末広町 (川越市)
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歴史
末広町という名前は1961年(昭和36年)の町名・地番整理の際に付けられた[4]。末広町の区域は、それ以前は橘町、相生町、鷹部屋町、厩下町と呼ばれていた[5]。
橘町は、川越四門前のひとつである妙養寺門前町と呼ばれていた[6]。明治に入り、妙養寺の寺紋から橘町という名になった[7]。
相生町は、かつては行伝寺と養寿院[注釈 1]の門前町であり、最初は行養町という名が付けられた[8]が後に相生町となった。川越氷川神社の神官であった山田衛居の記録では、1872年(明治5年)9月の記録にのみ行養町の名があり[9]、1880年(明治13年)9月16日[10]以降に相生町の名が現れる。また栄林寺過去帳では1877年(明治10年)に記録があるが、一般に用いられるようになったのは昭和に入ってからであり、大正時代までは杉原と呼ばれたという[11]。相生町の名の由来は不明だが、栄林寺境内に相生学校が設置されたこととの関連が示唆されている[11][12]。
鷹部屋町には徳川家康に仕えた鷹匠の屋敷[7]が、厩下町には松平信綱の馬場[13]がそれぞれあったことによる地名である。幕府や藩に関わる場所であったことから、地元では町を付けず「御鷹部屋」「御厩下」と呼んだという[14][12]。享保年間のものとされる絵図[15]には、当地に御鷹部屋と馬場・厩がそれぞれ記載されている。