枝下駅

From Wikipedia, the free encyclopedia

所在地 愛知県豊田市枝下町
北緯35度08分41秒 東経137度12分32秒 / 北緯35.144718度 東経137.208775度 / 35.144718; 137.208775座標: 北緯35度08分41秒 東経137度12分32秒 / 北緯35.144718度 東経137.208775度 / 35.144718; 137.208775
所属路線 三河線
キロ程 4.1 km(西中金起点)
知立から25.8 km
枝下駅
駅前(2004年3月)
しだれ
SHIDARE
三河広瀬 (1.3 km)
(3.0 km) 三河御船
所在地 愛知県豊田市枝下町
北緯35度08分41秒 東経137度12分32秒 / 北緯35.144718度 東経137.208775度 / 35.144718; 137.208775座標: 北緯35度08分41秒 東経137度12分32秒 / 北緯35.144718度 東経137.208775度 / 35.144718; 137.208775
所属事業者 名古屋鉄道
所属路線 三河線
キロ程 4.1 km(西中金起点)
知立から25.8 km
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度-
121人/日
-2003年[1]-
開業年月日 1927年昭和2年)8月26日
廃止年月日 2004年平成16年)4月1日
テンプレートを表示

枝下駅(しだれえき)は、かつて愛知県豊田市にあった名古屋鉄道三河線廃駅)である。

年表

三河鉄道は飯田街道の宿場町として栄えた足助まで鉄道路線を延伸する計画を立てており、その途中駅として1927年に枝下駅は開業した。しかし三河鉄道は世界恐慌の影響や用地買収の難航などの理由で足助まで鉄道を延伸させることができず、西中金駅までの延伸に留まった。

かつては木節粘土[2]の採掘が本駅のすぐ近くで行われていた。事業者は三河鉄道社長を含む3名で設立した三星粘土という企業であり、煉瓦土管三州瓦)などの原料として三河鉄道で高浜港駅刈谷駅近傍の日本陶管などの工場へ送られた。同社はその後東芝吸収され、現在では社名変更を経て東海セラミックス株式会社→クアーズテック株式会社となっている。

駅構造

プラットホーム1面1線の無人駅。かつては1面2線の島式ホームと貨物側線1線で構成されていた[7]。廃駅となった現在も、ホームやレールは撤去されずに残っている。わくわく広場という愛称がつけられ、駅名標復元された(但し表記は現役時と異なる)。駅前にはとよたおいでんバスさなげ・足助線の停留所が設けられている。

配線図

枝下駅 構内配線略図

西中金方面
枝下駅 構内配線略図
猿投方面
凡例
出典:[8]


利用状況

旅客

  • 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は183人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中322位、 三河線(38駅)中34位であった[9]

『愛知県統計書』『愛知県統計年鑑』『豊田市統計書』各号によると、一日平均乗車人員および一日平均乗降人員の推移は以下の通りである。

一日平均乗車・乗降人員の推移
乗車人員乗降人員備考
総数定期総数定期
1949(昭和24)年度 *255*499期間は1949年5月 - 1950年4月末[10]
1950(昭和25)年度 *230*446期間は1949年11月 - 1950年10月末[11]
1951(昭和26)年度 *270*549[12]
1952(昭和27)年度 266561[13]
1953(昭和28)年度 215433[14]
1954(昭和29)年度 214425[15]
1955(昭和30)年度 211421[16]
1956(昭和31)年度 222444[17]
1957(昭和32)年度 238476[18]
1958(昭和33)年度
1959(昭和34)年度
1960(昭和35)年度
1961(昭和36)年度
1962(昭和37)年度
1963(昭和38)年度
1964(昭和39)年度
1965(昭和40)年度 232186464372[19]
1966(昭和41)年度 229188458376[20]
1967(昭和42)年度 226188453376[20]
1968(昭和43)年度 204162408324[20]
1969(昭和44)年度 186145372290[21]
1970(昭和45)年度 181144361288[21]
1971(昭和46)年度 169128336256[21]
1972(昭和47)年度 145104291208[22]
1973(昭和48)年度 152104308208[22]
1974(昭和49)年度 151104305208[22]
1975(昭和50)年度 14393290186[23]
1976(昭和51)年度 13686272172[24]
1977(昭和52)年度 271170[25]
1978(昭和53)年度 13385265171[26][25]
1979(昭和54)年度 12379246158[27][28]
1980(昭和55)年度 11771235142[29][28]
1981(昭和56)年度 11167223134[30][31]
1982(昭和57)年度 11572234144[32][31]
1983(昭和58)年度 12764252128[33][34]
1984(昭和59)年度 12454245108[35][34]
1985(昭和60)年度 10256218112[36][34]
1986(昭和61)年度 9351193104[37][34]
1987(昭和62)年度 884618294[38][34]
1988(昭和63)年度 9552191104[39][40]
1989(平成元)年度 9650193100[41][40]
1990(平成2)年度 9651193102[42][40]
1991(平成3)年度 884217784[43][40]
1992(平成4)年度 914718394[44][40]
1993(平成5)年度 874517590[45][46]
1994(平成6)年度 824116482[47][46]
1995(平成7)年度 763815276[48][46]
1996(平成8)年度 673613472[49][46]
1997(平成9)年度 633412568[50][46]
1998(平成10)年度 623312870[51][52]
1999(平成11)年度 552710954[53][52]
2000(平成12)年度 532110846[54][52]
2001(平成13)年度 48199538[55][52]
2002(平成14)年度 45178934[56][52]
2003(平成15)年度 611712134[57][1]

* 千人単位からの概算値

貨物

貨物取扱量の推移(トン)
発送到着備考
1960(昭和35)年度 19029150[58]
1961(昭和36)年度 1913120[58]
1962(昭和37)年度 98064[58]
1963(昭和38)年度 84622[58]
1964(昭和39)年度 6084358[58]
1965(昭和40)年度 4358150[59]
1966(昭和41)年度 5849259[59]
1967(昭和42)年度 8005377[59]
1968(昭和43)年度 5692323[59]
1969(昭和44)年度 7000500[59]
1970(昭和45)年度 61571130[59]
1971(昭和46)年度 3851591[59]
1972(昭和47)年度 26361111[60]
1973(昭和48)年度 47662123[60]
1974(昭和49)年度 62602933[60]
1975(昭和50)年度 40831933[60]
1976(昭和51)年度 25931589[60]
1977(昭和52)年度 13361593[61]
1978(昭和53)年度 12211616[61]
1979(昭和54)年度 9171219[61]
1980(昭和55)年度 3351070[61]
1981(昭和56)年度 348262[61]
1982(昭和57)年度 176116[61]
1983(昭和58)年度 123109[61]
時期発送到着資料
主要品目主要着地主要品目主要発地
1960年代後半 粘土関東・九州地方 セメント、鉱石関東地方『豊田市の統計 昭和42年版』[58]
1970年代前半 粘土川棚駅 セメント秩父駅『豊田市統計書 昭和47年版』[59]
1970年代後半 粘土川棚駅 セメント秩父駅『豊田市統計書 昭和52年版』[60]
1980年代 シャモット、粘土洞爺駅、川棚駅 グリンカー、珪石茅ケ崎駅居能駅『豊田市統計書 昭和60年版』[61]

駅周辺

隣の駅

脚注

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI