村田久武
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村田 久武 むらた ひさたけ | |
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(1963-12-03) 1963年12月3日(61歳) |
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1987年にトヨタに入社して以来トヨタのモータースポーツ活動に関わり、2014年からはモータースポーツパワーユニット開発部(現TGR開発部)部長を務めた。TOYOTA GAZOO Racing 前WECチーム代表[1]。
1963年12月3日、大阪府に生まれる。地元大阪の進学校から大阪大学へ進学した村田は、登山部の勧誘の山の写真に惹かれ、登山部への入部を決意する。登山部で学んだチームワークの大切さが、今のトヨタチームの代表の役割に活かされているという[2]
1987年にトヨタ自動車に入社し、モータースポーツ部(現GRモータースポーツ開発部)に配属され、耐久試験を担当した。入社6年目の92年にはレースサポートを任されるようになり、各地のサーキットは出向く事になった。なおこの時担当した33号車のTS010は1992年のル・マンで2位を獲得している。
トヨタが1993年で一旦ル・マンプロジェクトを休止させたため、1995年からはアメリカのCARTのエンジン開発にかかわる事になった。当初は”TOYOTA” のロゴが入ったシャツを着てサーキットを歩いていると、指をさして笑われるほど弱小エンジンサプライヤーだったため、2000年の初優勝時には「本当にうれしかった」と述べている。
2003年から3年間、量産のV6エンジンの開発に関わり、2006年にはレーシング・ハイブリッドのプロジェクトリーダーとしてモータースポーツ部へ帰ってくる事になり、GS450hやスープラでスーパー耐久の十勝24時間レースに参戦した。
2014年にはモータースポーツ開発部の部長に就任し、TS040 HYBRIDの開発を指揮し、WECのチャンピオン獲得へと導いた。2017年8月1日からはTMG(トヨタ・モータースポーツ)の社長を務めることになり、2018年のル・マンではTS050 HYBRIDで初優勝を果たした。
脚注
- ↑ WEC 2021 チーム&ドライバー
- ↑ 『TOYOTA×Le Mans 24h トヨタ ル・マン挑戦の軌跡』三栄書房、2018年、[要ページ番号]頁。ISBN 9784779637407。
- ↑ “幹部職の担当変更について”. トヨタ自動車(株). 2021年9月30日閲覧。
- ↑ “FIAとの交渉も担当? 中嶋一貴&小林可夢偉“サプライズ人事”の狙いと、ふたりが語る新たなチーム像【トヨタ2022年体制発表】”. autosport web. 2021年12月6日閲覧。
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1998年 - 1999年 LMGT1 / LMGTP |
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1989年 - 1993年 IMSA GTP |
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1982年 - 1994年 グループC | |||||||||||||||
1977年 - 1978年 グループ5 |
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1968年 - 1970年 グループ7 |
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| 関連項目 | |||||||||||||||