ステファン・サラザン

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フルネーム ステファン・ジャン=マルク・サラザン
生年月日 (1975-11-02) 1975年11月2日(49歳)
ステファン・サラザン
サラザン (2014年)
基本情報
フルネーム ステファン・ジャン=マルク・サラザン
国籍 フランスの旗 フランス
出身地 同・ガール県バルジャック
生年月日 (1975-11-02) 1975年11月2日(49歳)
F1での経歴
活動時期 1999
過去の所属チーム '99 ミナルディ
出走回数 1
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1999年ブラジルGP
最終戦 1999年ブラジルGP
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ステファン・サラザン
基本情報
WRCでの経歴
活動時期 2004-2006,2015,2017〜2020,2022
所属チーム '09-'11 スバル・ジュニアチーム
'11 ICE 1 Racing
ACIチーム・イタリア
サラザン・モータースポーツ
出走回数 26
チャンピオン回数 0
優勝回数 0
表彰台回数 0
ステージ勝利数 1
通算獲得ポイント 23
初戦 2004年ラリー・ドイチュラント
最終戦 2022年ラリー・カタルーニャ
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ステファン・ジャン=マルク・サラザンStéphane Jean-Marc Sarrazin, 1975年(一部1974年の記述あり)11月2日 - )は、フランスガール県バルジャック出身のレーシングドライバー

FIA 世界耐久選手権(WEC)、世界ラリー選手権(WRC)、F1世界選手権への参戦歴がある。

2016年ベンチュリー在籍時
2017年ベルリンe-prixにてテチーターをドライブ

1993年、フランス・フォーミュラ・ルノーに参戦、5位。翌年にはチャンピオンに輝く。1995年から1997年には、フランスF3選手権に参戦し、それぞれ3位、9位、2位になった。1998年から2001年には国際F3000選手権に参戦し、ランキング6位、4位、4位、14位を記録。

1998年からはプロストGPのテストドライバー、1999年から2001年まではサードドライバーとして起用されていたが、1999年ブラジルGPではルカ・バドエルの代役としてミナルディから出走。チームメイトのマルク・ジェネを上回る予選17位を記録したが、決勝では31周目にスピン、リタイアとなった。これが唯一のF1出走となった。

2001年までプロストGPのサードドライバーを務めた後、2002年にトヨタのテストドライバーとして起用された。

耐久やラリーで活動(後述)した後の2014年に誕生したフォーミュラEにおいてヴェンチュリー・フォーミュラEチームより参戦[1]。第二シーズンのロングビーチでは2位表彰台を獲得している。

第三シーズン途中からテチーター(DS)に移籍し、2度3位表彰台を獲得。第五シーズンは終盤にマヒンドラから数戦ドライブしたが、この時は入賞は果たせなかった。

2018年の第六シーズンではアンドレッティ・オートスポーツBMW)で4戦のみステアリングを握った。

スポーツカーレース

2008年ル・マンにて、プジョー・908 HDi FAPをドライブ
2013年シルバーストンのパドックにて
セバスチャン・ブエミアンソニー・デビッドソンと共に
2018年シルバーストンにてSMPレーシングのBR1をドライブ

2001年にル・マン24時間レースバイパー・チーム・オレカよりデビュー。ヤニック・ダルマスフランク・モンタニーと組み、クライスラーのLMP900マシンをドライブするが、序盤でリタイアした。翌年はPlayStation・チーム・オレカよりダラーラのマシンでクラス5位完走を果たした。

2003年はペスカロロ・スポールでプジョーエンジンのクラージュ・C60をドライブした(クラス6位完走)。

2003年は出場せず、2004〜2005年はアストンマーティン・レーシングDBR9をドライブ。2003年にペドロ・ラミーダレン・ターナーと共にGT1クラス3位を獲得した。

2006からル・マンに復帰したプジョーのワークスチームで、ディーゼルLMP1のプジョー・908 HDi FAPをドライブ。フランク・モンタニー、ペドロ・ラミーアレクサンダー・ヴルツセバスチャン・ブルデーらと組み、2度2位表彰台を獲得するが、総合優勝は果たせなかった。他方、2007年と2010年にはル・マン・シリーズのタイトルを獲得した。サラザンはプジョーの復帰から2011年の撤退まで、レギュラーシートの座を守り続けた。

2012年に石浦宏明がマシンテスト中にクラッシュし背中を痛めたことから、トヨタ・モータースポーツ(TMG)が急遽石浦の代役としてサラザンを起用、WECやル・マン24時間レースに出場するトヨタ・TS030 HYBRIDのドライバーを務めた。石浦が怪我から回復したあとも交代することはなく、2013年から2016年まで経験豊富なレギュラードライバーとして活躍。マイク・コンウェイ小林可夢偉らの引っ張り役となった。

2017年はレギュラーからは外されたものの、三台体制となったトヨタでスパとル・マンに参戦した。スパとル・マンともに3台目からの出走が予定されていたが、ルーキーのホセ・マリア・ロペスの未熟さから可夢偉とコンウェイの駆るエースカーに復帰した。

トヨタLMP1とジョイントしていたオレカとの関係は続いており、オレカ・05ではマシン開発も担当した。

2018年、2019年にSMPレーシングで戦い、以後は活動を行っていない。

ラリーでの経歴

2005年ラリー・モンテカルロにてスバル・インプレッサWRCをドライブ
2010年ラリー・モンテカルロにてプジョー・207 S2000をドライブ
2012年フランス・リムーザンのラリーでプジョー・307 WRCをドライブ

2004年、フランス自動車協会(Equipe de France FFSA)の推薦でWRC(世界ラリー選手権)にスバル・インプレッサWRカーで参戦。ドイツ、フランス、スペインの3戦に出走し、8ポイントを得てランキング11位となった。

2005年にはスバルワークス・チームプロドライブ)に加入、8戦に出走し6ポイントを獲得し年間17位。2006年はターマックを中心に4戦に出走し6ポイントを獲得し18位となった。

2009年、インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ(IRC)にプジョー・207 S2000でモンテカルロに出場。総合3位表彰台を獲得した。

2010年、2011年とプジョー・フランスからモンテカルロに参戦し連続で4位入賞を果たす。

ヨーロッパラリー選手権(ERC)として開催された地元コルシカにミニ・ジョンクーパー・ワークス S2000で出場。3位表彰台を獲得した。2014年にもコルシカにフォード・フィエスタRRCで参戦し、優勝を挙げている[2]

2016年にヒュンダイ・i20 R5のデビュー戦であるツール・ド・コルスにWRC2からスポット参戦。以降2020年まで、モンテカルロを中心に同車両でのスポット参戦を続ける。また同年トヨタ・ヤリスWRCの開発ドライバーとしても活動した。

2017年にオレカKCMGの支援を受けて自身のラリーチームであるサラザン・モータースポーツを創設。WRC2に自らマシンを駆ってスポット参戦した。またオレカの開発するR4キットカーのテストドライバーにも選ばれた[3]。2018年ラリーGBからはヒュンダイのR5マシンによる若手育成プログラムを委託されることが決まった[4]

2021年からはマシンをフォルクスワーゲン・ポロ GTI R5に切り替え、国内戦やラリー・カタルーニャに参戦している[5]

その他

2006年7月27日・28日、SUPER GT GT300クラスのクスコレーシングのインプレッサのテストを行うため、ツインリンクもてぎの合同テストに参加。 27日のテスト終了後には、スバルの宇都宮工場を表敬訪問した[6]

2011・2012年に豪州V8スーパーカーホールデンのマシンでスポット参戦した。

2021年にはフォーミュラE王者ジャン=エリック・ベルニュや天才F1デザイナーエイドリアン・ニューウェイらにより設立されたベローチェ・レーシングからエクストリームEにも参戦。コドライバーはWシリーズチャンピオンのジェイミー・チャドウィックセネガルのラックローズで開催されたオーシャンX-prixで2位となったのが最高成績だった。

レース戦績

脚注

外部リンク

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