日本共産党闘争小史
From Wikipedia, the free encyclopedia
四・一六事件は、当時しばしばあった共産党弾圧事件の一つで、1929年(昭和4年)4月16日の一斉検挙を中心にしたものである。数百人が治安維持法違反で起訴される大裁判となり、1931年(昭和6年)に統一公判が実施された。この裁判では被告の中の数人が代表陳述に立つ方式がとられた。被告らは有罪・無罪を争わず、日本共産党がいかなるものであるかを広く国民に知らせることを目的として弁論した。その中で党の中央委員の一人だった市川正一は5回にわたって党史を述べた。
弁護団の蓬田武弁護士が速記をとり、謄写版で数十部を印刷した[1]。それが「日本共産党公判闘争代表陳述速記録」で、2024年現在大原社会問題研究所などが所蔵している。後に出版された本の中では党の歴史をよどみなく語るが、速記録が示すところではしばしば裁判官による制止が入り[2]、特に天皇に触れることはほとんど禁じられたという[3]。
出版
速記録をもとに、日本共産党創立10周年記念として、『日本共産党小史』が翌1932年に出版された[4]。発行元は日本共産党アジ・プロ部だが、非合法組織による非合法出版で、表紙に題名も何も書いていない本だった[5]。
市川は1945年(昭和20年)3月に獄中で病死した。8月の敗戦後も共産党員はなかなか釈放されず、多数の党員が出獄したのは翌年に入ってからだった。その1946年(昭和21年)に、群馬県の桐生暁書房が『日本共産党闘争小史』を出版し、版を重ねた。
1950年(昭和25年)に、希望閣が出版した『日本共産党闘争小史』は、1932年7月23日の市川「最終陳述」をあわせ載せた[6]。
1954年(昭和29年)に国民文庫社が国民文庫の一冊として『日本共産党闘争小史』を刊行した。国民文庫は共産主義関連の基本書を刊行して当時多く流通していた。
日本共産党出版部は、1962年(昭和37年)発行の『市川正一著作集』上巻に「日本共産党闘争小史」を収録した[5]。1977年(昭和52年)に共産党系の新日本出版社が、『市川正一公判陳述 1922-29年の党活動について』と改題し、新日本文庫の一冊に加えた[5]。この『市川正一公判陳述』には1995年(平成7年)に新版が出た。支那を中国、テロルをテロなど用語を現代的に改めている。
また、新日本出版社は『市川正一集』の刊行に際し、公判陳述の速記録を第3巻に収めた。
