長良町
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字一覧
名古屋市中川区の北東部に位置し、東に乗越町と五月南通と中京南通、西に松葉町、南に南脇町、北に中村区角割町と接する。
長良町の小字は以下の通り[WEB 5]。消滅した字については背景色 で示す。
| 字 | 字 |
|---|---|
| 赤馬(あかうま) | 猪領(いりょう) |
| 大東出(おおひがしで) | 奥田(おくだ) |
| 角割(かくわり)[注釈 1] | 川原(かわはら) |
| 北新田(きたしんでん) |
北脇(きたわき)[注釈 2] |
| 狐塚(きつねづか)[注釈 3] | 香典(こうでん) |
| 三反畑(さんだんばた) | 四女子裏(しにょうしうら) |
| 瀬古(せこ)[注釈 4] | 竹立(たけだち)[注釈 5] |
| 乗越(のりこし) | 白山(はくさん)[注釈 6] |
| 東脇(ひがしわき)[注釈 7] | 冨毛(ふけ) |
| 南新田(みなみしんでん) | 南脇(みなみわき)[注釈 8] |
| 見代佐(みよさ)[注釈 9] |
歴史
町名の由来
江戸期の愛知郡長良村を前身とする。『尾張国地名考』では「長浦」を約したものとする[1]。『中川区史』では中間を意味する「ナカラ(半)」の意であるとする[1]。
地名は鎌倉期から確認でき、『熱田宮領新別納郷等注文案』に「永良郷 百二十三丁二反百八十歩」とあり、熱田神宮領があったらしい。1364年(貞治3年)付『理趣釈口決抄』には「尾州愛知郡乍郷高須賀大乗坊」とあるので、古くは「乍」(ながら)とも書き、高須賀町を包含していたらしい[2]。
行政区画の変遷
- 1889年(明治22年)10月1日 - 愛知郡長良村が合併により、同郡松葉村大字長良となる[3]。
- 1906年(明治39年)4月10日 - 愛知郡常磐村大字長良となる[3]。
- 1921年(大正10年)8月22日 - 名古屋市編入により、中区長良町となる[3]。
- 1937年(昭和12年)10月1日 - 中川区に編入され、同区長良町となる[3]。
- 1938年(昭和13年)9月1日 - 一部が中村区長良町として分離する[3]。
- 1941年(昭和16年)1月1日 - 中村区長良町が同区黄金通に編入され消滅[4]。
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 中川区長良町に中村区角割町の一部を編入する[3]。
世帯数と人口
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 11]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 12]。
| 番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
|---|---|---|---|
| 全域 | 名古屋市立常磐小学校 | 名古屋市立長良中学校 | 尾張学区 |
