世友(英語版)の『異部宗輪論』には飲光部が折衷学派であり、上座部と大衆部の両方の教説を支持していると書かれている[12]。
『論事』の註釈書によれば、過去の出来事が現在に何らかの形で存在すると飲光部では信じてられていた[13]。
A. K. Warderによると、阿羅漢も間違いを犯すし完璧ではないという教説が飲光部で支持されており、これは説一切有部や大衆部の諸部派と同じ考え方であるという[2]。これらの部派では、ある種の阿羅漢(=時解脱阿羅漢)は完全には欲を滅尽しておらず、その解脱は不完全で、彼らは阿羅漢位から有学の状態に退転することもあり得ると考えられていた[2]。