、古田選手会長が『(球団)代表レベルだと話にならないんで、出来ればオーナー陣といずれは会いたい』と…(言っている)」との質問に対して、渡邊は「無礼な事を言うな!分をわきまえなきゃいかんよ、たかが選手が…」と発言した[4][5]。この発言によって選手会とファンは合併推進派に対する反発を強め、問題は球界のみならず政界、経済界、労働界までも巻き込むこととなった。

この「第二の合併」こそ経営のあやふやさもあって実現には至らなかったものの、オリックスと近鉄の合併は「経営問題である」として一方的に決定された。経営困難に陥った企業が同業他社との合併という形に救済を求めることは特別なことではなく、他社への身売りではなく合併を選んだことへのファンの反発は大きかった。また、一球団あたりの保有選手数には上限があるために他業種と異なり合併によって雇用を守る効果は無く、むしろ選手の雇用を守れるのは身売りのほうである。選手会は「合併反対」「2リーグ12球団維持」を求めて2005年からの新規球団の参入を求めた。法廷闘争によって東京高等裁判所から団体交渉権の存在を指摘されたことによって9月に入ってようやく日本野球機構との数度の交渉を行ったものの確固たる約束を得るには至らず、選手会はついに9月18日9月19日の二日間に渡って日本プロ野球史上初のストライキを決行した。最終的には選手会が最も求めていた合併の阻止こそ実現できなかったが、2リーグ制・12球団の維持や新規球団の参入をはじめとした改革は妥結し、抗争は終結した。

プロ野球球団の新規参入については、以前から近鉄球団の買収に名乗りを上げていたものの果たせなかったライブドアと、ライブドアと同様のITベンチャーで二番手として名乗りを上げた楽天が競う形となり、「IT戦争」として大きな話題となった。当時の世論は「問題の突破口を開く形を作った」「近鉄の救世主」などの理由からライブドアを支持する意見が大半を占めていたが、11月2日のプロ野球オーナー会議では健全な経営が行われていると判断された楽天[注釈 2]が加入を承認された。これによって楽天は1954年(昭和29年)の高橋ユニオンズ以来50年ぶりの新規参入球団となり、東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生した。近鉄とオリックスの合併によって両球団に在籍していた選手は11月8日に分配ドラフトが行われ、「オリックス・バファローズ(合併球団)入団」と「楽天入団」に分配された。楽天はさらに同年のドラフト会議で指名された新人選手および他球団を自由契約となった選手も加入し、初代監督として田尾安志が就任した。

なお同年はこれらの問題のみならず、自由獲得枠選手の獲得に関わる金銭不正授受問題によって巨人の渡邉がオーナー職を辞任したが、同様に金銭の授受が判明したことで阪神タイガースオーナーの久万俊二郎と球団社長の野崎勝義横浜ベイスターズオーナーの砂原幸雄が相次いで辞任を表明した。さらに西武鉄道グループによる不正経理問題によって西武ライオンズオーナーの堤義明が辞任したため、球団の親会社がソフトバンクグループへ売却されたことによるダイエーホークスオーナーの辞任も含めて、翌年まで存続した11球団のうち半数近くの5球団のオーナーが交替するという異常事態となった。この一連の再編騒動および金銭的不祥事の結果、同年12月に行われた野村総合研究所の調査では、プロ野球への関心が「低下した」が27.8%、そのうち「不祥事や再編騒動で興味がそがれた」が46.4%となり、プロ野球離れの傾向が明らかとなった[6]。本再編騒動は、スポーツビジネスの原点に立ち返る点で、日本プロ野球の大きな転機となった[7]

事実経緯

かつての大阪近鉄バファローズの本拠地である大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)。2005年の撮影当時は合併後の球団であるオリックス・バファローズの本拠地として使用され、後にほぼ全ての主催試合を大阪で開催するようになった。
オリックス・ブルーウェーブの本拠地だった神戸総合運動公園野球場(2003年の撮影当時の名称はYahoo!BBスタジアム)。2025年現在は神戸での主催試合は年に数回程度まで減少している(他に二軍主催試合も数回開催)。

この項で述べる「両球団」とは特記の無い限り、大阪近鉄バファローズおよびオリックス・ブルーウェーブを差す。

オリックスと近鉄の合併、1リーグ化の可能性

近鉄本社の経営状況悪化

大阪近鉄バファローズの親会社である近畿日本鉄道(近鉄本社、当時)は1949年(昭和24年)以来、球団のオーナーだった佐伯勇上山善紀の支援の下で近鉄グループの「看板」として球団を保有し続けていた[2]。かつての本拠地である藤井寺球場から大阪ドームへ移転したのは1997年だが、これ以降は赤字体制の球団は「聖域」ではなくなり、売却も視野に入るようになった[2]。近鉄本社はついに、2003年3月期の連結決算では有利子負債が1兆3000億円まで達しており、社長である辻井昭雄のもとで北勢線三岐鉄道への譲渡や東京近鉄観光バス他2社のクリスタルへの売却、都ホテル近鉄百貨店の不採算店舗の閉鎖、大日本土木に対する民事再生手続開始申請OSK日本歌劇団に対する援助の終了[注釈 3]などの経営改善策を打ち出した中、年間40億円の赤字を抱えるプロ野球球団の保有が問題視され、東京三菱銀行などの主要取引銀行からも再三にわたって球団の売却を求められていた。近鉄は赤字解消策の一つとして、2004年(平成16年)1月31日に球団名から「近鉄」の文字を外して命名権(ネーミングライツ)を売り出すという構想を発表したが、他球団からの反発を受けて同年2月5日に取り下げられた。

一方のオリックス本社は、もともと会社の知名度向上を狙って球団を保有した経緯があり、本拠地を神戸より市場の大きい大阪へ移転させることについて前向きだった[2]

合併表面化

近鉄本社は球団の売却・清算の検討に入ったが、5月中旬にオリックス代表取締役会長でオリックス・ブルーウェーブ球団オーナーの宮内義彦による強い勧めに応じ、オリックスとの合併交渉に入った。この事実は同年6月13日付けの日本経済新聞朝刊1面に掲載され、近鉄本社と近鉄球団は同日の記者会見で交渉の事実を認めた[8]。記者会見の中で近鉄社長の山口昌紀は「球団の運営に回収見込みの無い資金をこのまま投入するのは無理」と発言した[9]6月14日には日本経済団体連合会(経団連)会長の奥田碩が会議後の記者会見にて「1リーグ制にして球団数を減らすのが合理的と思う」と発言するなど1リーグ制に前向きな意向を示すと共に、人件費の高騰が球団経営に悪影響を及ぼしていることを指摘した[10]。6月15日には両球団が所属選手に対して合併の方針を正式に説明した[11][12]

近鉄側の記者会見を受け、パシフィック・リーグは6月17日に理事会を緊急招集し、合併方針を了承した[13]。また、両球団からは以下の要望が出された[13]

  1. プロ野球地域保護権(フランチャイズ)は大阪府兵庫県の両方としたい
  2. 加盟料(新規参入60億円、譲渡30億円)の支払いなし
  3. 選手の優先的確保

同日、日本プロ野球選手会会長の古田敦也ヤクルトスワローズ捕手)は今回の球団合併問題に対して特別委員会の招集を要請した[14]。さらに選手会は6月18日に声明を出し、「議論が十分に尽くされていないにも関わらず、球団数の減少止む無しとのムードが作られている。本当に近鉄球団への買い手はいなかったのか」と危惧を明らかにした。6月21日に合併承認への第一関門となるプロ野球実行委員会が開催され、セントラル・リーグ6球団を含めた10球団が合併を「了承」した[15]。しかしこの時点では選手に対する救済措置や保護地域(フランチャイズ)をどこにするかなど未確定の部分が多く、合併に必要な手続きである「承認」は得られなかった[15]。また古田が開催を求める特別委員会については団体交渉で対応する方針も決定された[15]。実行委員会終了後、両球団は合併へ向けて具体的な話し合いに入り、7月1日に行われたパシフィック・リーグ会議において、

  1. 新設合併とし、新会社の出資比率はオリックス本社が80%、近鉄本社が20%とする。
  2. フランチャイズは兵庫県(オリックス)と大阪府(近鉄)を併用する。
  3. 新球団が優先的に確保(プロテクト指定)できる選手は両球団あわせて28人とする。

との案を明らかにした。しかし、翌日に行われた12球団代表者会議ではセ・リーグ側の同意が得られず、球団の合併や万が一の破産時の選手救済策である支配下選手枠の臨時拡大(1球団あたり70人を80人)と、新球団の日本プロフェッショナル野球組織への加盟料(30億円)免除を決めただけで終了した[16]。特に保護地域が重複する阪神タイガースは2フランチャイズ制について強硬に反対したが、その阪神も高校野球の関係でダブル本拠地を望んでおり、矛盾が生じている。また、28人枠についても新人選手やフリーエージェント選手、外国人選手の扱いを巡って紛糾した。

両球団は7月1日に合併基本同意書に調印した。その合意書には同日行われたパシフィック・リーグ代表者会議で提案した内容が盛り込まれていたが、新しい球団名や本拠地とする球場についての明言はこの時点では避けている。その後、阪神も態度を軟化させて[17]7月5日に行われた12球団代表者会議において「両球団の、新球団への保有人数は25人とする」「新球団による大阪府と兵庫県のダブル本拠地制を暫定的に2007年までの3年間認める。阪神も同様に3年間、両府県のダブル本拠地制を認める」とした骨子をまとめた[18]。一方で同日には日本野球機構と選手会による交渉委員会が開催され、選手会側は球団合併の一年先送りなどを求めた[19]

7月7日のオーナー会議では、5日に開催された12球団代表者会議でまとめられた骨子を大筋で了承したが、未確定の条項があるため、正式な承認は合併合意書への調印と実行委員会の承認を待って、9月に開催予定の臨時オーナー会議で行うとした。

「第二の合併」問題と反対論

7月2日付け発行のスポーツニッポンは「千葉ロッテマリーンズヤクルトスワローズが極秘裏に合併交渉を行っている」と報じた。どちらも、他に5球団が本拠地を置く首都圏の球団であることから横浜ベイスターズを含めて合併対象になるのではないかという憶測が飛び交う中での報道だったが、双方の球団および親会社は報道を否定した。

さらに7月7日に開催されたオーナー会議では、この会議に26年ぶりに出席した西武ライオンズオーナーの堤義明コクド会長)が会議の席上で「パ・リーグでもう一組の球団合併が進行中だ」と唐突に発言し、他のオーナーは驚愕した[20]。堤はさらに記者会見の席上で西武、ロッテ、日本ハム、ダイエーの4球団で新たな合併を模索し、「来年からセ・リーグ側と一緒に1リーグ10球団でやってもらうしか生き延びる道は無い」と発言した[20]。堤のこの発言によって両球団合併の背後で取り沙汰されていた「1リーグ10球団制」構想が表面化することとなった[21]。これに対して広島東洋カープオーナーの松田元は「あまりにも話が早く進み過ぎだ」と懸念を示し、「もっと慎重に(検討)すべきだ。あまりにも経営者サイドで物を見過ぎだと思う」と苦言を呈した。翌日にはロッテのオーナー代行を務める重光昭夫が「来季のパ・リーグを5球団で運営した場合、球団の赤字が5~10億円程度増加する」との試算結果を明らかにし、1リーグ10球団制の必要性を強調するなど、「第一の合併(近鉄・オリックス)は既定路線であり、第二の合併を強力に推進する」とのパ・リーグ各球団の立場を変えなかった。いずれにせよ事態は、両球団の合併問題から球界全体の再編問題へと拡大した。

両リーグでの方針の相違

7月16日には阪神タイガース球団社長の野崎勝義が、広島オーナーの松田、中日ドラゴンズ球団社長の西川順之助と代表の伊藤一正に働きかけて2リーグ制維持を呼びかけ、合意を得た[22]。ヤクルトと横浜に対しても意見の調整を図るとした[22]。阪神球団が試算した、1リーグ化となった場合に10億円の減収となることに関連し、ヤクルトスワローズ球団常務理事の倉島今朝徳は他球団の減収について「それ以上」としたうえで「セ・リーグは全球団が減収となる」と危機感を露わにした[23]。セ・リーグ側で反対の動きが広がる一方で、日本ハムファイターズオーナー代行の小島武士は5球団ではリーグを維持することが出来ず、いわゆる「もう一つの合併」が不成功だった場合にはパ・リーグ解散の可能性があることに言及した[24]。7月26日のセ・パ双方の理事会では、セが「2リーグ制維持」、パが「4球団なら1リーグ制へ移行」と、それぞれ真逆の方針が確認された[25]。しかしその後は合併の動きが沈静化し、8月31日のプロ野球実行委員会でも「第二の合併チーム」についての公表は行われなかった。最初に第二の合併を述べた西武オーナーの堤も9月8日のオーナー会議後に行われた記者会見にて「第二の合併」とはロッテと福岡ダイエーホークスだったと明らかにしたが、合意に至らなかったと述べた[26]

渡邊の辞任、株主・選手会の提訴

8月10日に両球団は球団統合に関する基本合意書に調印した[27]が、同日にダイエー再建問題が表面化した。その3日後には一場靖弘明治大学)への金銭授受問題を受けて巨人オーナーの渡邉が引責辞任した。渡邉が1リーグ化の主導者として見做されていたことから、渡邊の辞任によって本騒動の帰結に影響を及ぼすと考えられた[28]

8月26日には近鉄本社の株主2名が、同社の代表取締役4名を相手取り、オリックス・ブルーウェーブとの合併の差し止めを求める仮処分大阪地方裁判所に申し立てた[29]。翌日には選手会側も日本プロフェッショナル野球組織を相手に、合併を行わないよう求める仮処分を東京地方裁判所に申し立てた(後述:#法廷闘争)。8月31日にプロ野球実行委員会は、訴訟の行方を見極める必要があるとして合併承認を見送った。

巨人のパ・リーグ移籍案

8月中旬に引責辞任した渡邊だったが、辞任前の7月中旬頃にいわゆる「もう一つの合併」成立後に読売ジャイアンツのパ・リーグ移籍によって5球団ずつで2リーグ制を維持する案についてパシフィック・リーグ会長の小池唯夫に申し入れを行った[30]。この案は渡邊が辞任した後の9月3日に報じられた。この件について毎日新聞が同日の紙上において渡邊の独占インタビューを掲載した。渡邉は「1リーグ制にしてしまうと連盟事務局の管理も必要になるが、退職金の引き当て分を積んでいない」ことを指摘し、さらに「セ:パを6:4で行うと運営面でも支障をきたすため、5:5でバランスよく運営した方が良い」とも述べている。さらに第二の合併についても触れ、「第二の合併で持ち上がっているのはダイエーとロッテだろう。しかし、もしそれが出来なければ、西武ともうどこか1チームの合併も有り得よう」と語っている。なお、この巨人の移籍案は9月6日のセ・リーグ理事会の席上で、巨人側から「一個人の発言」と説明がされた[31]

合併承認

9月3日、東京地裁は「すでに両球団の合併は12球団の代表者会議で承認されており、特別委員会で議決に諮る事項ではない」として選手会側の申し立てを却下した。大阪地裁も翌日、「近鉄球団の第三者への売却は、合併より近鉄本社に有利になる見込みは無い」として株主側の申し立てを退けた。選手会および株主はこれを不服として即時抗告を東京・大阪の両高等裁判所へ行ったが、東京高裁は6日に、大阪高裁は7日にそれぞれ棄却した。

9月6日に日本野球機構は実行委員会を開催し、両球団の合併を承認した[32]。しかし広島東洋カープ[注釈 4]だけは「合併に反対するファンの声を無視できなかった」として棄権し、全球団の賛成とはならなかった[33]。広島に限らず、先だって行われたセ・リーグ理事会においても「これではただの吸収合併で、近鉄は身売り(オリックス以外への球団譲渡)した方が良いのではないか」という意見が出るなど、両球団および1リーグを求めるパ・リーグ側の対応に不信感を持つ者もいた。しかし9月8日に開催されたオーナー会議は、両球団の合併を正式に承認した[33]。この時点での合併形式は当初予定されていた新設合併ではなく、以下の形式に変更された。

企業としての合併
  1. 近鉄球団は、オリックス球団に営業権を譲渡して解散する
  2. 近鉄本社は、オリックス球団に対して第三者割当増資として20%出資する。増資後のオリックス球団の持ち株比率は、オリックス本社が80%、近鉄本社が20%とする。
球団としての合併
  1. 近鉄本社は、近鉄球団の日本プロ野球への参加資格をオリックス本社およびオリックス球団へ譲渡する。
  2. 参加資格の二重保有は野球協約で禁止されているため、オリックスの2個の参加資格を統合する。

新設合併の形式を採用しなかったのは「企業としての合併」の際に営業譲渡の形式の方が税制面で有利だったためで、近鉄球団社長の小林哲也は、合併後の球団名が「オリックス・バファローズ」に内定していることを明らかにした。そして、来シーズンはセ・リーグが6球団、パ・リーグが5球団の変則的な編成のため、「交流戦」の実施も検討しているとされた[33]

選手会との交渉、12球団2リーグ維持へ

法廷闘争によって東京高等裁判所から団体交渉権の存在を指摘されたことによって、9月に入って選手会側と二度にわたって団体交渉を行った。一度目は暫定合意に至ってストライキを回避したが、二度目は合意に至らず、選手会側はストライキ権を行使した(プロ野球ストライキ)。9月23日に行われた三度目の団体交渉で、選手会側は主要要求事項だった「両球団合併の一年間凍結」を取り下げ、合併を事実上容認した。その翌日、オリックスは合併後の球団名を「オリックス・バファローズ」とし、メインの本拠地大阪ドーム(京セラドーム大阪)とすることを正式に発表した。なお、神戸総合運動公園野球場[注釈 5]も準本拠地として使用し、全ホームゲームをほぼ半数ずつ割り当てることになった。球団事務所と合宿所はいずれも当面は神戸市に引き続き設けることとした。

10月12日に新球団の監督を、旧近鉄・旧オリックス両チームで監督を務めた経験があり、リーグ優勝・日本一経験者でもある仰木彬が就任した。約4年ぶりの監督就任で、69歳での就任は当時の史上最高齢だった。

ダイエー再建の影響

8月10日UFJ銀行三井住友銀行みずほコーポレート銀行ダイエーに対し、再建に際しての産業再生機構の活用を検討する方針であることを通告した。ダイエー本社はバブル崩壊阪神・淡路大震災による被害以降、経営難が表面化しており、2001年(平成13年)8月末時点での連結有利子負債がダイエーオーエムシー(のちのOMCカード、現:セディナ)を除いて1兆8000億円に達し、同年2月には創業者の中内㓛が退任していた。100ヶ所以上の不採算店舗の閉鎖やローソン三菱商事への売却、保有するリクルート株式の売却、オレンジページJR東日本への売却など子会社の整理を進めていたが、本業であるスーパーマーケットの売上高低落に歯止めがかからず、再建が危ぶまれていた。また、中内が力を入れていた「福岡三事業」(ダイエー球団、福岡ドームシーホークホテル)の扱いを巡っては、2003年(平成15年)12月にドーム球場とホテルをアメリカの企業再生専門投資会社であるコロニーキャピタルへ売却することが決定していた。ダイエー球団については、野球協約第27条の「外国法人の参加禁止」、第28条の「非日本国籍者の球団持株比率を49%以内に制限」の規定からダイエー本社が引き続き保有することを宣言していたが、この過程でダイエー本社社長の高木邦夫と、球団オーナーの中内正(㓛の次男)、球団社長の高塚猛との間で確執が生じ、2004年(平成16年)4月には高塚が事実上の失脚に追い込まれるなど混乱が続いていた。ダイエーの「第二の合併」計画が頓挫したのは、「球団の運営についてはコロニー側に通知する必要があり、30年間はダイエーが福岡ドームを使用していかなければならない」という契約を結んでいたためで、この契約を違反した場合には900億円の損害賠償がコロニーに対して生じることになることが要因とされた。ダイエー本社の再建には産業再生機構の活用が不可欠と判断した前述のメインバンク3行は、8月27日に高木と会談を持ったが、高木は自主再建を主張したため物別れに終わった。

一方、ダイエー本社が特殊会社である産業再生機構傘下に入れば球団の存続が問題とされた。産業再生担当国務大臣の金子一義は8月31日、「球界再編とダイエー本社再建とは主旨が違う」と前置きした上で「国営ホークスになることは無い」と、産業再生機構が間接的にダイエー球団を保有する事に否定的な見解を述べた。

ダイエー本社は9月3日、銀行3行に対してゴールドマン・サックスおよびドイツ証券の証券2社と、サーベラス・キャピタル・マネジメントリップルウッドの企業再生投資ファンド2社が自主再建のスポンサーを申し出ていることを明らかにした。しかし、アメリカの企業であるゴールドマン・サックスやサーベラス、リップルウッド、ドイツ企業のドイツ証券がダイエー本社の大株主になれば前述の野球協約第27条に抵触する恐れがあり、ダイエー球団の将来に影を落とすことになった。

これを受けてダイエー本社は、再建策について産業再生機構に入らず民間レベルでの経営再建を目指すことを主張した。メインバンク側は「機構を利用しない場合は資金援助を取り付けない」と強硬姿勢を打ち出し、10月13日に銀行各社の説得に応じる形で、機構入りを正式決定した。結果的にはダイエー本社が強硬姿勢を取り続けたことによって、進みかけていた「第二の合併」が時間切れとなり、1リーグ制移行が挫折した[注釈 6]

最終的に11月12日、ダイエーとソフトバンクの間で球団売却が合意され、売却金額は球団50億円・興行権150億円の合計200億円程度とされる[34]

選手会の対応

この項で述べる「両球団」とは特記の無い限り、大阪近鉄バファローズおよびオリックス・ブルーウェーブを差す。

臨時総会からスト権確立まで

2004年(平成16年)7月5日にプロ野球競技・交渉委員会が開催され、労働組合「日本プロ野球選手会」会長の古田敦也ヤクルトスワローズ)と副会長の高橋由伸読売ジャイアンツ)、そして大阪近鉄バファローズ選手会長の磯部公一とオリックス・ブルーウェーブ選手会長の三輪隆も出席した[19]。交渉委員会において、選手会は以下を要望した[19]

  1. 球団合併の一年間の実施見送り
  2. 野球協約第19条の特別委員会の設置
  3. 球団名売却の再検討

7月8日の巨人オーナーである渡邉恒雄の「たかが選手が…」発言後、翌日には日本労働組合総連合会会長の笹森清が渡邉を批判すると同時に選手会支援を表明し[35]、合併・再編問題が労働界にも波及する(後述:#労働界)。7月10日には選手会側が、同年のオールスターゲーム第1戦の舞台でもある愛知県名古屋市内において臨時総会を招集し[36]、両球団の合併について次の4項目を決議した。

  1. 近鉄球団に対して、オリックス球団との合併交渉を一年間凍結し、その間に両球団の合併が球界にとって最良の選択か否かを討議するように求める。
  2. 日本野球機構に対して、近鉄球団が球団名へのネーミングライツを導入することを許可するよう求める。
  3. 合併承認に至る手続きとして、野球協約第19条に定める「特別委員会(実行委員会の審議事項中に選手契約に関する事柄について、実行委員会への上程の前段階として設けられる機関)」の招集を求める。特別委員会の招集が無いまま合併が決定されるようであれば、コミッショナーへの提訴などの法的手段を講じる。
  4. (選手会の決議より)「あらゆる手段を尽くしても来季からの合併が強行されようとした場合」、ストライキ権の行使も有り得る。ただしストライキの実施にあたっては、ファンへの配慮を十分に行う。

さらに、球団経営の改善策として選手を含めた球界が検討するべき事柄として、次の事項を提案した。

  1. メジャーリーグベースボールが導入している「ラグジュアリー・タックス(贅沢税)」の導入。
  2. 高額年俸選手を対象とする年俸減額制限の緩和。
  3. プロ野球ドラフト会議の完全ウエイバー化。
  4. フリーエージェント選手の移籍にかかる補償金の廃止。
  5. 新規参入球団に課せられる加盟金の金額(新規参加が60億円、譲受参加が30億円)の見直し
  6. テレビ放映権のコミッショナー一括管理

この臨時総会の時点ではストライキの可能性について言及したものの、ストライキ権の確立までは至らなかった[36]。また、同日より始まったオールスターゲームから選手は12球団のチームカラーで編んだミサンガを装着し、「両球団の早急な合併と、議論が尽くされないままの1リーグ化反対」「ファンも選手も球界の一員」の意思表示をする[37]。このミサンガは7月30日からオールスターゲームに出場していない他の全選手も装着し[38]、ファン向けに一般販売も行われた[39]。オールスターゲームでは12球団のファンが事前に集合して合同で応援することが慣例となっていたが、第1戦では「『球界を破壊しようとしている人間(渡邉)がオーナーを務める球団』だからという理由で巨人の応援団が排除され、巨人の選手に対して他球団の選手の応援歌が流れるなどのボイコットのような現象が発生した」という憶測が流れた。これは第1戦が行われたナゴヤドーム(当時)では当時の巨人の応援団が応援活動自体を行っていなかったため、止むを得ずそのような応援方法を採ったと推測される。第2戦では巨人の選手に対して通常通りの応援が行われていたことから、意図的な締め出しやボイコットではなかったことが伺える。しかし、同年のフレッシュオールスターゲームでは優秀選手賞を受賞した岩舘学(読売ジャイアンツ)に対して「地獄に落ちろジャイアンツ」「地獄に落ちろナベツネ」などという心無いやじが飛んだ。

7月16日に近鉄選手会は合併反対の署名活動を開始した[40]。初日となったこの日の大阪ドーム前には中村紀洋ら主力選手を中心に一軍の選手全員が集まり、ファンの支援を訴えた。一週間後の7月23日にはセントラル・リーグでは初めて中日ドラゴンズ選手会も署名活動に参加した[41]ことで、運動は当事者の両球団以外にも広がりを見せた。7月29日には渡邉との関係で動向が注目されていた巨人の選手会も署名活動に加わり[42]、8月3日の日本ハムファイターズ選手会も加わったことでパシフィック・リーグ全球団の選手会が参加したこととなった[43]8月5日には最後まで残っていた広島東洋カープ選手会が参加し、最終的に全12球団の選手会の足並みが揃った。

8月12日の午前中に古田は笹森と会談し、連合に署名運動の協力を取り付けると共に「団体交渉の拒否は不当労働行為にあたる」との助言を受けた[44]。同日にはストライキ権を確立した。同日までの投票で組合員752名による無記名投票の結果、賛成票が648、反対票が7、無効票が6(未開票が91)という結果だった[45]。この時点での選手会の要望は次の通りだったが、2を検討中とする以外は全て拒否されていた[45]

  1. 近鉄・オリックス球団合併の一年間凍結
  2. 選手代表を含めて話し合う特別委員会の招集
  3. ドラフト制度の見直しなど球団経営の改善につながる改革
  4. 有識者を含めた諮問機関の設置

9月5日、近鉄選手会長の磯部公一は選手会が無期限ストライキを行う意思を確認したことと、翌日の選手会の臨時運営委員会で提案することを明らかにした[46]。臨時運営委員会では翌々日に行われるオーナー会議の内容によっては11・12日の公式戦以降の週末に選手会主導のストライキを行うことが古田および各球団の選手会長の合計13名の全会一致で決定された[32]

法廷闘争

8月25日、日本野球機構は選手会に対して特別委員会を招集しないことを通告し、選手会側も法廷闘争の意思を固めた[47]8月27日に選手会は日本野球機構を相手取り、合併を行わないようにする仮処分の申し立てを東京地方裁判所に行った[48]9月3日に東京地裁は「すでに近鉄とオリックスの合併は12球団の代表者会議で承認されており、特別委員会で議決に諮る事項ではない」として選手会側の訴訟を却下する判断を示した。選手会側はこれを不服として東京高等裁判所へ即時抗告を行ったが、8日に東京高裁は棄却する決定を下した[49]。この決定では「日本プロ野球選手会には団体交渉権がある」ことや「日本プロ野球組織の対応は誠意を欠いていた」ことを認めた一方、仮処分については「団体交渉で誠実な交渉義務を尽くさなければ不当労働行為になる」「野球協約は双方にプロ野球の発展のために努力を尽くすことを課している」と指摘し、緊急の必要性は認めなかった[49]

9月8日のオーナー会議の結果

9月8日に行われたプロ野球オーナー会議で、両球団の合併が正式に承認・決定された。

もう一つの焦点だった「第二の合併」については、西武ライオンズオーナーの堤義明から対象球団がロッテとダイエーであることが明らかになったものの、自主再建や球団の単独保有に固執するダイエー本社の拒否によって「何の進展もしなかった」と計画が頓挫したことが報告された。2005年シーズンはセ・リーグが6球団、パ・リーグが5球団の合計11球団で開催される事が確認され、交流試合(日本版のインターリーグ、のちにセ・パ交流戦の名称で開催)や加盟権料の引き下げの問題などについては今後の検討課題として話し合いがもたれることとなった。選手会はこの内容を受けて、ストライキの決行を示唆した。

9月9・10日の団体交渉

8日のオーナー会議の結果を受け、9・10日の両日に大阪市内において日本野球機構と選手会の労使交渉(団体交渉)が行われたが、以下の暫定合意点に申し合わせが行われ、これによって11・12日に選手会が予定していたストライキはひとまず回避される事が決まった[50]

暫定合意点の内容
  1. 両球団の合併の一年間の凍結については、交流試合など2005年シーズンの日程のシミュレーションを立てた上で改めて検討する。
  2. 日本野球機構は、加盟料(新規参入が60億円、譲渡は30億円)を撤廃して保証金制度を設置する。
  3. ファンの心配を払拭するため、2005年度についてはセ・リーグ6球団(以上)、パ・リーグ5球団(以上)の球団数を確保する。
  4. ドラフト制度改革などの専門委員会を設置する。
  5. これらの回答期限を9月17日17時とし、それによって合意された場合は9月18日以降のストライキを中止する。

しかし交渉終了後、千葉ロッテマリーンズ球団代表兼選手関係委員長の瀬戸山隆三が「近鉄とオリックスの合併は覆らない」と発言した。これまでの合併交渉は形式だけだったとも取れる発言で、古田は記者会見を退席する際に瀬戸山から求められた握手を拒否した。

9月16・17日の団体交渉

両日に改めて球団側と選手会の団体交渉が都内で行われ、選手会は両球団の合併の一年間凍結、あるいは後述のライブドア楽天からの申請による2005年シーズンからの加盟を求めて交渉を行った。特に重要な争点は「来季からの新規参入」の容認の可否[51]だったが、球団側の「合併凍結は行わない」「加盟申請の審査には時間を要する」などの姿勢は変わらず、交渉は難航した。森忠仁の回想によれば一度ストライキを見送ったことから前回交渉時と態度を変えた球団代表もいたという[52]。当初の回答期限だった17日17時を2時間延長しても合意には至らず、最終的に20時30分頃に交渉が決裂、双方は21時10分頃より記者会見を行い、選手会側は18・19日のストライキ決行を発表した。これにより、日本プロ野球史上初のプロ野球ストライキが決まった

ストライキ発表後に古田は各放送局の深夜のニュース番組に生出演し、経緯などを説明した。最後に出演したフジテレビの「すぽると!」では視聴者から古田の決断に賛同するファクシミリが多数寄せられ、その中には試合出場と交渉などで多忙を極める古田の体調を気遣う内容も多く含まれていた。放送中に古田は感極まり、思わず涙を流した[52]

9月18・19日のストライキ

ストライキ決行中の両日は、予定されていた一軍と二軍の公式戦が全て中止となった。

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ストライキで中止となった試合
試合開始時間球場
一軍
ヤクルト-阪神18:20神宮球場
横浜-広島14:00横浜スタジアム
中日-巨人18:00ナゴヤドーム
日本ハム-近鉄13:00札幌ドーム
オリックス-ロッテヤフーBBスタジアム
ダイエー-西武18:00福岡ドーム
二軍
巨人-日本ハム13:00横手(18日は当初から試合予定無し)
西武-ロッテ上尾
湘南-ヤクルト18:00横須賀
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選手会側は19日、東京・銀座で古田ら10人の現役選手が参加しての「みんな野球が好きなんだ」をテーマにした交流会を開催した[53]。試合開催が予定されていた各球場では各球団の選手会によるファンとの交流イベント(サイン会や子供を対象とした交流会など)が開催された[54]

ストライキ終了後の9月20日に行われた試合では、シーズン終盤の優勝争いの時期でもあったために6試合で約20万人の観客を動員する盛況だった[55]

9月22・23日の団体交渉、そして妥結へ

一度目からの交渉の間の9月15日に楽天が新規参入を表明(後述:#新規参入表明)し、ダイエーの産業再生機構入りが現実味を帯びて「第二の合併」が困難になるなど、状況は変わりつつあった[52]

9月22・23日の2日間、愛知県名古屋市内にて三度目の団体交渉が行われ、全12球団の選手会長が出席した[52]。その結果、23日には以下に示す7項目の合意に達し、一連の球界再編問題に対して「終結宣言」が出された形となった[56][57]

合意点
  1. 日本野球機構は2005年にセ・リーグ、パ・リーグを6球団ずつ、合計12球団に戻すことを視野に入れて新規参入球団の参加審査を行う。
  2. 1について審査小委員会を設け、1ヶ月程度を目途にして答申に諮る。
  3. 加盟料(新規参入が60億円、譲渡が30億円)を廃止し、代わりに預かり保証金制度を取り入れる。
  4. 小委員会の審査過程を明らかにして透明化を図る。
  5. 2005年度に新規参入を認められた場合は、日本野球機構はそれが円滑に実施できるよう努力する。
  6. 選手分配ドラフトへの新規参入球団の参加を認め、戦力を均衡できるように協力する。
  7. 「プロ野球構造改革協議会(仮称)」を新設する。

古田は「非常に良い内容で妥結できたと思っている」と話し、選手関係委員長の瀬戸山も「選手会との信頼関係は改善した。ともに今後の発展のため努力していきたい」と述べた[56][57]

コミッショナーの対応

合併問題発覚後の対応

日本野球機構コミッショナーの根來泰周2004年(平成16年)8月23日に、特別委員会の開催を拒否された選手会から翌日の特別委員会開催を要求された。根來は「実行委員会の意見は選手契約に関する事ではないと解釈した」と話し、開催の指令を出す意思が無い事を示した。

スト直前の対応

9月16日、根來は事態の打開のために新規参入などに関する提案書と見解を明らかにした。また提案については「コミッショナーには、『ストライキを止めろ』とか『合併を止めろ』と言える権限は無い。しかし見るに見かねて意見を提案した」と述べた。審査委員会や有識者会議の新設については「球団の新規参入や球界の諸問題は、仲間内で話し合っていると見られがちなので外部の意見を取り入れたほうが良いと判断した」と説明した。

コミッショナーの見解要旨

根來は「私の見解」と題した文章を発表して双方に自重を求めた。以下はその要旨である[58]

  • プロ野球は多くの問題を抱え、その一つが各球団の赤字収支であるが、長期間是正されてこなかった。
  • 近鉄、オリックス両球団の合併問題に触発され、抜本的な改善が求められる機運となった。
  • コミッショナーの立場から、提案すべきか否かについては次のように整理される。
  1. 問題解決についてはコミッショナーに何の権限の無いことを認めざるを得ないが、現下のプロ野球の未曽有の混乱を見る時は何らかの提案をし、その収束を図るべきものと考えた。当然、自己の進退を含んで考慮した結果である。
  2. このような改革は三位一体、すなわち球団側と選手側、日本野球機構が一体となって取り組むべきことであり、選手側の協力無くして成就するものでは無い。従って敢えてこの時期に、その協力を得る意味で提示したものである。
  • 一億総懺悔の立場から、より良き制度運営を求めて改善を図るべきで、今回ストライキに突入することがあれば、球団がさらに疲弊してついには解散や倒産に至ることも有り得る。一層の自重を求めるものである。

コミッショナーの提案要旨

  1. 「新規参入球団審査委員会(仮称)」を設置する。委員会には法律や経済・経営などの専門家とプロ野球OBを合計7名程度招聘して構成し、新規参入を申請している球団についてその可否を審議する。
  2. 「プロ野球有識者会議(仮称)」を設置する。上記の新規参入球団審議委員会と同様に法律や経済・経営などに通じた有識者のみで構成し、両リーグや国際交流試合、加盟料、プロとアマチュアの在り方、引退選手の再就職先の確保、協約の抜本的改正、ドラフト制度やFA制度などプロ野球の運営全般について検討する。
  3. 加盟料については当面の間は「預かり金」として日本野球機構が保管する。その金額は当該球団が10年以内にプロ野球から撤退することがあった場合、所属選手の1年分相当の参稼報酬額の合算額とする。

スト後の対応

9月17日、根來は選手会によるストライキ決行の結論を受けて辞意を表明した[59]。根來は翌日に行われた読売新聞の単独インタビューに応じ、選手・球団・ファンによる三位一体となった改革を訴え、自身の責任についても言及した。同時に辞任後も協力姿勢を見せた[60]

なお根來は、9月29日に行われた臨時オーナー会議において後任のコミッショナーが決定するまで留任することになった。しかし、2005年(平成17年)になっても後任のコミッショナーは決定できず、根來は結局辞意を撤回した。根來は2007年1月からコミッショナー代行として留任し、後任の加藤良三が就任する2008年(平成20年)7月に先立って代行を退任、2013年(平成25年)に逝去した。

新規参入表明

ライブドア

7月4日ライブドア堀江社長(当時)、大阪ドームで観戦

2004年(平成16年)6月29日、テレビ東京のニュース番組「ワールドビジネスサテライト」が「インターネット関連企業のライブドアが近鉄の買収を近鉄本社へ申し入れる」と報じた。翌日、ライブドアは記者会見で報道内容を認めた[61]。しかし両球団はライブドアの申し入れを拒否した[62]。特に、ライブドアに近鉄球団の買収を持ち掛けたとされる人物が選手会の関係者であるとライブドアが明らかにしたことから、オリックス・ブルーウェーブのオーナーである宮内義彦は選手会および会長の古田を非難した。予想以上の抵抗に遭ったライブドアは近鉄を買収できない場合は新規球団を設立して参加する方針を固め、8月19日に発表した。この時点では新球団の保護地域を大阪府とし、専用球場は大阪ドームを使用、球団名に「バファローズ」の名を取得できるように交渉する」などの構想が掲げられた。8月22日には広島東洋カープのオーナーである松田元に挨拶状を送り、プロ野球参入時の協力などを要請した。松田は好意的に受け取り、阪神タイガースオーナーの久万俊二郎も「私で良ければ応じたい。10年は持ちこたえる覚悟があるか聞きたい」と述べ、ライブドアの社長である堀江貴文との会談に前向きな姿勢を示した。

ライブドアによる近鉄球団の買収については、9月8日のオーナー会議で両球団の合併が承認されたことで断念せざるを得なくなった。これを受けてライブドアは9月16日に新しいプランの元で正式にプロ野球への参加申請を行った。堀江は記者会見で運営会社として「ライブドアベースボール」を設立したことと宮城県の決断が早かったことから保護地域を宮城県とし、さらに改修によって対応可能となるとして専用球場を宮城球場に選定したことを発表した[63]。偶然にも同日には宮城県と仙台市の間で「宮城球場改修・整備促進協議会」が立ち上げられ、地元では球場の改修問題やサッカーのベガルタ仙台(当時J2)とのスポーツ市場の競合について期待と不安、双方の意見があった[64]

9月21日の実行委員会では「申請の受理から30日以内までに審査の結果をライブドア側に通知する」という方針を確認した。新球団の監督には当時の阪神タイガース中米スカウトだったトーマス・オマリーを起用すると発表した。

10月26日、ライブドアはインターネットで行ったアンケート結果を受けて、球団名を「仙台ライブドアフェニックス」にすると発表した[65]

楽天

ライブドアが正式に参加申請を行う前日の9月15日、日本国内最大手のインターネットショッピングモール「楽天市場」を運営する楽天グループ(楽天)がプロ野球への参入を検討していることを公式に表明した。

本拠地は創業者である三木谷浩史の出身地である兵庫県に置き、Yahoo!BBスタジアムをフランチャイズとすること、地方での主催は倉敷マスカットスタジアム岡山県倉敷市)などを用いること、球団の経営は近鉄とオリックスの合併を白紙に戻し、楽天が近鉄を買収した上で「大阪楽天バファローズ」を設立するか、両球団の合併後に発足する新生オリックスの保有枠から漏れた選手らを中心とする別の新球団を結成するなどを具体的に示した[66]9月18日には楽天が長野市長の鷲澤正一長野オリンピックスタジアムを本拠地とすることについて打診したことが判明した。これを受け、鷲澤や長野県知事の田中康夫は報道の事実を認め「楽天側からの希望があれば支援したい」と語り、打診の内容は本拠地もしくは年間数試合を開催する準本拠地としてのものだったと明かした。22日には鷲澤と田中が長野市役所で協議し、県と市が協力して誘致活動を行っていく方針を確認した。一方、20日は三木谷が大阪府知事の太田房江と会談し、大阪ドームが本拠地候補の想定内であることと、太田も「条件面で出来る限りのバックアップをしたい」と応じたことが明らかとなった。しかし、大阪と兵庫は阪神タイガースと近鉄・オリックスの合併による新球団の保護地域としていることがネックとなり、大阪ドームおよび神戸総合運動公園野球場を本拠地として使用することは断念した[67]。三木谷は後に、親交のある宮内から直々に遠慮するよう指示されていた事も明らかにしている[66]

三木谷は22日、先にプロ野球への参加申請を行っていたライブドアが本拠地として申請している宮城球場について、楽天も本拠地として「楽天野球団」として24日に加盟申請を行うことを表明した[67]。しかし、数日前に本拠地として使用することを打診していた長野県についても「長野も素晴らしいスタジアムを持っている。年間10~15試合出来れば良いかなと思っている」と述べ、長野でも定期的な試合開催を検討していることを明らかにした[67]。三木谷は仙台を本拠地に出来なかった場合について、長野を本拠地とすることについては「無い」としながらも、「地元の人達がどう盛り上がるかにかかっている」として準本拠地化については前向きな姿勢であることを示した。この楽天の計画について鷲澤は「素晴らしく名誉な話。是非誘致したいと思う」と述べて歓迎の意向を示していたが、楽天はその後、東北地方全域を中心とする球団づくりに方針を転換したため長野を準本拠地とする構想は事実上消滅した。

ライブドアと楽天の双方からの参入表明について宮城県知事の浅野史郎は、22日に楽天の参入表明については「報道で知った」とした上で、ライブドアと楽天の双方と交渉していく姿勢を見せた[68]

10月5日、楽天は新規参入が認められた場合のゼネラルマネージャーとして、スポーツ評論家のマーティ・キーナートを招聘したことを発表した。13日には初代監督として、野球解説者の田尾安志が就任することを発表した。球団名については10月22日に「東北楽天ゴールデンイーグルス(通称:楽天イーグルス)」に決定したと発表した。三木谷は「イヌワシ東北地方6県全てに生息しており、優雅に飛んで狙った獲物を逃さない。良い名前だと思う。長いので『楽天イーグルス』と呼んでもらいたい」と語った。

楽天の参入は11月2日のオーナー会議で正式に承認された。企業の経営体質や将来へ向けた経営の安定感が認められての参入決定となった。

公開審査会

最初の公開審査会は10月6日に、東京で行われた。公開審査会(ヒアリング)は審査の公正さ、透明さを明確にするために報道関係者らの立ち入りを規制し、別室のモニターを準備する形が取られた。公開審査会では双方に対して、本拠地となる宮城球場の老朽化や増改築などの問題に関しての改修対応、監督やフロントの体制、経営面での資金調達などの質疑応答が行われた。楽天側は宮城球場について「段階的に増改築を行い、2005年の開幕時には2万3千人が収容できる状態で暫定開業し、将来的には3万人規模に拡大させる」とした。一方のライブドア側は「2005年のシーズン途中を目途に改修工事を完了させ、3万人収容でオープンさせる」と提案した。改修費用についてはそれぞれの親会社が負担し、楽天は32億円程度、ライブドアは20~30億円程度の予算を要するとした。

2回目の公開審査会は10月14日に行われ、主に財政面での審議を行った。その中ではアダルトサイトの扱いに関して討議され、ライブドア側は「サイトは道路や広場を提供しているので、何をしているかは監視できない」と述べた一方、楽天側は「本人確認についてはクレジットカードなどの年齢確認が明確なものを使って厳正に行っており、青少年には利用できないようにしている」と説明した。

その他の新球団構想

静岡県

8月23日、都内のスタジオで収録されたBS朝日の番組内で、野村克也シダックス野球部監督)が「合併によってチームが減るのであれば、シダックスが参加した方が良いのではないか」と発言した。番組では野村と金融財政担当大臣(当時)の竹中平蔵による対談形式で行われ、静岡県草薙総合運動場硬式野球場を本拠地とし、浜松球場浜松市)を準本拠地とした上で野村がアマチュアから引き続いて指揮を執るなどを提案している。シダックス自体も当初は新規参入を示唆していたが、ライブドアおよび楽天が名乗りを上げたことで「参入の必要が無くなった」とし、最終的には参入そのものを否定した[69]。なお、シダックス野球部は2006年シーズンを最後に活動を終了して廃部となり、野村は田尾の後任として2009年まで東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任することとなる。さらに、静岡県を保護地域とする新球団は2024年シーズンからウエスタン・リーグ(当時)に加盟するハヤテベンチャーズ静岡まで待たなくてはならなかった。

新潟県と金沢市

2004年(平成16年)10月5日新潟県の企業家らが中心となって「新潟に県民球団を創る会」準備委員会が設立された。2008年(平成20年)春に完成予定だった新潟県立野球場の完成に合わせて新球団「新潟アルビレックス」を結成し、2007年(平成19年)秋に加盟申請を行うことを目標に活動するというもので、委員会はJリーグアルビレックス新潟社長だった池田弘を中心として設立された。それ以外にも新潟商工会議所の関係者など県内の財界関係者らが発起人として名を連ねた。

同年には石川県金沢市にプロ野球球団の誘致およびドーム球場の建設を目指す市民団体「金沢に来まっしプロ野球の会(金沢カモンズ)」が設立された。同団体は金沢市に3万5000人収容のドーム球場「百万石ドリームドーム(仮称)」の建設や球団の誘致・球団設立を目標とし、二宮清純らが設立した「野球の未来を創る会」とも連携する方針を打ち出していた。その後、新潟の「創る会」は球界再編の動きが収束したことを受け、方針を当初の「プロ野球球団の創設」から「独立リーグの創設」に転換し、金沢カモンズと合流して検討作業を進め、独立リーグの創設構想を公表した。

2006年(平成18年)秋に「北信越ベースボール・チャレンジ・リーグ(現:ベースボール・チャレンジ・リーグ)」が設立されたことで、同リーグ傘下の球団として新潟県を本拠とする「新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」と、石川県を本拠とする「石川ミリオンスターズ」がそれぞれ設立、さらに長野県富山県を含めた計4球団によって2007年から公式戦を行っている。

2020年(令和2年)には、福岡ソフトバンクホークス球団会長である王貞治が12球団から16球団への拡張を改めて提言し、再び関心が深まった。また、前述のプロ野球再編問題で奔走した古田敦也も新潟県などを具体的にホームタウン候補として挙げるなど、新潟県でのプロ野球球団の誕生が現実味を増してきた。2021年(令和3年)には新潟市内にて渋谷修太(フラー株式会社代表取締役社長)を代表理事とした「日本海ドームシティプロジェクト新潟市民の会」が設立[70]され、球団誘致の動きが進んだ。2022年(令和4年)には新潟市内の各地で署名活動を実施し、球場と周辺都市の建設と球団の設立についての要望書を新潟市長の中原八一に提出し、日本野球機構と国に球団誘致を求めるよう要望した[71]。しかし中原から「任期中の実現は無理」との回答が示されたため、現在は議論が停止している。

松山市

2004年(平成16年)12月、プロ野球球団の誘致を目指すために松山市内の企業経営者ら31人で市民団体「坊っちゃんスタジアムをプロ野球の本拠地にする会」が愛媛県松山市にて発足した。その後、新潟と同様に新球団構想が「独立リーグの発足」に方針転換され、2005年に発足した独立リーグ「四国アイランドリーグ」(現・四国アイランドリーグplus)の愛媛マンダリンパイレーツとして実現した。

大阪市

大阪日日新聞2005年(平成17年)2月1日付け記事において、大阪市に本店を置き、MKグループ会長の青木定雄が代表理事会長を務める近畿産業信用組合が中心となり、「市民球団」を結成してプロ野球新規参入を目指す計画が明らかにされた。信組では球団の設立・運営に関して必要となる金額の具体的調査を独自に実施し、球団設立に際して新規参入のための預かり保証金や選手の年俸などで100億円程度の資金が必要と試算した。これに基づいて市民や企業などからスポンサー資金を募り(個人は1口1万円程度で募集)、入場料収入などと合わせて年間収入は54億円程度を見込むものであった。専用球場は大阪ドームとして、近鉄最後の監督となった梨田昌孝を監督として起用する案など、球団運営に関する具体的な構想も盛り込んでいた。

翌日、近畿産業信組は先述の市民スポンサー制度に加えて法人企業サポーター制度として各選手を主として関西圏のスポンサー企業と契約を結んで、企業は契約している選手をコマーシャルに起用できるようにする試みを取り入れることを明らかにした。会見の席上、青木は「現在30社程度から協賛を得ている」と説明したが、近畿産業信組は法律上兼業を禁じられていることから筆頭株主としての運営はせず、業務純益から5%程度を協賛金として出資する程度に留めるとした。

2006年(平成18年)2月16日、大阪ドームの運営管理を行っていた第三セクター大阪シティドーム」の経営再建問題の渦中、ドームの施設と営業権を対象として行われた入札にMKグループの大阪エムケイが最低入札価格の100億円で応札した。計画書にはMKグループが共同出資者を募って大阪ドームを買収し、前述の市民球団構想を数年後に実現させることなどが記されていたが、2月22日に管財人はMKの応札内容は不確実性が高いと判断して落札を見送った。その後、管財人は大阪市およびオリックス球団と協議した結果、オリックスグループがドームの施設を不動産として取得し、シティドーム社の経営もオリックスを中心に近畿の財界各社の出資によって引き継ぐこととなり、会社更生手続は2007年(平成19年)1月に終結した。

当時、このMKグループの市民球団計画に関しては企業の関心がどれだけ高まるか、またオリックス・バファローズが当時、神戸市との二重本拠地を解消する予定の2008年度以後も大阪ドームを本拠地としたい意向を持っていたことから、それらの課題をいかに解決していくか疑問視する声も上がっていた。結局はMKグループ側が前述の大阪ドームの落札見送りを受け、再度入札が行われたとしても応札しない方針を表明したことから一連の市民球団構想は事実上立ち消えとなったが、その後2009年(平成21年)2月に設立された関西独立リーグに関し「市民球団設立を願う視点からこの趣旨、目的に賛同する」としてリーグに協賛する方針を明らかにした。

この項の外部リンク

労使交渉妥結後

各委員会や会議などで決定した事項をまとめたものである。

9月27日の実行委員会

  1. 9月18日19日のストライキに伴う再試合は実施しない。これによって当初予定されたセ・リーグ140試合、パ・リーグ135試合から2試合が未消化のため、セ・リーグ138試合、パ・リーグ135試合で打ち切ることとなった。公式記録もこれらの試合数を消化した時点のもので決定される。
  2. 2005年からセ・リーグとパ・リーグの交流試合(日本版インターリーグ)を開催することを正式に決定し、ホームとビジターで各3試合ずつの合計6回総当たり(1チームあたり36試合)を実施する。

9月29日のオーナー会議

  1. 9月27日に開催された実行委員会(前項)の決定通り、2005年からの公式戦交流試合(日本版インターリーグ)の開催を正式に承認した。
  2. 新規参加を希望する企業への審査小委員会の第一回会合を9月30日に実施し、楽天・ライブドアから提出されている新規参加計画についての審査を本格的に開始する。
  3. 加盟料(新規60億円、譲渡30億円)撤廃後に新たにスタートする「預かり保証金制度」の内訳が決まる。総額30億円でそのうち25億円が預かり保証金そのもの(10年間同じ企業が保有した場合それは返還される)となる。残りの5億円のうち1億円は加盟に際しての手数料で、4億円は野球振興基金への寄付となっている。

10月4日の実行委員会

  1. 2005年度のペナントレースの日程について討議され、交流試合は5月から6月のオールスター開催前に集中して実施する方針で準備を進めると発表した。

10月16日の実行委員会

  1. 2005年度のペナントレースのパ・リーグ開幕戦の主催権(2003年の成績に基づく)のうち近鉄(3位)保有分を、オリックス・近鉄の合併に伴って、ロッテ(4位)が譲り受けることを決定した。
  2. 交流試合の予備日程調整の関係で、7月9・10日に開催される予定だったオールスターの開催日を7月22・23日(22日を西武ドーム、23日を阪神甲子園球場)とすると発表。

10月26日の実行委員会

  1. 2005年度の交流試合の日程、並びに両リーグの来期の試合数がまとまった。交流試合は5月6日から6月16日の6週間の集中開催とし、試合数はセ・リーグ146試合、パ・リーグ136試合となった。
  2. 楽天およびライブドアの加盟問題についての審査小委員会の報告、2005年度シーズンオフのアジア・チャンピオンズカップ(→アジアシリーズ)の開催検討などが討議されている。

11月2日の実行委員会・オーナー会議

東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地・宮城球場(2005年 当時・フルキャストスタジアム宮城)

東京都内でオーナー会議が開催され、東北楽天ゴールデンイーグルス(楽天野球団)と仙台ライブドアフェニックス(ライブドアベースボール)から出されたプロ野球新規加盟申請の最終審査を行い、資金・財政面や将来性などで優っている楽天が新規参入を認められた[72]。宮城球場は1973年(昭和48年)からの5年間にわたってロッテオリオンズが実質的なフランチャイズを置いていたため、楽天は東北地方においてロッテ以来のプロ球団となるが、当初から仙台市および東北地方を本拠地とするチームとしては史上初となる。

選手分配ドラフト

11月8日、大阪市内でオリックスと楽天の選手分配ドラフトが行われた。このドラフトではまず最初にオリックスが提示したオリックスおよび近鉄から選抜されたプロテクト(優先保有)選手25人、並びにフリーエージェント権を行使した選手、外国人選手、入団2年目までの選手を除く全選手の中から、まず20人を楽天が選抜した。それ以降は入団2年目までの選手を加えて、オリックスの次に楽天の順でそれぞれ20人ずつの選手を選抜し、指名されずに最後まで残った選手はオリックスに配分される。移籍となる選手はオリックスおよび楽天へのトレード、元からオリックス所属でオリックスに分配される選手は契約を更改するという手続きをとった。

結果

オリックス・バファローズ
東北楽天ゴールデンイーグルス
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補足

  • 選手会長だった礒部をはじめとした近鉄の一部選手は、労使妥結の前提となった近鉄選手の移籍先には本人の意思を尊重するという趣旨の「申し合わせ」を引き合いに、オリックスのプロテクトを拒否した。オリックスも近鉄のエースだった岩隈久志を除いて(後述)これを認め、楽天が獲得した。吸収合併する側で移籍希望すらできないオリックスの選手の中からも球団の対応や選手個人を批判する意見があり、球団社長の小泉隆司らは妥結時に近鉄の選手に対して「流れに乗じた動きになるような徒党を組まないでほしい」と要望していた。
  • 例外として扱われた岩隈は、分配ドラフトの前には軟化の気配もあってオリックス側は説得が可能としてプロテクトを行った。一度は近鉄からオリックスへのトレードが行われたが、その後に岩隈は一転して態度を硬化させてオリックス球団を拒否した。オリックスはあくまでも自球団が近鉄から「譲渡」を受けた立場であることから球団幹部・主力選手らが翻意を促したが、選手会は岩隈を支持し、「岩隈はオリックスか楽天のどちらか選択できるはず」と譲らなかった。この選手分配ドラフトは他球団による過剰選手の「救済」という一面を持っており、楽天はこの救済獲得枠を既存の10球団から譲渡された形だったことや、「消滅する近鉄の選手」への同情から他球団の援護も得られなかったことで、オリックスの対応は行き詰まった。オリックスに同情したパ・リーグ会長の小池唯夫は岩隈について「2005年度はオリックスでプレーした後、改めて移籍先について検討するのが妥当」と提案したが解決には至らず、12月22日に「申し合わせ」の当事者だった小泉は説得を断念した。その後、小泉は宮内の指示を仰いで新球団および岩隈双方の今後に配慮して「超法規的措置」を選択すると表明、楽天への金銭譲渡を決めた。
  • メジャーリーグベースボールにあるエクスパンション・ドラフトのような、新球団への最低戦力保証は行われなかった。このため、前述の通り過剰選手の救済獲得枠を譲渡された楽天は、オリックスが合併球団の主力25名として選ばなかった選手からしか獲得することができなかった。
  • 上村和裕山﨑浩司はオリックスに指名された後、2005年の春季キャンプ前に菊地原毅との交換トレードで広島東洋カープへ移籍した。山﨑は前述の岩隈と同様に近鉄から形式上はオリックスへ移籍した経歴が残ったが、開幕前にトレードで退団したため2005年に合併球団でプレーすることは無かった。
  • 近鉄からポスティングシステムの利用を表明していた中村紀洋は一旦オリックスに分配されたのち、近鉄解散後となる翌年1月にポスティング申請され、ロサンゼルス・ドジャースに入団した。このため、岩隈や山﨑同様に旧近鉄から形式上オリックスに移籍した経歴が残っている。なお、ドラフトの席上で楽天が中村を指名することは可能であったが、近鉄時代に大型契約を結んでいたことなどが影響して見送られている。
  • 選手分配ドラフトの対象外となったFA宣言選手は近鉄の大村直之のみで、2005年1月に福岡ソフトバンクホークスに入団している。
  • 同じくドラフト対象外となった外国人選手については、旧近鉄のジェレミー・パウエルケビン・バーンがドラフトとは別個にトレードを行う形でオリックスに移籍した。近鉄に在籍した上記以外の外国人選手、およびオリックスに在籍したすべての外国人選手は2004年オフに自由契約となり、オリックス・楽天のいずれとも契約せず退団している。

楽天球団発足

11月11日、選手・コーチらがチームとして初めて仙台入りし、同地で結団式が行われた[73]11月13日には近鉄球団の本拠地である藤井寺球場において楽天球団として秋季キャンプが行われ、練習用だが初めて新球団のユニフォーム(白地に楽天本社のロゴ)が披露された[74]

社会の反響

ファン・世論

6月17日大阪ドーム近傍のナインモール九条商店街が、合併反対の署名活動を開始した[75]

大阪府が、府政モニター500人を対象に行ったアンケートでは、大阪を本拠地とする球団の存続を59%が希望した[76]。ただし、同アンケートでは球団合併の肯定・容認派の合計が68%であり、さらに好きな球団で近鉄を選択したのは24%[注釈 7]に過ぎなかった。

6月27日、オリックス後援会が合併反対の署名活動を開始し、矢田立郎神戸市長(当時)も参加した[77]。これらの署名運動は、選手会が実施した署名と合わせ120万筆に及び、9月8日にプロ野球実行委員会の伊藤修選手会担当顧問に提出された[78]

7月8日の「たかが選手」発言の直後には、ロッテファンが「合併反対」「選手と共に戦う」等と書かれた横断幕やボードを掲げて観戦する姿が報じられ、近鉄・オリックス球団ファン以外にも騒動は波及していった[79]。7月10日・11日のオールスター戦では、観客席に合併反対・選手会支持の旨を記した大小20枚のプラカードが掲げられ、「合併反対、パシフィック」の合唱が巻き起こった[37]

1リーグ化に危機感を募らせたパ・リーグ観客の間で「合併反対歌」「プロテスト・ソング」としてパ・リーグの連盟歌である『白いボールのファンタジー』が愛唱されるようになった[80]。こうした動きを受け、近鉄選手会が企画して同曲のカバーCDが制作され、趣旨に賛同するセ・パ各球団選手会長がカバー録音に「友情出演」し、9月の試合で観客に無料配布された[81]

8月29日には、野球ファンの有志による「プロ野球12球団存続を願う会」が大阪ドーム周辺で300人規模のデモ行進を行った[82]。また、朝日新聞社が8月28・29日に実施した世論調査では、球団参入を「緩和すべき」が59%、「ライブドア加入容認」が63%、「1リーグが良い」は6月34%、7月13%からさらに低下して9%だった[83]

政界

小泉純一郎内閣総理大臣は6月15日、「期待と心配の両方がある。セ・パ両リーグ一緒に試合してもらいたいし、球団削減でファンが心配しているのではないかとも思う」と述べた。

8月4日、民主党を中心とする国会議員35人は性急な1リーグ制移行の阻止と第三者協議機関の設置を目指す「日本プロ野球の更なる飛躍・発展とスポーツ文化振興による地域活性化を推進する会」(発起人代表・仙谷由人)を設立。 自由民主党の国会議員16人も同日、「2リーグ制を守り、プロ野球の発展を図る議員連盟」(代表世話人・小林興起)を、それぞれ設立した[84]

自民党では、大阪府議会議員団が府議全員で構成する「大阪を本拠地とするプロ野球球団の存続を求める議員連盟」を発足させ、8月5日に第1回総会を開いた。

8月31日、自民党系議員連盟の小林興起ら4人の国会議員は、NPBの根来泰周コミッショナーと会談し、2リーグ制維持や球界改革を要望した[85]

ストの可能性が高まりつつある9月6日には、小泉首相が記者団に「ストライキなんてしたことないでしょう、日本の選手。もっとファンのことも考えてもらいたいですね」と述べ、また、(日本人選手が複数名活躍する)大リーグに期待を寄せる等、スト実施に対しやや否定的な見解を示した[86]。また河村建夫文科相は「一ファンとして心配している」とした上で「野球全体の問題として粘り強く協議して欲しい」と要望した[87]

経済界

球団再編関連

日本経済団体連合会(経団連)の奥田碩会長(トヨタ自動車会長)は6月14日の会見で、「1リーグ8球団体制の方が合理的で、内容もしっかりする」と、1リーグ制に理解を示した。また、9月13日には「新しいセンスがありベンチャーで成功した人が、アメリカのようにオーナーになってもいい」「(外資参入は)協約を直せばいいだけの話」と話し、プロ野球には改革が必要という認識を示した。

全国銀行協会西川善文会長(三井住友銀行頭取)は6月22日の会見で、球団数やリーグ数についてのコメントこそ控えたものの、「合併だけでプロ野球界全体の問題あるいは球団経営の問題が解決するわけではない」と、プロ野球界の根本的な構造改革の必要性を示唆した。

またオールスターゲームのスポンサーだった三洋電機井植敏会長は7月16日、「オールスターはセとパでやるから面白い」と述べ、1リーグに移行した場合、オールスターゲームの代替案として取り沙汰されている「東西対抗戦」案を「スポンサーをする気にはなれない」と批判した。

JR東海葛西敬之会長は「1リーグにして少ないパイを分け合おうというのは一つの自然な流れだと思う」としながらも、「今の球団サイドと選手会の対立は、ちょうど我々が国労とやったとき[注釈 8]の状況と似ている気がしますね。ただし、単に1リーグにしただけでは、縮小再生産の無限軌道に入って、チーム数をさらに減らす事態になりかねない」との見解を示した。日本国外ではヨーロッパのイタリアの野球セリエAや、ドイツの野球ブンデスリーガ等に、1部2部制度が導入されている[88]

JR東日本松田昌士会長によると、JR東日本にもこの時「数十億円」で球団買収の話があったという。松田は真剣に検討したが、「スワローズの愛称だけでも取り戻したかったのですが、結局ダメでした」と述べている[89]

ストライキ関連

選手会がストライキを辞さない構えを見せた9月上旬、次のような発言があった。

9月7日、日本経団連の奥田碩会長は、「ファンは若干無視されている感じだ」とし、選手及び経営陣双方にファンを大切にするよう呼びかけた[90]

日本銀行福井俊彦総裁は9月9日の会見で、選手会のストライキ決議への一定の理解を示し、「参入を制限しないでほしい」との見解を示した。

労働界

7月8日、古田は球団経営陣に話し合いを呼びかけた。ただし、「会いたい」と言ったわけではなく、報道陣に「直接オーナー側と会ったほうがいいのではないか?」と聞かれて「出来ればそうしたいんですけど、機会を設けてくれないでしょう」と述べたに留まっていた。

古田の発言は正しく伝えられず、日刊スポーツ記者の沢畠功二が渡邉への囲み取材で「明日、選手会と代表レベルの意見交換会があるんですけれども、古田選手会長が(球団)代表レベルだと話にならないんで、できれば、オーナー陣といずれ会いたいと(言っているが)」と質問を投げかけたことで、渡邉は「無礼なこと言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」と返答した[4][5]。古田は沢畠が渡邉に代弁した「球団代表レベルだと話にならない」との言葉について、全面的に発言を否定している。

渡邉の発言を受けて、翌7月9日に日本労働組合総連合会(連合)の笹森清会長が、労働組合・選手会への全面的支援と、古田選手会長と会談したい旨を表明した[35]。古田と笹森会長の会談は8月12日に行われ、その後のスト権確立、スト条件、スト実施法、損害賠償請求といった法的問題を解決していく上で重要な役割を果たしたとされる。

全国労働組合総連合(全労連)は7月27日、日本プロ野球選手会の松原徹事務局長との懇談および意見交換を行ったうえで、翌28日の定期大会において、選手会の署名運動への協力、渡邉による選手の人格無視・選手への人権侵害発言の撤回要求、『読売新聞』に対する抗議運動(不買運動を含む)の具体化を提案した。

マスコミ

再編問題を報道したマスコミは、世論調査などでの選手会への高い支持などから、おおむね選手会に好意的な報道が目立った。明確に経営者側に立ったのは、自前の球団を持ち渡邉が代表取締役主筆を務める、読売新聞グループ読売新聞[91]と、系列の報知新聞日本テレビなどと、かつてアトムズとして球団を保有し、以降もヤクルト球団への出資を続けているフジサンケイグループ夕刊フジだけだった。かつて自らオリオンズ(現:ロッテ)を保有し、友好会社のTBS横浜ベイスターズを保有していた毎日新聞は、「ストライキは日本野球機構の怠慢である」と厳しく断じている[91]日本共産党機関紙であるしんぶん赤旗は、三日連続(9月18日~20日付)の社説で選手(≒労働者)側に責任転嫁する読売新聞の姿勢を「選手会攻撃の意図が露骨にあらわれている」と厳しく批判している[91]

読売新聞は選手会によるストライキ前後に社説[92] や、合併した両球団の元監督だった一方で、ストライキに対しては批判的だった西本幸雄のコメントを掲載した。

夕刊フジに至っては、特に編集委員の江尻良文がストライキに踏み込んだ選手会や、古田会長(当時)らを痛烈に批判した。その後も選手会の動きがあるたびに江尻は「選手会は無能の集まり」という旨の批判を繰り返していたが、江尻の批判は自身の古田に対する個人的な嫌悪感情も含まれていたため、古田が選手会長を退任して以降は選手会への批判が減少している。

その一方で夕刊フジの母体である産経新聞は、夕刊フジとは逆に選手会支持・経営者批判をし、9月22日の社説「主張」の「プロ野球再編 オーナーが決断する時だ」の中では「スト決行について、読売新聞の社説は、『ファン裏切る“億万長者”のスト』との見出しで、選手会を激しく非難した。非難されるべきは、選手会の主張に耳をかさず、当初は話し合いのテーブルにも着かなかった経営者側にあるのではないか。」との文章で読売社説の批判[注釈 9]もした。

また、自前の球団を持つTBSは、ストライキを積極的に支持はしなかったが、選手会の批判も避けた。同じく球団を持つ中日新聞も、ストライキの支持の表明はなかったものの、選手会に対する経営側の姿勢については「ファンの目にも奇異に映る」と批判的な社説を展開した[91]。代わりに、『中日スポーツ』の読者欄では、ストライキに反対する投稿を多く採用した。

この他、日本経済新聞はリアルタイムでの選手会批判はさほど行わなかったが、翌2005年発行の日本経済新聞社編『球界再編は終わらない』(2005/3 ISBN 4-532-31207-8)で球団合併を高く評価し、1リーグ8球団制にも好意的な内容だった。著者が会社名義であることから、事実上社による経営者支持表明だった。

その再編問題の発端である関西地区では合併騒動に関しては大々的に取り上げるものの、同じく地元球団の阪神・久万オーナーはもともと1リーグ制を支持していたため、「こういうときに限って巨人の肩を持つ」という批判もうけた。後に星野らの説得を受けて、2リーグ制維持を球団の方針とした。

毎日放送読売テレビなど一部の在阪マスコミではほとんどこの問題には触れなかった。また、関西の著名人の合併問題への関心・反応も薄く、近鉄パールズ時代からのバファローズファンを公言していた俳優藤田まことが「プロ野球ファン引退宣言」を行い、ハイヒールモモコ、高山トモヒロらが、有志が行っていた存続を求める署名活動に参加した程度だった。大阪府の太田知事は、関西財界を支持基盤のひとつにしていたことなどから、ほとんど経営者側に配慮した日和見的姿勢に終始した。

テレビ番組

関連書籍

  • 『誰が「プロ野球」を殺したのか!』(著者:永谷脩)(2004年10月20日、祥伝社)ISBN 9784396440022
  • 『スト決行 プロ野球が消えた2日間』(著者:朝日新聞スポーツ部)(2004年12月30日、朝日新聞社)ISBN 9784022579782
  • 『合併、売却、新規参入。たかが…されどプロ野球!』(著者:小林至)(2004年12月31日、宝島社)ISBN 9784796644310
  • 『日本プロ野球改造計画』(著者:二宮清純 樋口美雄)(2005年3月25日、日本評論社)ISBN 9784535554399
  • 『合併反対 2004年夏、プロ野球ファンの抵抗』(著者:プロ野球チーム存続を訴える会記録本編集委員会)(2005年4月20日、長崎出版)ISBN 9784860950750

参考文献

脚注

関連項目

外部リンク

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