北海道旭川市出身。旧制北大予科を経て1950年に東京大学法学部を卒業し、自治省に入省。警視庁公安部公安第一課長・同公安部長・兵庫県警本部長・内閣官房内閣調査室長などを経て、1984年10月に警視総監に就任。在任中はロス疑惑の捜査の指揮に当たり、1985年9月に当時起訴が困難と見られていた三浦和義の逮捕を断行し、世間を驚かせた。同年10月に退任し、以後は自治省中央選挙管理会委員、武富士非常勤顧問などを務めた。
武富士非常勤顧問時代の1992年12月に、同社の顧客情報が漏洩した問題で刑事告訴をするため、藤川忠政・武富士渉外部長とともに、警視庁刑事部長だった佐藤英彦元警察庁長官に面会した際、額面50万円の仕立券を渡したとして、2004年4月26日の参議院決算委員会で追及された[1][2]。『朝日新聞』は、1996年10月31日付夕刊で、1994年3月頃に武富士未公開株を本人名義で12000株、妻と長男名義で各2000株、計16000株が譲渡されたと伝えた。武富士は、1998年12月に東証1部に上場するが、福田は売り抜け、1億円以上の利益を得た。
『朝日新聞』1997年9月17日付朝刊によれば、強制執行妨害で会長らが逮捕された不動産会社ナナトミの監査役に、福田は1994年3月に就任し、会長逮捕時も在任中だった。同様に、『朝日新聞』2000年5月22日付朝刊によれば、警視庁が暴力団とつながりがあるとする大物右翼・西山広喜が理事長の日本政治文化研究所で理事を務め、2000年5月2日時点で在任していた。取材に対し、西山広喜が右翼団体代表を務めていることについて、「後から知った。私が理事になったことと関係ない」と話した。
2003年8月死去。77歳没。