Wikiwand AI

1952年の名古屋ドラゴンズ

From Wikipedia, the free encyclopedia

1952年の名古屋ドラゴンズ
成績
セントラル・リーグ3位
75勝43敗2分 勝率.636[1]
本拠地
都市 愛知県名古屋市
球場 中日スタヂアム
球団組織
オーナー 小山龍三
経営母体 中日新聞社(名古屋鉄道との輪番制)
監督 坪内道典
« 1951
1953 »

テンプレートを表示

1952年の名古屋ドラゴンズでは、1952年の名古屋ドラゴンズの動向をまとめる。

この年の名古屋ドラゴンズは、坪内道典監督の1年目のシーズンである。

当年及び近年のシーズン成績
年 成績 リーグ 勝 敗 分 率 平均得点 平均失点 開幕時監督
1952 レギュラー敗退3位75432.6364.743.58坪内道典
1951 レギュラー敗退2位62483.5644.654.63天知俊一
1950 レギュラー敗退2位89444.6695.444.36天知俊一
1949 レギュラー敗退5位66683.4934.584.69天知俊一
1948 レギュラー敗退8位52835.3853.103.82杉浦清
1947 レギュラー敗退2位67502.5733.452.69杉浦清
1946 レギュラー敗退7位42603.4124.575.58竹内愛一
1945 太平洋戦争の戦況悪化により休止
1944 レギュラー敗退4位13211.3822.314.34三宅大輔
1943 レギュラー敗退2位48297.6232.582.05桝嘉一
1942 レギュラー敗退7位39606.3942.623.09本田親喜

前年から中日新聞社と名古屋鉄道が隔年で球団運営を交代する体制が導入されたことにより、この年は中日側の当番となり前副社長で顧問の小山龍三がオーナーとなった[注 1]。

前シーズン終了後の1951年12月、広島のエースとして17勝を挙げていた長谷川良平が故郷の愛知県半田市へ帰郷中、ドラゴンズ選手との雑談がきっかけで、来シーズンの契約更新に必要な統一契約書が未着だったことを知った名古屋球団が長谷川獲得に乗り出し、12月25日には長谷川自身からも移籍希望声明を出させることに成功した。しかし、1950年の球団設立から2年連続最下位、1951年には大洋との合併が一度は決まるほどの経営難と苦境にあえぐ広島にとって、1951年シーズン全体の32勝のうち半分以上を稼いだ長谷川の移籍は、開幕前のリーグ代表者会議で「最終勝率が3割を切ったチームには処罰を与える」とした申し合わせによるチーム消滅の危険性を一気に高めると認識された[注 2]。この移籍を阻止するために広島側は球団後援会まで巻き込んだ猛烈な残留運動を展開し、結果的には長谷川自身の翻意と福井盛太による史上初のコミッショナー裁定の末に長谷川の広島残留が確定し、名古屋移籍は実現しなかった[注 3]。

天知俊一前監督に代わって坪内道典監督が就任したこの年、チームは開幕から好調で巨人をマークし、阪神と2位を争った。投手陣ではエースの杉下茂がチーム最多の32勝、松竹から移籍の大島信雄12勝をあげるなど健闘しチーム防御率2.82はリーグ3位で、打撃陣でも西沢道夫や原田督三などがそれなりの成績を収め、西沢が打点王、杉山悟が本塁打王をそれぞれ獲得。チーム本塁打は77本で、巨人と同一の1位だった。最後は阪神との2位争いに敗れ巨人と7ゲーム差の3位に終わったものの、4位の大洋を大きく引き離してシーズンを終えた。対戦成績では負け越したものの2連覇の巨人に9勝11敗、阪神には9勝10敗1分と健闘した。また、下位4球団にはいずれも勝ち越し、特に広島には15勝4敗1分、松竹には17勝3敗と圧倒したが、シーズン終盤の9月28日からのホーム5連戦で広島に2勝3敗で負け越し[注 4]、逆に松竹には後半戦8戦全勝を含む9連勝で終えたことが、最終成績における6位広島の3割到達(.316)、7位松竹の未達(.288)とシーズン後の大洋との合併という形で両球団の明暗を分ける一因となった。

この年の開幕前、1951年8月の火災で焼失した中日球場の再建工事が完成し開幕から使用開始となった。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 中鈴木隆
2 遊松本和雄
3 右原田徳光
4 一西沢道夫
5 三児玉利一
6 左杉山悟
7 捕野口明
8 二牧野茂
9 投大島信雄
1952年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 巨人-- 巨人-- 巨人-- 巨人-- 巨人-- 巨人-- 巨人--
2位 名古屋2.5 大洋3.0 大阪5.5 大阪3.0 大阪6.0 大阪5.5 大阪3.5
3位 大洋4.0 大阪3.0 名古屋5.5 名古屋6.5 名古屋7.0 名古屋7.0 名古屋7.0
4位 大阪4.5 名古屋5.0 大洋12.5 大洋12.5 大洋18.5 大洋21.5 大洋25.0
5位 国鉄8.0 松竹18.0 国鉄21.0 国鉄25.0 国鉄31.5 国鉄31.5 国鉄33.0
6位 松竹9.0 国鉄18.5 松竹24.5 松竹29.0 広島37.5 広島43.5 広島44.5
7位 広島10.5 広島19.0 広島25.5 広島29.5 松竹39.5 松竹44.0 松竹48.0
1952年セントラル・リーグ成績
順位球団勝敗分勝率差
優勝読売ジャイアンツ83370.692--
2位大阪タイガース79401.6643.5
3位名古屋ドラゴンズ75432.6367.0
4位大洋ホエールズ58620.48325.0
5位国鉄スワローズ50700.41733.0
6位広島カープ37803.31644.5
7位松竹ロビンス34842.28848.0

[1]

オールスターゲーム1952

できごと

選手・スタッフ

表彰選手

脚注

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks