1951年のラジオ (日本)

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1951年のラジオ (日本)では、1951年日本ラジオ番組、その他ラジオ界の動向について記す。

日本初の民間放送局の誕生、日本民間放送連盟(民放連)の結成。
ラジオ東京(後のTBSラジオ)の開局告知広告
当時はラジオでも聴取料を徴収していたNHKとは違い、JOKR(ラジオ東京のコールサイン)では聴取料はいただきませんとの但し書きがある。実際に先行開局したラジオ局では聴取料を騙し取る詐欺も発生していたため、こうして注意喚起していた[注 1]

主な番組関連の出来事

1月
2月
  • 6日 - NHKラジオ第1、軽音楽(ポピュラー音楽)番組『リズムパレイド[注 2]』放送開始( - 1955年3月31日)[1]
3月
4月
  • 1日 - NHKラジオ第1、この日の『放送討論会』にて、「講和後の我国の安全は如何にして保つべきか」を放送[1]
  • 2日 - NHKラジオ第1、婦人向け番組『明るい茶の間』放送開始。「世界の友情」、「生活の道しるべ」、「今日のヒント」等で構成、1960年4月2日まで続いた[1][3]
  • 11日 - NHK、“ 連合軍最高司令官マッカーサー解任、後任にリッジウェー中将 ”を臨時ニュースで放送。翌12日には、トルーマン米大統領(当時)の元帥解任理由と朝鮮問題解決策を臨時ニュースで放送[1]
  • 16日
    • NHKが番組改定。ラジオ第1・第2で放送している「学校放送」を拡充。小学校向けを低学年・中学年・高学年の3部制に、「中学高等学校」の部を「中学校」・「高等学校」に分離[1][4]
    • NHKラジオ第1、『マッカーサー元帥羽田空港出発実況』を中継放送[1]
5月
  • 5日 - NHKラジオ第1、児童憲章宣言式実況を首相官邸から中継[1]
  • 6日 - NHKラジオ第1、『ラジオ体操』(後に「ラジオ体操第1」となる)が3年8か月ぶりに再開[1]
  • 22日 - NHKラジオ第1、『街頭録音 - 列車から観光地にきく』にて、特急「つばめ」と京都・平安神宮を結びFM波で中継して2元放送(2箇所から中継放送)[1]
6月
  • 22日 - NHKラジオ第1、貞明皇后大喪の儀を東京都文京区・豊島岡葬場から中継。米占領下の状況である為、平易なアナウンスを目指すことに努めた[1]
  • 24日 - NHKラジオ第1、この日の『政治討論会』にて、「追放解除と政界」を放送(出演:岩渕辰雄阿部真之助山浦貫一、司会:三神茂アナウンサー)[1]
8月
9月
  • 1日(土曜日) - 日本初の民放として午前6時30分に中部日本放送(現:CBCラジオ)[1][7][8]、その後正午に新日本放送(NJB)が開局[1][9][10]
    • 中部日本放送
      • 開局第一声を宇井昇アナウンサーが発し、日本民放初の本放送を開始[7][11]
      • スポンサー付番組第1号として、名古屋の毛織物店「五金洋品」提供の『服飾講座』を放送[1]
      • この日は、開局記念バラエティーショー『謳うCBC』等を放送。『謳うCBC』は、電通名古屋支社・中部日本放送共同による聴取状況について名古屋市内での電話アンケート調査をした結果、平均占拠率82%を記録した[1]
    • 新日本放送
      • 開局の30秒前に坂本登志子アナウンサーがコールサインと周波数・出力をアナウンスし、続いて山田耕作作曲の「NJB行進曲」を放送[9]
      • 翌2日までクラシック・軽音楽・純邦楽を始めとする音楽番組、浪曲や落語を始めとして、数多くの開局記念番組を放送[注 3][12]
      • 毎週土曜放送のラジオドラマ『日月新たなり』(松下電器一社提供)が放送開始[13]
    • 中部日本放送・新日本放送共通
  • 2日(日曜日) - いずれも新日本放送
  • 3日(月曜日) - 新日本放送、朝6時から23時までの1日17時間のラジオ通常編成放送を開始。この日から、数多くのレギュラー番組が放送開始となる[16]
  • 9日(月曜日) - 新日本放送、ラジオドラマ『安宅家の人々』放送開始(福助足袋一社提供)[18]。当時毎日新聞に連載されていた、吉屋信子原作の同名小説をドラマ化。
  • 22日 - NHKラジオ第2、この日の『舞台中継』にて、初の2時間にも渡る長時間の舞台中継「与話情浮名横櫛」(尾上菊五郎劇団)を、明治座から中継。以後同様の長時間舞台中継の企画が続く[1]
10月
11月
  • 1日 - NHKラジオ第1、第6回文部省芸術祭参加作品で、清元榮壽郎作曲・演奏による、浄瑠璃清元節三味線音楽の新作『清元十三夜』(作詞:土岐善麿、浄瑠璃:清元延寿太夫 ほか)を放送。万葉調の歌詞を清元化し、ツヤにサビと気品を添える試みを行った作品。同芸術祭の音楽部門の芸術祭賞を受賞[1][22]
  • 2日 - NHKラジオ第1、聴取者参加型で、出場者がピアノの伴奏をヒントに曲目を類推し、さらに歌詞を正しく歌えるかを競う、娯楽歌謡クイズ番組三つの歌』を初放送。司会はNHKの宮田輝アナウンサーが、ピアノは天池真佐雄が担当。翌年1月7日に定時放送となり、1970年3月30日まで延べ915回を数える長寿番組となった[注 6][1]
  • 13日 - 朝日放送(後のABCラジオ)2代目桂春團治(落語家)が公開収録(朝日放送が本放送の開始を前に朝日会館内のスタジオで実施)で披露した13番(落語の13演目)から、1週につき1番(1つの演目)の収録音源をノーカットで流す演芸番組『春團治十三番』放送開始( - 1952年2月5日)。スタジオへ観客を入れたうえで落語の高座を収録した後に、収録音源を放送した番組は、他局を含めてもこの番組が初めてとされている。
12月
  • 3日 - ラジオ九州(後のRKB毎日放送ラジオ)、自社初のローカル番組『あなたの放送』放送開始[24]
  • 5日 - ラジオ九州、自社制作では初の公開番組『似て非なるもの』(八幡製鉄の一社提供)を、八幡市(後の北九州市八幡区)親和会館で公開放送[24]
  • 6日 - ラジオ九州、自社制作の子供向け番組『今日も元気で』放送開始[24]
  • 24日 - ラジオ東京、この日の19時に開局・本放送を開始[注 7][25]
    • この日の午後、開局前の13時・18時の2回、新橋演舞場より開局前夜祭を生中継で放送[14][26]
    • 19時(午後7時)、時報に続き、山田耕作作曲の「ラジオ東京シグナルミュージック」(オープニング版)が流れ、「みなさま、こんにちは。ラジオ東京でございます。いよいよ全ての準備を完了致しまして、只今12月24日、午後7時より放送を開始致しました。みなさまのラジオ東京でございます。」と放送開始アナウンスが行われ、開局・本放送開始。その後、同局本放送の最初の番組である15分間の『朝日・毎日・読売3社ニュース』が放送。後にファンファーレが流れ、足立正社長の開局の挨拶『視聴者の皆さまへ』が放送。その後、前夜祭中継をしていた新橋演舞場から開局祝中継となって戻った[25]
  • 25日 - 午前6時30分、ラジオ東京が定時放送に入る[27]
    • この日の午前7時から22時まで、『朝日・毎日・読売3社ニュース』が当番制で毎正時に放送[28]
    • 録音構成によるドキュメンタリー番組『ラジオスケッチ』が放送開始[1][28][29]。1969年4月12日の番組終了まで5527回に渡って放送される長寿番組となる[30]
    • ラジオドラマ『チャッカリ夫人とウッカリ夫人』放送開始[28]。後に『ウッカリ夫人とチャッカリ夫人』と改題、1964年10月3日の放送終了まで、約13年間、全3993回の長寿番組となる[1]

主なその他ラジオ関連の出来事

民間放送初の予備免許

4月21日を皮切りに、郵政省は民間ラジオ放送局の予備免許を交付し始める様になった。この時の呼出符号(コールサイン)は、“JO*R”のパターンで揃えられた。
予備免許の交付日及び交付された局については以下の通り[45]

4月21日交付
10月18日交付
12月27日交付
  • JOUR:長崎平和放送(後のラジオ長崎 → 長崎放送

開局

節目

番組周年・記念回

開局周年

特別番組

1月放送

10月放送

  • 22日 - 『今宵一度の放送「メニューヒンの希望音楽会」』(新日本放送)[21][20]

開始番組

1951年1月放送開始

NHKラジオ第1放送

1951年2月放送開始

NHKラジオ第1放送

1951年4月放送開始

NHKラジオ第1放送

1951年5月放送開始

NHKラジオ第1放送
NHKラジオ第2放送

1951年8月放送開始

NHKラジオ第2放送
新日本放送

1951年9月放送開始

中部日本放送・新日本放送の2局ネット(開局前のラジオ東京制作)
中部日本放送
新日本放送

1951年11月放送開始

NHKラジオ第1放送
NHKラジオ第2放送
  • 5日 - 商品市況
朝日放送

1951年12月放送開始

ラジオ東京

終了番組

再開番組

脚注

参考文献

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