田安
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経歴
戦国時代の斉最後の王である田建の孫にあたる[3]。
二世元年(紀元前207年)11月、斉の武将として、斉王の田巿に仕えていたが、項羽が楚軍を率いて黄河を渡り、趙の鉅鹿を救援しようとした時、済水の北にある数城を降して、自らの兵を率いて項羽に降伏した。
同年12月、田安は項羽とともに秦軍と戦う。項羽は秦軍を大いに破り、鉅鹿を救う。
高祖元年(紀元前206年)12月、項羽は秦を滅ぼし、田安はその軍功により、3つに分けられた斉国のうち、済北王に封じられ、博陽を都とすることとなる[4]。
同年5月、田栄は自身が王に封じられず、自分が擁立していた田巿が膠東王となり、斉王に田都が封じられたと聞く、田栄は項羽を恨み、兵を出して、田都を迎え撃った。田都は楚に逃亡した。
同年6月、田栄に逆らい、膠東に赴こうとした田巿が即墨で田栄に殺される。田栄は斉王を名乗った。
同年7月、田安は即墨から西に向かってきた田栄に攻められ、殺された[3]。また、田栄に将軍の印を与えられ(将軍に任じられ)、梁の地で項羽に対して反乱を起こした彭越によって攻撃され、殺されたともされる[5]。