宮元町 (川越市)

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宮元町
宮元町の位置(埼玉県内)
宮元町
宮元町
北緯35度55分54.24秒 東経139度29分12.54秒 / 北緯35.9317333度 東経139.4868167度 / 35.9317333; 139.4868167
日本の旗 日本
都道府県 埼玉県
市町村 川越市
人口
2025年(令和7年)1月1日現在)[1]
  合計 2,513人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
350-0838[2]
市外局番 049[3]
ナンバープレート 川越
座標は川越市民グラウンドを示す。
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宮元町(みやもとちょう)は、埼玉県川越市の町名。現行行政地名は宮元町のみ。丁番を持たない単独町名である。住居表示未実施地区。郵便番号は350-0838[2]

東側で御成町氷川町、南側で新河岸川を挟んで宮下町志多町、西側で神明町、北側で大字山田・大字石田とそれぞれ接する。

歴史

江戸時代の資料には宮元町の名は無く、明治5年頃の文献に現れる[4]。当時から複数の大字(川越、東明寺、寺井)に分かれており[5]、「犬牙駁雑[注釈 1]の地なり」と表現されている[6]。また宮元町には、新館(しんだて)、おんだし、おんまわし、ではずれ、とよ、などの小名(小字)が見られるという。

また、現在の宮元町の町域には深町・溝町という旧町名も見られる[7]。深町[8]・溝町[9]ともに、水田が深かったことに由来するのではないかと推察されている。

1940年(昭和15年)には、当時の川越盲学校が宮元町内に新築移転した[10][11]。盲学校は1970年(昭和45年)に川越市笠幡へ移転し[11]、用地は川越児童相談所となっている。

1960年(昭和35年)、川越市が自治省の町名地番整理モデル地区に指定され、先行して中心部の整理が行われることとなった。この範囲には(整理前の)宮元町のうち新河岸川右岸の町域も含まれており[12]、宮元町が管理していた妙義神社が町から切り離される計画であったため、他の整理対象町内とともに地番整理反対運動が起きた[13]。これに対して川越市は、神社を市の予算で整理後の宮元町内に移転することを約束し、整理に反対する住民を説得した[14]。これにより、翌1961年3月1日に旧宮元町の新河岸川右岸地区は志多町と宮下町に編入された[15]

さらに1963年7月には残る旧宮元町地区が第3次町名・地番整理対象となり、3つの字に分かれていた宮元町は、新河岸川左岸側にあった宮下町の一部などを加えて新しい宮元町となった[16]。その後1970年(昭和45年)には深町の一部が宮元町に編入され地番整理された[17]

世帯数と人口

2025年(令和7年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
宮元町 1,143世帯 2,513人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[18]

番地小学校中学校
全域川越市立川越小学校川越市立初雁中学校

交通

町内に鉄道は通過しておらず、駅もない。かつて渋沢栄一らが設立した毛武鉄道において、川越市街地から宮元町内を縦断して東松山へと向かう経路が検討されたが、町内で反対運動が起きたという記録が残っている[19]。一応最寄り駅は、西武鉄道新宿線(本川越駅)ではある(徒歩30分くらい)。

新河岸川にかかる東明寺橋付近で松山街道と分岐し、桶川・鴻巣方面へ向かう街道が昔から町内を通っていた。昭和初期には神明町交差点を経由するルートが整備され[注釈 2]、現在は埼玉県道12号川越栗橋線に指定されている。東武バスが、この県道を経由して川越駅鴻巣駅を結ぶ川越04系統を運行しており[21]、町内には宮元町・川越児童相談所の2停留所が設置されているが運行本数は少ない[22]

また1966年(昭和41年)10月には、氷川町・御成町・山田との境界を通る国道254号のバイパス(通称山田バイパス)が開通した[23]

施設

  • 川越児童相談所[24]
  • 真行寺
  • 妙義神社
    • 妙義神社児童遊園
  • 川越宮元郵便局[25]
  • ルンビニ幼稚園
  • 市民グラウンド[26]
  • 宮元町公園

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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