文州 From Wikipedia, the free encyclopedia 文州(ぶんしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から明初にかけて、現在の甘粛省文県一帯に設置された。 魏晋南北朝時代 558年(明帝2年)、北周により葭蘆郡に文州が設置された[1]。 隋代 隋初には、文州は2郡3県を管轄した。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、文州の属郡は廃止された。605年(大業元年)、文州は廃止され、武州に統合された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、武州は武都郡と改称され、下部に7県を管轄した[2]。618年(義寧2年)、陰平郡が置かれ、曲水・長松・正西の3県を管轄した[3]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。 さらに見る 隋代の行政区画変遷, 区分 ... 隋代の行政区画変遷 区分開皇元年区分大業3年 州武州文州郡武都郡 郡永都郡武街郡葭蘆郡陰平郡県将利県 建威県 覆津県盤堤県 長松県 正西県曲水県 県将利県建威県覆津県盤堤県建昌県正西県曲水県 閉じる 唐代 618年(武徳元年)、唐により陰平郡は文州と改められた。742年(天宝元年)、文州は陰平郡と改称された。758年(乾元元年)、陰平郡は文州の称にもどされた。文州は剣南道に属し、曲水・長松の2県を管轄した[3]。 宋代 宋のとき、文州は利州路に属し、曲水県を管轄した。南宋の端平年間以降、州は乱れて廃止された[4]。 明代 1371年(洪武4年)、明により文州は文県に降格された[5]。 脚注 [1]『周書』明帝紀 [2]『隋書』地理志上 [3]『旧唐書』地理志四 [4]『宋史』地理志五 [5]『明史』地理志三 この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/P:歴史/P:歴史学/PJ中国史)。表示編集 Related Articles