1946年の中部日本

From Wikipedia, the free encyclopedia

オーナー 杉山虎之助
経営母体 中日新聞社
監督 竹内愛一(7月13日まで)
杉浦清(7月14日から)
1946年の中部日本
成績
レギュラーシーズン7位
42勝60敗3分 勝率.412[1]
本拠地
都市 愛知県名古屋市
なし
球団組織
オーナー 杉山虎之助
経営母体 中日新聞社
監督 竹内愛一(7月13日まで)
杉浦清(7月14日から)
« 1945
1947 »

テンプレートを表示

1946年の中部日本(1946ねんのちゅうぶにほん)では、1946年の中部日本の動向をまとめる。

この年の中部日本は、戦争により中断していた職業野球再開の1年目のシーズンであり、「中部日本」として戦った唯一のシーズンである。

中部日本の当年及び近年のシーズン成績
最終成績














O
P
S





1946 リーグ7位7位10542603.412480586.2484613232518.4.4148185竹内愛一
1945 太平洋戦争の戦況悪化により休止
1944 リーグ4位4位3513211.38281152.18475417140.3.102677三宅大輔
1943 リーグ2位2位8448297.623217172.198185655314.1.4158123桝嘉一
1942 リーグ7位7位10539606.394275324.1852410565382.1.9344194本田親喜
1941 リーグ6位6位8437470.440197294.182135669431.2.2444156小西得郎
1940 リーグ5位5位10458415.586334279.1911213139506.5431.9056171小西得郎
1939 リーグ6位6位9638535.418301349.2161913436397.5822.4456160根本行都

中部日本新聞社が3年ぶりに親会社へ正式復帰した。中部日本新聞社の発足後に自己資金を投じて球団を存続させて来た大島一郎が前年の11月に本業での戦争協力への責任を理由に社長を辞任して社主に退き、後任の社長となった杉山虎之助オーナー職を引き継いだことに伴い名古屋軍時代の「大日本野球連盟名古屋協会」から新法人「中部日本野球倶楽部」に球団の諸権限を委任して「中部日本」へ改称される。

シーズン途中で竹内愛一監督が辞任し、杉浦清選手兼任監督が就任したがその3週間後の8月5日から9月1日にかけて、球団史上最悪の15連敗を喫した[2]。最終的にパシフィックと同率の最下位に沈んだ。翌年からニックネームをつけることが義務付けられたため、「中部日本ドラゴンズ」へ改称。中日ドラゴンズの歴史が翌年からスタートした。対戦成績では同率最下位のパシフィックと互角だったものの、5位阪急に2勝12敗1分と大きく負け越し、最下位脱出はならなかった。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 岩本章
2 金山次郎
3 古川清蔵
4 服部受弘
5 小鶴誠
6 加藤正二
7 藤原鉄之助
8 森井茂
9 木下政文
1946年日本野球連盟順位変動
順位5月終了時6月終了時7月終了時8月終了時9月終了時最終成績
1位 近畿-- 巨人-- 大阪-- 近畿-- 近畿-- 近畿--
2位 阪急0.0 阪急2.5 巨人3.5 大阪1.5 巨人3.5 巨人1.0
3位 巨人1.0 大阪4.0 近畿5.0 巨人3.5 大阪6.0 大阪7.0
4位 大阪 近畿4.5 阪急8.0 阪急9.0 阪急13.0 阪急14.0
5位 ゴールド2.0 パシフィ8.5 中部日本11.5 ゴールド17.0 セネター17.0 セネター19.0
6位 パシフィ4.0 ゴールド8.5 ゴールド15.0 セネター17.5 パシフィ19.5 ゴールド22.0
7位 セネター4.0 セネター10.0 セネター15.5 パシフィ18.5 ゴールド20.0 パシフィ22.5
8位 中部日本4.0 中部日本10.0 パシフィ17.5 中部日本21.0 中部日本21.0 中部日本
1946年日本野球連盟成績
順位球団勝率
優勝近畿グレートリング65382.631--
2位東京巨人軍64392.6211.0
3位大阪タイガース59460.5627.0
4位阪急軍51522.49514.0
5位セネタース47580.44819.0
6位ゴールドスター43602.41722.0
7位中部日本42603.41222.5
7位パシフィック42603.41222.5

選手・スタッフ

表彰選手

出典

Related Articles

Wikiwand AI