泥江町
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歴史
町名の由来
「泥江」(ひじえ)は広井村の古称という[6]。沖積低地を意味する「泥地」(ひじち)が語源とされ[7]、後に「広江」「広井」へ転訛したと言われている[6]。平安末期成立の『尾張国内神名帳』(天野本)には「従三位 泥江縣天神」の名が見え、地名は古くから存在したらしい[8]。
米騒動
1918年(大正7年)8月、全国的に盛り上がりを見せた米騒動が名古屋一帯にも波及。米屋町一帯のほか泥江橋(現在の泥江交差点付近)にも群衆が集結した[9][10]。
行政区画の変遷
当地は元々愛知郡広井村に属する地域であったが、名古屋駅(1886年(明治19年)設置)へ通ずる駅前道路が1885年(明治18年)ごろに完成すると町ができた[11]。1889年(明治22年)7月1日、広井村の一部をもって「泥江町」が設置され、同時に設置された周辺の笹島町・北禰宜町とともに当時の名古屋区に属し、さらに同年10月1日の市制施行で名古屋市泥江町となった[12]。ただし泥江町の起立時期を1898年(明治31年)とする資料もある[7]。1908年(明治41年)4月1日の区制実施(4区制)では西区に属し、1944年(昭和19年)2月11日には中村区へと編入された[1]。
泥江町は名古屋駅の東、柳橋中央市場のある西柳町の北に立地することから通運会社・倉庫会社・トラック会社などが集まった[7]。1937年(昭和12年)に名古屋駅が北へ移転すると泥江町の道路は裏通りとなるが、戦後になると中経ビル(中部経済新聞社ビル=1962年(昭和37年)完成)をはじめオフィスビル建設が進んだ[7]。
1977年(昭和52年)10月23日、中村区名駅一丁目・三丁目・四丁目にそれぞれ編入され泥江町の町名は消滅した[1]。