西村泰彦
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| 西村 泰彦 にしむら やすひこ | |
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内閣広報室より公開された肖像 | |
| 生年月日 | 1955年6月29日(70歳)[1] |
| 出生地 |
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| 出身校 |
鳥羽市立鳥羽小学校[3] 鳥羽市立鳥羽中学校[3] 三重県立伊勢高等学校[2] 東京大学法学部[1][2] |
| 在任期間 | 2019年12月17日[4] - 2025年12月24日[5] |
| 在任期間 | 2016年9月26日[6][7] - 2019年12月17日[4] |
| 在任期間 | 2014年2月28日[8] - 2016年9月26日[6] |
| 在任期間 | 2013年1月25日[9] - 2014年1月22日[10] |
| 在任期間 | 2010年1月18日[11] - 2013年1月25日[9] |
西村 泰彦(にしむら やすひこ、1955年6月29日- [1])は、日本の警察官僚。宮内庁御用掛[12]。第10代宮内庁長官、第19代内閣危機管理監、第90代警視総監などを務めた[4]。
三重県鳥羽市出身[2][3]。鳥羽市立鳥羽小学校[3]、鳥羽市立鳥羽中学校[3]、三重県立伊勢高等学校を経て[2][3]、東京大学法学部を卒業後、1979年 (昭和54年)、警察庁に入庁[1][2][13]。「世のため、人のためになるような仕事がしたい」、「悪をくじき、弱きを助ける生き方がしたい」と考え、警察庁に入庁したという[13]。
入庁後、長崎県警察本部刑事部捜査第二課長、警視庁公安部管理官、在フィリピン日本国大使館二等書記官・一等書記官、警視庁総務部広報課長、警視庁警備部警備第一課長、警察庁長官官房人事課企画官、警視庁警務部参事官兼人事第一課長事務取扱などを歴任[1][13]。
警察庁で暴力団対策を担当していた際、住民とともに暴力団組事務所の撤去運動に取り組んだ[13]。また、在フィリピン大使館一等書記官に在任中、フィリピン軍関係者、警察関係者、フィリピンに駐在する各国関係者などから治安情勢等に関する情報収集・分析を担当したほか、軍事クーデターの際には在留邦人の安全確保などに取り組んだ。さらに警視庁警備部警備第一課長に在任中、阪神・淡路大震災が発生し、神戸にも多くの機動隊員を派遣し、県民の救出、救護にあたったたほか、上九一色村のオウム真理教本部への一斉強制捜査の指揮も行った[13]。
1999年7月26日、沖縄県警察本部長に就任[14][15]。約1年6か月の在任中、九州・沖縄サミットの警備指揮に取り組んだ。
その後、警察庁警備局警備課長、警視庁警備部長、警察大学校副校長兼警察庁長官官房審議官 (刑事局・取調べ適正化担当)などを歴任[1][13]。
警察庁警備局警備課長の際には日韓ワールドカップのフーリガン対策など警備対策を、警視庁警備部長の際には北海道洞爺湖サミットへの応援部隊の派遣と首都警戒に取り組んだ[13][16]。また、警察庁長官官房審議官 (刑事局担当)に在任中、足利事件の捜査の問題点を検証を担当した[17]。
2010年1月18日、警察庁警備局長に就任[11][18]。約3年の在任中、東日本大震災が発生し、政府の緊急参集チームのメンバーとして首相官邸に駆け付け、被害状況の報告、政府としての対策の立案、政府としての対策の立案・実施に従事したほか、全国の機動隊等を被災地に派遣し、警視庁の舞台を福島第一原子力発電所への放水のために派遣した[13][19]。
2013年1月25日、第90代警視総監に就任[9][20]。約1年の在任中、パソコン遠隔操作事件を解決に導き[21]、生活安全部サイバー犯罪対策課内に警察署での捜査を支援する機動サイバー班 (20人)を新設した[22]ほか、三鷹市で起きた女子高生ストーカー事件を受けて、従来のストーカー対策室に捜査第一課、第一機動捜査隊、被害者支援室を加えた事態対処チームを中核とするストーカー・DV総合対策本部 (80人体制)を新設することなど[23]に取り組んだ。また、2013年7月7日には、振り込め詐欺の新名称「母さん助けて詐欺」をPRするために東京ドームでの始球式に臨んだ[24]。2014年1月22日、勇退[10][25]。
2014年2月28日、第19代内閣危機管理監に就任[8][26]。約2年7か月の在任中、伊勢志摩サミットの警備対策などに取り組んだ[27]。2016年9月23日、勇退[6][28]。
2016年9月26日、第14代宮内庁次長に就任[6][7][29]。約3年3か月の在任中、首相官邸とのパイプ役となり、皇位継承儀式の円滑な実施に尽力した[30]。
2019年12月17日、第10代宮内庁長官に就任[4][31]。総務課に広報室を設置し、皇室の活動や人柄の発信を強化したほか[32]、コロナ禍であっても国民との交流を可能にするオンライン行幸啓の実現などに尽力した[33]。