梁山泊の軍師として数多の謀計詭計を発案・実行した彼だが、宋江を江州から救出する際に印鑑を扱い間違ったり、高廉の妖術を破ろうとして返って被害を受けたりと失敗も目立つ人物である。中国語では「呉用」と「無用」は同じ発音(Wú Yòng、ウーヨン)で発せられるため、役に立たないものを「梁山泊の軍師」などと表現し皮肉る場合がある。
『水滸伝』のストーリーが成立する以前から、呉用にあたるキャラクターは、宋江をはじめとする梁山泊盗賊集団の伝説の中に含まれていた。南宋末あるいは元初の成立と思われる龔聖与による絵画「宋江三十六人賛」では第2位に「智多星・呉学究」の名が見られる。さらにその後に成立し、水滸伝の原型となった説話集『大宋宣和遺事』における梁山泊説話においては、36人の上に位置する宋江の下、第1位の好漢として「智多星・呉加亮」として現れる(水滸伝の盧俊義に相当すると思われる「玉麒麟・李進義」よりも上位である)。『水滸伝』ではこれらをふまえたものか、姓名を呉用、字を学究、号を加亮という設定にまとめられたとみられる。なお、森鷗外らが指摘するように、呉用の字「学究」は北宋の宰相趙普のアダ名であって、趙普は野史では「趙学究」と呼ばれていた。このことから、呉用の人物像は趙普をモデルにしているといわれている。(森『標新領異録』)
趙普は軍師でありながら教養に乏しく、誤字を書いてしまうことが多い人物であった。このことが呉用のキャラクターにも影響したと考えられている。呉用も水滸伝の作中で文書作成でヘマをやらかし、あやうく宋江が殺されかかったりしている。