王吸
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中涓(近侍官)として沛県豊邑で劉邦に従い挙兵し、霸上まで進軍し、騎郎将(騎兵の郎官を統率する武官)に任じられた。
高祖1年(紀元前206年)、劉邦が漢王に封ぜられると、劉邦に従って漢中郡に入った。同年8月、劉邦は将軍の王吸と薛欧を武関から出兵させ、南陽に駐屯していた王陵軍を経由し、沛県にいる劉太公と呂雉ら劉邦の家族を迎え入れようと図った。しかし、項羽が陽夏に兵を進めて守りを固めたため、漢軍は前進することができなかった。以後、劉邦の家族はしばらく人質としての生活を余儀なくされた。
楚漢戦争期には将軍として項羽軍を討伐し、戦功を挙げた。
高祖6年(紀元前201年)12月、甲申の日、清陽侯に封ぜられ、食邑3,100戸(『史記』による。『漢書』では2,200戸)を領した。
侯位には23年間在り、子の王疆の元年(清陽侯を継承した年)は文帝元年(紀元前179年)とあるため、王吸の没年は紀元前179年前後であると推算される。