1962年の中日ドラゴンズ

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1962年の中日ドラゴンズ
成績
セントラル・リーグ3位
70勝60敗3分 勝率.538[1]
本拠地
都市 愛知県名古屋市中川区
球場 中日スタヂアム
球団組織
オーナー 与良ヱ
経営母体 中日新聞社
監督 濃人渉
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1962年の中日ドラゴンズでは、1962年の中日ドラゴンズにおける動向をまとめる。

この年の中日ドラゴンズは、濃人渉監督の2年目のシーズンである。

当年及び近年のシーズン成績
成績 リーグ 平均得点 平均失点 開幕時監督
1962 レギュラー敗退3位70603.538濃人貴実
1961 レギュラー敗退2位72562.563濃人貴実
1960 レギュラー敗退5位63670.4853.353.49杉下茂
1959 レギュラー敗退2位64615.512杉下茂
1958 レギュラー敗退3位66595.528天知俊一
1957 レギュラー敗退3位70573.551天知俊一
1956 レギュラー敗退3位74560.569野口明
1955 レギュラー敗退2位77521.597野口明
1954 日本一優勝86404.6833.922.89天知俊一
1953 レギュラー敗退3位70573.5514.033.91坪内道典
1952 レギュラー敗退3位75432.6364.743.58坪内道典

前年あと一方で優勝を逃した中日は、主力のトレードを多発。井上登南海にトレードし、長谷川繁雄寺田陽介を獲得、また正捕手・吉沢岳男も濃人監督から「キャッチングが下手」とけなされて近鉄へトレード。そして若き主砲・森徹も前年濃人監督と対立したため、大洋にトレードされる。こうして臨んだシーズンだが新戦力の長谷川と寺田が活躍せず、さらに正捕手・吉沢を出したばかりに捕手を江藤慎一に頼りざるを得なくなりやがてチームは低迷、急遽中日はカンフル剤として元メジャーリーガーのドン・ニューカムラリー・ドビーを加入させる。両名はすでにピークは過ぎていたが、チームを強化するには大いに役立ち、やがて権藤博が盛り返して30勝(2年連続30勝)をあげて最多勝投手を獲得した。投手陣は権藤が30勝で最多勝、柿本実が20勝、新人の門岡信行が10勝をあげるなど先発陣が勝ち星の大半を稼いだが、前年の開幕投手だった板東英二がスタミナ不足で2勝に終わり、前年2ケタ勝利の河村保彦も4勝に終わるなど明暗が分かれた。打撃陣は捕手に転向した江藤がチーム最多の23本塁打を打つなどの活躍で107本塁打はリーグ1位も、盗塁数が前年から低下した。チームは一応3位で終わったが、相次ぐトレードでファンを失わさせた濃人体制は2年で崩壊、杉浦清が監督に復帰した。反濃人派の選手がいなくなったこともあり、それまで井上の陰に隠れた3年目の高木守道がこの年からレギュラーを獲得したのが明るい話題だった。シーズン終了後、1961年に巨人から移籍の与那嶺要が引退し打撃コーチに就任した。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 中利夫
2 河野旭輝
3 長谷川繁雄
4 江藤慎一
5 寺田陽介
6 伊藤竜彦
7 高木守道
8 前田益穂
9 柿本実
1962年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 大洋-- 大洋-- 大洋-- 阪神-- 阪神-- 阪神--
2位 阪神0.0 阪神1.0 阪神2.5 大洋2.0 大洋2.5 大洋4.0
3位 巨人1.0 巨人1.5 巨人4.5 巨人8.0 中日6.5 中日5.0
4位 中日1.5 国鉄5.0 国鉄6.0 中日9.5 巨人8.0 巨人8.0
5位 広島1.5 中日5.0 中日10.0 国鉄12.5 広島16.5 広島19.0
6位 国鉄2.0 広島5.5 広島13.0 広島16.0 国鉄20.5 国鉄24.0
1962年セントラル・リーグ成績
順位球団勝率
優勝阪神タイガース75553.577--
2位大洋ホエールズ71594.5464.0
3位中日ドラゴンズ70603.5385.0
4位読売ジャイアンツ67634.5158.0
5位広島カープ56744.43119.0
6位国鉄スワローズ51794.39224.0

[1]

オールスターゲーム1962

ファン投票 選出なし
監督推薦 権藤博 江藤慎一
補充選手 柿本実

できごと

選手・スタッフ

表彰選手

出典

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