月吉町
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
月吉という地名の由来[7]は、文明年間[8]の川越に月吉某なる人物がいて連歌をたしなんだという『廻国雑記』の記述[9]に遡る。この人物が今成村を開墾した1人であると考えられ、また当時の河越城主上杉定正の養子朝良だとする説もある[注釈 1]。
『新編武蔵風土記稿』によれば、村の南東に月吉屋敷なる館があったが江戸後期には既に陸田になっていたという[11]。1968年の調査でも、月吉屋敷の所在を特定するような遺構は確認されていない[12]。
明治期の記録である『武蔵国郡村誌』によれば、今成村の南東部の地域で、東西・南北ともに3町5間の広さの字地が月吉という名であった[13]。隣接する野田村にも月吉町という字地があり[14]、この地名も同じく月吉某が由来と考えられている[15]。
また、現在の月吉町の東側には旧城下町のうち境町と鷹部屋町であった地域のそれぞれ一部が含まれている。境町は古くは餌差(鷹の餌となる鳥を飼育する役職)が居住していたことから餌差町と呼ばれ、その後は町の東側が松郷、西側が野田の村域に分かれて境界地となったことから境町の名がついたという[16]。鷹部屋町の由来については末広町の項を参照。
1962年(昭和37年)3月1日の町名地番整理によって、大字今成の一部と境町・鷹部屋町の一部が新たに月吉町となった[17][注釈 2]。
世帯数と人口
小・中学校の学区
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 1 - 20、22、24、26、28、47 - | 川越市立月越小学校 | 川越市立富士見中学校 |
| 21、23、25、27、29 - 46 | 川越市立初雁中学校 |