諏訪哲史
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愛知県名古屋市出身。幼少期には宮城県仙台市で5年ほど過ごした。仙台市立燕沢小学校[1]在学中から1週間に10冊の本を読んだ。
愛知県立名古屋西高等学校、國學院大學文学部哲学科卒業。大学在学中から卒業後まで独文学者の種村季弘に文学・美術・宗教・思想など広範な分野にわたり個人指導を受ける。卒論は西欧十九世紀末芸術ラファエル前派論[2]。哲学科では美学者の谷川渥にも師事した。
1992年から名古屋鉄道で勤務する傍ら、種村季弘に読んでもらうために詩作を行なう。1998年、名鉄を退社し、2年間引きこもった末に書き上げた初の小説「アサッテの人」で種村季弘に認められる。30歳で再就職。2004年、種村季弘が死去。2006年、諏訪の実父が死去。この時期、亡父と同じ躁鬱病(双極性障害)を発症し、生涯にわたる治療が始まる[3]。失意の内に初めて投稿した「アサッテの人」が、2007年に第50回群像新人文学賞を受賞。同年に同作品で第137回芥川龍之介賞を受賞する。この2つの賞の同時受賞は村上龍以来の31年ぶり。脱稿から8年後の受賞だった。この作品には、幼いころ吃音に苦しんだ経験が投影されている。
2012年刊の『スワ氏文集(すわし・もんじゅう)』ではコラムニスト、随筆家として、2014年刊の『偏愛蔵書室』では詩・小説・漫画などを対象に批評家としての仕事を行なう。谷川渥は『偏愛蔵書室』について、「批評家」諏訪哲史の面目躍如、と評した[4]。
連載中のコラムに「昭和の少年」(毎日新聞東海版、2023年4月 - 、毎月第4木曜朝刊)がある。
2009年から愛知淑徳大学文化創造学部准教授、2012年から同大学の学部名変更によりメディアプロデュース学部准教授[5]、2016年から東海学園大学人文学部教授、2019年からは同大学同学部の客員教授を務める。2019年から母校愛知県立名古屋西高等学校普通科の創造表現コース特別講師に就任。
2026年3月から名古屋栄の中日文化センターで毎月第4土曜の午後に文学講読の講座「月イチ読書」(常時入会可)を開講予定。
2013年12月、パリ第3大学から独立したフランス国立東洋言語文化学院(INALCO)の国際シンポジウムに日本の作家として招待され、日本文学の現状について発表した[6]。
人物
作風や文体など、小説という形式に対して常に疑問を抱き、執念深く自問自答する姿勢から、「小説狂」・「文学的テロリスト」などと評されることもある[7]。
諏訪の随筆によれば、40歳でそれまでの読書量が1万冊を超えたものの、種村季弘は同じ年頃にその倍は読んでいたらしいと思い至り、絶望したとある[8]。
第137回芥川賞贈呈式(2007年8月22日)では、アカペラで細川たかしの「心のこり」の1番を歌った[9]。
2021年12月刊の『スットン経』によれば、携帯電話やスマホのたぐいをこれまで持ったことがなく、ネットも見ない。また、死ぬまでに読みたい本・再読したい本がなお2000冊はあり、今でも一日平均6時間は読書をしている[10]。
高校時代から一人旅を始め、大学時代に鉄道等で日本各県を踏破、海外も50カ国以上を放浪した[11]。
自身も車掌を務めた経験のあるパノラマカー(名鉄7000系電車)の引退に伴い、かつて勤務した名鉄からの依頼により、ホームページの特設サイトにてエッセイを掲載している[12]。
諏訪のサイン(著書への署名)は「一筆書きツァラ」と称され、ルーマニア生まれのダダ詩人トリスタン・ツァラが右目に片眼鏡を嵌めた戯画を一筆書きするというもの。そこに「Suwa」の文字が添え書きされる。作家になるずっと前から友人らへの書簡の末尾に用いてきた[13]。
2017年『岩塩の女王』出版時のインタビューでは、「十年以上前に双極性障害になってから、自己同一性や文体的な〈自分性〉が年を経るごとにとらえられなくなってきました」といい、「自分の〈身体〉・〈文体〉が長く統一できないのです」と言語的苦悩を吐露している[14]。
詩吟や謡曲好きな父親の影響で幼時から「雅楽の越天楽や能楽、浄瑠璃や民謡など」が身近にあり、「ロックやジャズ、クラシックやボサノヴァ、フレンチ・ポップスやキューバ音楽も好き」だが、「ここ十年くらいは主にノイズ音楽」を聴いている[15]。
政治や社会思想の話題は若い頃から極力避けてきたが、避けては通れない情勢になったとして、「文学的には〈観念的アナーキズム〉の立ち位置」を標榜し、「アナーキーとは自分自身も含め各個人それぞれが国家であって他の誰にも統治されない状態を指し、だからこそアナーキズムは〈無政府主義〉と訳され、無意味の芸術ダダとも接近する」と語っている[15]。
2024年の『偏愛蔵書室』河出文庫版あとがきに、「人類史上における言語芸術の最盛期」は20世紀であり、次いで19、18、17世紀と続き、諏訪自身を含む21世紀文学はこのような「真にモニュメンタルな新機軸を何も生んでいない」と書いている[16]。
2025年の『領土』ちくま文庫版あとがきには、昨今のAI(人工知能)による創作関与について、人の競う「フルマラソンをバイクで走」るようなものであり、AIの創作への関与0%が完全に保証されていたこれまでの時代は真に<ホワイト>な「生身文学」であったが、今後は関与1%でも<グレー>な「機械文学」と見なさざるをえず、「0%保証のない不信の時代の到来で、文学は終了」すると記している[17]。