第2次佐藤内閣
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- 閣僚
| 職名 | 氏名 | 所属 | 特命事項等 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 内閣総理大臣 | 佐藤栄作 | 衆議院 自由民主党 (佐藤派) |
自由民主党総裁 再任 | ||
| 法務大臣 | 田中伊三次 | 衆議院 自由民主党 (石井派) |
再任 | ||
| 外務大臣 | 三木武夫 | 衆議院 自由民主党 (三木派) |
再任 | ||
| 大蔵大臣 | 水田三喜男 | 衆議院 自由民主党 (舩田派) |
再任 | ||
| 文部大臣 | 剱木亨弘 | 参議院 自由民主党 (森派) |
国立国会図書館連絡調整委員会委員 | 再任 | |
| 厚生大臣 | 坊秀男 | 衆議院 自由民主党 (福田派) |
再任 | ||
| 農林大臣 | 倉石忠雄 | 衆議院 自由民主党 (福田派) |
再任 | ||
| 通商産業大臣 | 菅野和太郎 | 衆議院 自由民主党 (三木派) |
再任 | ||
| 運輸大臣 | 大橋武夫 | 衆議院 自由民主党 (前尾派) |
再任 | ||
| 郵政大臣 | 小林武治 | 参議院 自由民主党 (無派閥) |
再任 | ||
| 労働大臣 | 早川崇 | 衆議院 自由民主党 (三木派) |
再任 | ||
| 建設大臣 近畿圏整備長官 中部圏開発整備長官 首都圏整備委員会委員長 |
西村英一 | 衆議院 自由民主党 (佐藤派) |
再任 | ||
| 自治大臣 国家公安委員会委員長 |
藤枝泉介 | 衆議院 自由民主党 (川島派) |
再任 | ||
| 内閣官房長官 | 福永健司 | 衆議院 自由民主党 (前尾派) |
再任 1967年(昭和42年)6月22日免 | ||
| 木村俊夫 | 衆議院 自由民主党 (佐藤派) |
初入閣 1967年(昭和42年)6月22日任 | |||
| 総理府総務長官 | 塚原俊郎 | 衆議院 自由民主党 (佐藤派) |
再任 | ||
| 行政管理庁長官 | 松平勇雄 | 参議院 自由民主党 (無派閥) |
再任 | ||
| 北海道開発庁長官 科学技術庁長官 |
二階堂進 | 衆議院 自由民主党 (佐藤派) |
原子力委員会委員長 | 再任 | |
| 防衛庁長官 | 増田甲子七 | 衆議院 自由民主党 (佐藤派) |
再任 | ||
| 経済企画庁長官 | 宮澤喜一 | 衆議院 自由民主党 (前尾派) |
再任 | ||
- 内閣官房副長官・総理府総務副長官等
- 内閣法制局長官 - 高辻正己
- 内閣官房副長官(政務) - 木村俊夫:- 1967年(昭和42年)6月21日/亀岡高夫(佐藤派):1967年(昭和42年)6月22日 -
- 内閣官房副長官(事務) - 石岡実
- 総理府総務副長官(政務) - 上村千一郎(中曽根派)
- 総理府総務副長官(事務) - 堀秀夫
- 政務次官
新任の7名以外は前内閣からの留任。
- 法務政務次官 - 井原岸高
- 外務政務次官 - 田中栄一
- 大蔵政務次官 - 小沢辰男・米田正文(参、新任)
- 文部政務次官 - 谷川和穂
- 厚生政務次官 - 田川誠一(新任): - 1967年(昭和42年)11月10日
- 農林政務次官 - 草野一郎平・久保勘一(参、新任)
- 通商産業政務次官 - 宇野宗佑・栗原祐幸(参、新任)
- 運輸政務次官 - 金丸信
- 郵政政務次官 - 田沢吉郎
- 労働政務次官 - 海部俊樹
- 建設政務次官 - 渋谷直蔵
- 自治政務次官 - 伊東隆治
- 行政管理政務次官 - 北畠教真(参、新任)
- 北海道開発政務次官 - 小林篤一(参、新任)
- 防衛政務次官 - 浦野幸男(新任)
- 経済企画政務次官 - 金子一平
- 科学技術政務次官 - 始関伊平
内閣の動き
第1次佐藤内閣は、1966年夏から起こった政権内の汚職事件(黒い霧事件)で世論の批判にさらされ、野党からの解散要求に応じる形で解散総選挙に臨み、第31回衆議院議員総選挙(1967年1月29日)では自民党の微減にとどまり、野党第一党の社会党も野党の多党化で伸び悩む形で、追及の動きは鈍くなり、第2次内閣が発足する。大臣は直前の内閣改造から間がないことから、全員が再任された。
- 主な政策・出来事
- 革新都政…4月15日、東京都知事選挙にて、社会党、共産党推薦の美濃部亮吉が当選。3期12年にわたる革新勢力による都政が始まる。
- 公害対策…8月、公害対策基本法が成立。本法を端緒として、公害への対策が行われるようになる[1]。
- 沖縄返還…11月14日、佐藤首相は訪米してリンドン・ジョンソン米大統領との会談に臨み、共同声明にて「両国政府が沖縄の施政権を日本に返還するとの方針の下に、かつ、以上の討議を考慮しつつ、沖縄の地位について共同かつ継続的な検討を行うことに合意した」と発表。沖縄返還へ向けた交渉が始まる。また、アジアの平和と安定のための積極的な協力、ベトナム戦争への全面的支持がうたわれた[2]。
